覗かれてもいい。トイレの隙間から見守る母の愛
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:高橋 志穂(ライティング・ゼミ土曜コース)
はじめに言うことではないけれど、書くのは、他愛のない、ある母の日常。
少しだけ共感してくれる人がいたら、嬉しく思う。
私は、トイレのドアを少しだけ開けておく癖がある。
実は、私の母もトイレのドアをちゃんと閉めない癖がある。
母と娘。嫌な癖ほど似てしまうものだ。
トイレに行こうとして先客がいたら、がっかりしてしまうもの。ドアノブに手をかけたにもかかわらず、鍵がかかっていると、
「先に言ってくれよ」
と言いたくもなる。
これが家族だと、がっかりというより、イラっとしてしまう。
少しだけトイレのドアが開いていると、なんとなく使用中だということがわかるから、「鍵がかかっていてがっかり」に比べれば、少しだけロスタイムを減らすことができる。
とは言え、イラっとすることは確かだ。
「なんでいつもちゃんと閉めないのよ」
母に言ったこともある。
思春期の頃などは、トイレのドアをちゃんと閉めていないのが、だらしなく感じてしまうこともあった。
「変な癖。ちょっと気をつければ治せる癖なのに」
そう思っていた。
ところが、自分が母になったら、同じことをしていた。
子どもが生まれ、なんとなく母になった。「母になるための心構え」のような本も読まなかったし、赤ちゃんがいる生活も想像できなかった。
「みんなやっているから、自分にもできるだろう」
漠然と、そう思っていた。
ところが、子どもができたら、それまで当たり前にできていたことが、できなくなった。すっかり忘れていた。私は「みんなが当たり前にできることが、できない人」だった。
美容院に行くこと、ショッピングを楽しむこと、友達に会うこと。できないことは多かった。
おしゃれなママ雑誌を見ると、きちんとメイクをして、手入れされたヘアスタイルのママモデルが子どもと一緒に穏やかな笑顔で写っている。
でも、現実は違う。
メイクをする時間もないし、ピアスをつければ引っ張られるし、美容院に行く時間も作れない。おしゃれをしても、子どもによだれをつけられたり、泥だらけの手で掴まれたり。気がつくと洗濯しやすい服ばかり。
家事はおろか、風呂で髪を洗うのも難しかった。少しも子供から手が離せないし、目も離せないのだ。
目が離せないということは、顔を洗う、髪を洗うことはもちろん、トイレに行くのも難しい。
今思えば、赤ちゃんが泣いたって死ぬわけではない。安全な場所に寝かせておけば、少しくらいの時間なら、大丈夫だと思う。
だけど、初めての子育てでは、赤ちゃんの泣き声が聞こえたら、すぐに不安になって飛んで行ってしまう。
「心配性なだけ」と言われればそれまでかもしれない。でも、常に赤ちゃんが死の危機に晒されているような不安感が、いつもあった。
「寝返りをしてうつ伏せになった赤ちゃんが窒息死した」なんて話も聞くし、
「嘔吐した吐瀉物で窒息死した」「ベッドから転落死した」「おもちゃを誤飲した」など、事故の前例をあげればキリがない。
あらゆる死の危機がそこにあるような気がして、ひとときも気が休まることがなかった。
そんな、心配性な私が考えたトイレ作戦、それが、
「トイレの前に赤ちゃんを寝かせ、ドアを開け放しておく」方法だった。
トイレは、最もパーソナルな空間。誰にも邪魔されない空間である。が故に、お母さんがトイレに入ってしまうと、ドアによって赤ちゃんとお母さんの空間は2つに分断されてしまう。
ドアを開けることによって、2つに分断された空間は、一つになる。赤ちゃんと空間でつながっているという感覚が、私を安心させてくれた。
赤ちゃんと私だけで子育てしていたときは、ドアは全開。誰にも見られることはないからそれでいい。だけど、主人がいる時や、来客がある時などは、そうはいかない。ドアを閉めるように心がける。
しかし、習慣とは怖いもので、「ドア全開」でトイレに入っていた私は、そのなごりで完全には閉めきれず、ほんの少しだけドアが空いた状態になってしまう。
今は、子供もある程度大きくなった。下の子は4歳。一人で遊ぶこともできるし、目を話したからといって、おもちゃを誤飲することもない。
だけど、トイレのドアをほんの少しだけ開けておく癖は、治らない。
「ママぁ。ねえ、ママぁ」
ペタペタペタと子供の足音が聞こえてくる。
少しだけ開いたドアの隙間に、小さい指を入れてトイレの中に子供が入ってくる。
子どもが、私に伝えたいことなど、取るに足りないこと。
「お兄ちゃんがたたいた」だの「あのおもちゃがなくなった」だの「保育園でこんなことがあった」だの「けん玉ができた」だの、そんなこと。トイレが済むまで待ってくれてもいいことだ。
だけど、子供にとって親の気配を感じられることが、安心感につながるのかもしれない。
そんな気がして、やっぱりトイレのドアを少しだけ開けておく。
どんな時でも、子どもとつながれるように。心が分断されないように。
私の母も、私を育てるとき、いろんな不安を感じながら子育てしていなに違いない。
それで、トイレのドアをちゃんと閉めない癖が生まれたのだろう。
母もまた、自分のパーソナルな時間も空間も、子どものために捧げてきたのだなと思う。
母の愛。
私も、トイレの隙間から見守られていたのだな。
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