おじいちゃんのうた
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:K子(ライティング・ゼミ平日コース)
仏前に 手を合わせいし 幼子の 去りて供物の 蜜柑一つなし
わたしの祖父が詠んだ歌だ。
仏壇の前にすわって、大人の真似をして、熱心に手を合わせている幼い子ども。
そんな幼子が去ったあとは、お供え物の蜜柑が一つ、ちゃっかりなくなっている。
幼子とは、孫であるわたしのことである。
このときのことを覚えていないが、食い意地の張っていたわたしのやりそうなことである。
それを見て、おかしそうに笑う祖父の姿も思い浮かんだ。
祖父は田舎育ちの昔気質な人だった。
もの静かな人で、いつも堀ごたつに座って、なにか書き物をしていた。冗談の一つを言うのも、聞いたことはない。
祖父はわたしが生まれたときから、すでにおじいちゃんだった。
40代や50代で孫ができておじいちゃんになる人もいるが、そういう人は、世間的にみればまだまだ若い。
わたしの父は3人兄弟の末っ子で、父が40歳のときにわたしが生まれた。そうなると祖父は、わたしが生まれたとき、すでに世間的にもおじいちゃんと認識される年齢になっていた。
祖父は耳が遠く、家族の会話に積極的に入ってくることはあまりなかった。孫と一緒に走り回るような体力もなかったので、遊んでくれることもなかった。
実家は二世帯住宅で、祖父には毎日会っていた。
ときどき、「学校は楽しいか」「勉強頑張っているか」と聞いてくる。
耳が遠い祖父に向けて、なるべく大きな声で「うん!」と答える。
でも、それ以上会話は続かない。
わたしが高校生のときに祖父が亡くなるまで、その関係性は変わらなかった。
わたしにとって祖父は、親近感のある存在ではなかった。
先日実家に帰り、本棚の整理をしていた。一人暮らしをしているマンションに、お気に入りの本を何冊か持っていこうと探しはじめたら、壮大な本棚の整理に発展してしまったのだ。
そこである一冊の本を見つけた。
祖父が自費出版で出した歌集だった。
祖父は関西を拠点とする短歌の会に所属しており、そこで30年余り短歌を詠んでいた。
プロというわけではなく、趣味の延長のようなものだ。
この本が出版されたとき、ささやかながら市民会館で出版記念パーティーを行った。
当時わたしは7歳で、祖父にお祝いの花束を渡しにいく役目を任されたことを覚えている。
歌集が出版された当時のわたしはまだ幼く、短歌の味わいが分かるような殊勝な子どもではなかった。
祖父の歌集を1冊プレゼントしてもらったが、それは本棚に置き去りにされたまま、開かれることもなく、月日は流れた。
そして20年ほど経ったある日、わたしは祖父の短歌集を発見し、初めて目を通したのだった。
我と子の 声は似るらし 今日もまた 子と間違はれる 電話に戸惑ふ
祖父と父の声はよく似ていた。電話だと間違ってしまうのは仕方がないほどに。父の友人が電話をかけてきて、祖父とは気付かずそのまま話し続ける光景が浮かぶ。
新聞を 丸めて孫の 腰にさす 仕ぐさテレビの 何をみたるか
新聞紙を丸め、剣のように見立てて腰にさすわたしの兄。テレビでみた戦隊ものの真似っこをしているのだろう。
昼仕事の 疲れ出づるか 灯の下に 栗むく妻が 居眠りており
祖母は秋になると、ご近所さんからもらった栗をむいていたが、栗の皮を自力でむくのは、なかなか大変な作業である。昼間の疲れもあってか、栗むきの最中にねむってしまった祖母を、祖父が見守っている。
わたしは、祖父の歌集を読むまで知らなかった。
祖父がこんなにも優しい目で、家族を見ていたことを知らなかった。
祖父がこんなにも、家族への愛で満ちた人だと知らなかった。
実家は自営業をしているが、祖父は知り合いから頼まれたボランティアの仕事をよく引き受けるので、本業に支障をきたして祖母を悩ませたそうだ。
祖母が他界した後は、わたしの両親が祖父の面倒をみた。融通のきかない頑固者の祖父に、両親は手を焼いていた。
孫たちとも、積極的に遊ぼうとする祖父ではなかった。祖父との楽しい思い出はあまり記憶に残っていない。
でも、祖父の目を通して詠まれた短歌をみると、家族と過ごす何気ない日常を、深く愛していたことが伝わってくるのだ。
その日常の中で祖父がどれだけ家族を想い、見守り、愛していたかが伝わってくるのだ。
祖父の詠む歌は、家族への愛だった。
家族の支えによって生きてこられたような祖父だが、感謝の気持ちや、家族への想いを素直に言えるような人ではなかった。
祖父の時代の男のひとは、みんなそうなのかもしれない。
でも短歌という趣味を持っていた祖父は幸せだ。
祖父が家族のことを詠めば、自然と愛が伝わるのだから。
歌集が出版されるまで、祖父がどんな歌を詠んでいるのか家族も知らなかったそうだ。
でも歌集が出来上がって、祖母や両親がそれをみたとき、きっと温かい気持ちになったことが想像できる。
そして歳月を経て、祖父の歌は、わたしの心も温かくしてくれた。
歳月を経て、祖父の愛は、わたしの心に確かに届いたのだった。
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