月の美しさをわけあえたら
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:江原あんず(ライティング・ゼミ 日曜コース)
「今日はスーパームーンだって。帰ったら、月見しない?」
仕事が終わって携帯を見ると、同じシェアハウスに住む友人からラインが来ていた。月見なんて言葉は辞書になさそうな、外資コンサル勤めの住人から届いた、思いがけないラインに、自然と顔がほころぶ。5歳年下の23歳の彼は、よく一緒にご飯を作る仲良しの1人だった。
「月見って、あいつ、かわいいなぁ」
私はそうつぶやいて、うさぎが親指を突き出しているOKスタンプを送り、帰り道を急いだ。
コンビニでビールとおつまみを買い、シェアハウスの中でも1番のお気に入りの屋上へ向かう。その非常階段をのぼったところにある、おそらく本当は立ち入り禁止のエリアで、友人は待っていた。缶ビールを片手に、すでにほろ酔いだった。
私たちは堅いコンクリートの上に、あぐらをかいて座り、夜空を眺めた。東京の空はまだ明るいけれど、見上げる空の真ん中には、まるい月が凛々しく登っている。スーパームーンは、地球と月が最も近づいたときの満月、というだけあり、確かに、いつもより輪郭がはっきりとし、立体的だった。
「今、この瞬間、どれくらいの人が月を見ているのかなぁ」
私が言うと、
「うーん、日本人が1億3千万人だから、その1割としても……」
コンサル仕込みの彼が、すぐに計算を始める。
「そういうことじゃないんだよー。風情ってもんがないなぁ、あんたは」
私はあきれて、彼の肩をたたいた。
「週末、彼女とまたけんかしちゃった。やっぱり俺たちは、わかりあえないのかも」
プシュ。2つ目の缶ビールを開けると同時に、友人は最近、彼女と上手くいっていないことを話し始めた。缶の中で、ぱちぱちと音を立てて消える泡のように、彼はため込んでいた思いを、一つ一つ、放出していく。
その話を聞きながら、私は過去の、少し若い自分を思い出していた。当時付き合っていた、年上の恋人と、針の先のような小さな点まで、ぴったりと分かり合い、重なり合いたかった私のことを。私は、その人のことがとても好きで、大好きだったからこそ、意見がすれ違ったり、お互いの「普通」が違ったりしたとき、どうしてこの部分はわかりあえないの? と躍起になった。
いま考えると、本当に恥ずかしいなぁと思うけれど、ある晩、私は些細なことでけんかして、真夜中に恋人の家を飛び出した。そして、追いかけてきた彼に捕まえられ、道端で諭され、私は少しむくれたまま、手を引かれて月明かりの照らす道を歩いた。
「きみは、人はわかりあえると信じきっているでしょう。僕の考えは少し違うんだ。僕は、人は、わかりあえない、でも、わかりあえる瞬間があるから、素晴らしい、そう思ってる」
そして、彼は、私の手をぎゅっと握りなおして言った。
「月がきれいだなぁって、今、ふたりとも思っているでしょう? それで、十分じゃない」
はっとした。それまで、私は、自分の目にオレンジに映る月を、彼が黄色だと言えば、彼にもオレンジ色に見えると言ってほしくて、私が月を見ている場所まで、彼を動かそうとしていた。時には、彼が動きたくないと言っても、無理やり、引っ張ろうとして、だからこそ、けんかになっていた。
でも彼は、互いの目に映る月の色が違っても、いいと言う。違う色でも「きれいだね」と月の美しさをわけあえたら、それで、幸せになっていいのだと。
その夜以来、私はわかりあえない部分ではなく、わかりあえる部分に光を当てて暮らした。
「この紅茶おいしいね」「今日、久しぶりに会えて嬉しい」「仕事で疲れてそうだから、話聞いてあげたい」2人の心は思ったより、重なっていたのだ。
結局、その彼とは別れてしまったのだけれど、「わかりあえるではなく、わかりあえない、を前提にする」という、恋愛に限らず、人間関係を結ぶ上で、大切なことを教えてもらったと思う。
「これは、一意見だけど、まぁこういう考え方もあるかなーと思うよ」
私が自分の話をすると、友人は興味なさそうに、ふーん、と言って、ビールをグイっとあおいだ。コンサル思考の彼には、やっぱりロジカルさが足りなかっただろうか。
みんな、見えている月は一緒だと、私たちは、そう信じたい生き物なのかもしれない。例えば、月のデコボコが作る模様を、ある国ではうさぎがお餅をついているように見えると言い、ある国では、ライオンが吠えて見えるという。言語や文化が明らかに違えば、そんな面白い味方もあるのね、と楽しめるかもしれない。
でも、似たような環境で育ち、同じ言葉をしゃべり、その他のところでしっくりくることが多ければ多いほど、自分の見ている景色と同じものを、隣の人も見ていると思いがちになってしまう。そして、同じ景色を見ていないと気づいてしまったとき、勝手にがっかりしたり、相手を責めたりしてしまうのだった。
「ねぇ、これ見て。場所によっては、けっこうきれいに見えるんだなー」
友人は、SNSにリアルタイムで投稿されるスーパームーンの写真を検索していた。同じ東京で撮られた写真でも、私たちが見ている月とは、違う色や形をした月が、画面いっぱいに広がっていた。
「これ、どれも同じ月だよね。同じ月なのに、今、俺たちが見ている月とは、まるで違うものだね。もしかして、今、話していたことって、こういうことなのか……」
覗き込んでいた彼の携帯画面に、ピロリと新着メッセージが届いた。画面の上に出た細長い四角には「月、きれいだよ。ごめんね。仲直りしよう」という文字が浮かんでいた。
まだ、まだ行けるんじゃないの。友人を肘でつつくと、彼は答える代わりに、照れくさそうに最後のビールを飲みほした。
私は、自分が守れなかったものを、目の前で今、これから育てていこうとしている2人へ、心の底でそっとエールを送る。
あらゆる違いを越え、容認したその先で、月の美しさをわけあい、祝福することができたら、きっと人生はスーパームーンに負けないくらい、輝くだろう……。そんな些細な希望に、月光が降り注いで膨らみ、その夜、私たちの心は明るいもので満たされていた。
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