メディアグランプリ

帰る場所は昼間の星の瞬きの中に


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:川鍋祥子(ライティングゼミ・通信コース)

長野県在住の私は、娘と2人でよく短い旅をする。
 
東京で観たい写真展のハシゴに付き合ってもらうこともあるし、娘のお気に入りの竹下通りで虹色の綿あめに並んだり、
海水浴には小田急線でコトコト江ノ島に行く。そうして深夜、寝息を立てる娘を膝に抱き、新宿から高速バスで長野に帰る。
アナログからデジタルに持ち替えたカメラに残した撮影データと共に。

4年前から、一人娘と共に東京を離れ故郷の長野で暮らしている。11歳の時に父の転勤で東京に引っ越して以来なので、実に30年以上ぶりに生まれた町に帰ってきたことになる。中学、高校の多感な頃から30年余り、今までの人生の4分の3以上を東京で過ごした。
東京にいた頃、写真家として活動している私は「故郷」をテーマに年に数回帰省する度に実家周辺を撮影して作品を作っていた。ネガカラーフィルムを使って中判カメラで撮影し、暗室で印画紙に焼き付ける。何の変哲もない道端の草花、凍る湖、畑へ続く暮れ行く道路、どんど焼きの炎、雪道に佇む母の姿などをデジタルでは出せない微妙な色あいのネガカラープリント(タイプCプリント)で表現し、「幻灯景」(The Views of Magic Lantern)というタイトルで、海外メディアに発表していた。その頃の私にとって、「故郷」とは「美しく、儚く、温かく、滋養に満ちた」何にも変えられない場所だった。帰省し撮影できる一年のうちの数日が、待ち遠しく感じられたものだった。

訳あって、大きな決断を迫られ「故郷」に帰ることにした時も、「故郷に帰れるのだから、もっと撮影ができる」と躊躇なく帰ることを決断した。
しかし実際の30年ぶりの「故郷」での生活は戸惑いの連続だった。運良く、写真を活かせる編集関係の仕事に就けたものの、ペーパードライバーだった私はまず田舎の車社会に慣れなければならず、慣れない道に四苦八苦し、田舎ならではの地域社会の中で小学校に上がった娘のPTAのお母さんたちとの関係に戸惑った。今更だけれど、観たい、買いたい、食べたい、の欲求はすぐには満たされない。
撮りたかった写真に関しても、今思うと「故郷」だと思っていた景色は、心の中の「故郷の幻想」だったのかもしれないと思えた。移り住んで4年、「故郷の幻想」は、みるみる“抜き差しならない「たどたどしい現実」”に変わっていった。写真に収まっていた数々の景色は、そっとそこから姿を消した。心動かされた名も無い道端の花は近所の○○さんの家の庭の花で、急速に別の意味を持ち始めた。子供の頃通っていた懐かしい小学校は普段娘の通う学校になり、凍った美しい湖は、日々の通勤の景色に埋もれていき、その佇まいに思わずカメラを向けた通りすがりの人は、「町内の◯◯さん」という固有名詞になった。そして関係性が変り、カメラを向けるのにそれを説明する理由が必要になった。そうこうして、移り住んで半年も経たない間に「故郷」にカメラを向けることがなくなってしまった。
私は「故郷」に帰って、「故郷」を失った。

早朝、娘と東京に向かう。出発して3時間、バスの窓から飛び込んでくる首都高の景色が懐かしく、きゅうっと胸が締め付けられる。今自分が帰ろうとしているのか、出掛けてきたのか、一瞬わからなくなる。私の故郷は「生まれた場所」なのか「住み慣れた東京」なのか。長野に来て4年、そんなことを考えながら月に1、2度バスに揺られる。

東京に居た頃は、生まれた土地に想い焦がれ、生まれた土地に暮らせば、長く暮らした東京を懐かしみ帰りたいと思ってしまう。
「故郷」とは生まれた土地とは限らず、心に想い描いてほっとする場所なのではないだろうか?「故郷」とは、自分の世界から外にでて、何が一番自分にとって大切かが分かって初めて見つけられる、本当に帰るべき場所なのかもしれない。
そして、その場所は日々の煩雑な生活の中では見えなくなってしまうほどの繊細さで、じっと私たちの帰りを待ってくれている。常に頭の上にあるけれど昼間の太陽の明るさにかき消されて見えなくなっている「昼間の星」のように、普段は見えないけれど常に私たちの傍らに寄り添ってくれている。

日々の忙しい生活の中でも心静かに、夜空を見上げてみよう。「何が一番自分にとって大切なのか」常に自分の心に問い続けたい。その答えが、ここではなかったとしても、まだ見ぬ土地なのかもしれなくても、恐れず自身の心と向き合っていく。その場所を探すことが、私にとっての写真を撮る意味だったのだ。

年に数回の出会いだった時のように、新しい目を持って数年ぶりにカメラにフィルムを通して出掛けてみよう。見えるはずのない「昼間の星の瞬き」を探して。もしかしたら、写真の神様が「ここだよ」と、そっと教えてくれるかもしれない。「昼間の星の瞬き」をみつけるまで、私の写真を撮る旅は終わらない。

10年後、私たちは、いや、彼女と私はそれぞれどこへ帰るのだろう。

娘は10歳。そろそろバスの座席の私の膝には収まらなくなってきた。
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2019-01-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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