メディアグランプリ

失恋はビールの味


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:江原あんず(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
終わった恋は、ビールに似ている。酔っ払わされて、頭がおかしくなっているから、冷静な判断ができず、記憶も曖昧なのだけれど、舌は簡単に、あの苦い味を忘れてくれない。
 
1月も終わりに近づいていたその日、近所のショッピングモールにあるお寿司屋さんで「失恋ごはん会」は開催された。メンバーは近所に住む、失恋を引きずるカズくんとアサミちゃんとの3人。冬のショッピングモールを彩る青いイルミネーションは、私たちの心に微量の切なさを運んできた。
 
それでもお寿司屋さんに入ると「らっしゃい!」と威勢のいい大将が迎えてくれ、店の明るく雑多な雰囲気に、気持ちがすっと晴れていくのを感じた。
 
「それでは、我々の失恋と、失恋がもたらしてくれた、この縁に乾杯!」
シュワシュワと泡がグラスを登っていく。口に含んだビールは相変わらず苦いけれど、少なくとも、今夜は1人じゃない。
 
「しかし、ここにいるメンバーはみんな傷を抱えているねぇ。あ、マグロ3つでいい?」
ビールをちびちびすすりながら、カズくんは備えつけの小さな紙に、テキパキとお寿司のオーダーを書いていった。
「お味噌汁食べたい。あさりのやつ」
「海鮮サラダも」
好き勝手な3人分のオーダーが、小さな紙に並ぶ。
「とりあえずこれでいこう」
呼び出しボタンを押すと、店員さんが来て、オーダーの書かれた紙を回収していった。
「恋愛もこの注文くらい気軽に、自由に、パパっと進められたらいいのになぁ」
アサミちゃんが独り言のように呟いたその言葉は、いったん宙に浮かび、それぞれの心の奥に深く沈んでいった。
 
カズくんは、長年、同棲していた彼女と別れてしまい、アサミちゃんは好きだった人が地元に帰ってしまい、最後に告白したけど玉砕したという。
 
私はというと、結婚すると思っていた人からフラれ、その恋を引きずっていた。一緒に歩いていたレースを、彼は途中で棄権したいと言ったのだった。ペースを落としたり、休憩をしたりしてもいいから、なんとかこれからも一緒に歩いていきたいと懇願したのだけれど、「もう頑張れない」と彼はそのレースを去っていった。終わったレース会場から、私だって早く出ていきたいのに、なかなか心を入れ替えられず、いつまでもその会場をうろついていた。
忘れる努力を重ねていたのに、いくつ季節が巡っても、彼への想いは消えなかった。そして、冷たい冬の風が「まだ彼が好きなんて、何も変われていないじゃない」と私を責めていた。
 
「前の恋愛はきっぱり忘れて、前に進んだほうがいいよ」
分厚いサーモンをほおばりながら、カズくんが言った。
「カズくんは、もう元カノとは会ってないの?」
「いや、会ってんだよねー。ダメだとは思っていても、誘われると断れなくてさ。でも向こうは、近々、結婚するみたい」
カズくんは、頼りなく笑った。
「自分が一番、引きずってるじゃん」
アサミちゃんと私は、すかさずツッコミを入れて、空になったカズくんのグラスにコポコポとビールを注いだ。
「みんな抱えているのは、純粋な好きという気持ちだけど、私たちの気持ちの受け皿はない。それを認めなきゃね」
アサミちゃんは海鮮サラダを取り分ける手を止めて、自分に言い聞かせるように言った。
 
「もう終わった恋だって、頭ではわかっていて、前に進みなさいって、自分に何度も言い聞かせているの。でも、心が全然ついていかないんだよね」
私はそう言って、お店のオススメだという半透明に輝くサヨリのお寿司を口に入れた。
「わかる」
アサミちゃんとカズくんが、口をそろえて共感し、深くうなずいた。
 
そして、少しの間、沈黙があってから
「でも、それだけ、全力で相手を好きだったということなのではないでしょうか。それはそれで、誰がなんと言おうと、すごくて、美しくて、尊いことなんじゃないでしょうか」
カズくんがそう言って、コップに残っていたビールを、クイっと飲み干した。
 
サヨリのワサビが利きすぎていたせいだ。私は涙目になりかけ、2人に気づかれないよう、喉に込み上げてくる熱い感情に、ビールを流し込んで蓋をした。
 
「にしても、お寿司はうまいね。まぁ、ご飯がおいしく食べられるうちは、まだ大丈夫ってことだ」
グラスを置くと、カズくんが穏やかな笑顔でこちらを見ていた。
マグロ5点盛りに入っている大トロをめぐって、ジャンケンをしたり、最後に残ったエビを譲り合ったりしながら、その合間に、お互いの後悔や未練、反省について話した。
終わった恋なのに、みんなまだほろ酔いで冷静になれないから、口をついて出る言葉は感情的で、主観的で、ほとんど論理的じゃない。そして、飲み干したつもりなのに、まだ口の中を占拠する苦い味を、いつまでも舌の上で転がしてしまう。忘れたくても、忘れられない、その苦味を。
 
お腹もいっぱいになってきて、あがりが運ばれてきたころ、
「来年の今ごろ、私はこの会には参加してないもんねー! きっと幸せをつかんでる!」
突然、アサミちゃんが宣言し始めた。
「じゃあ、俺も! 俺も幸せになります、来年は」
「私も!」
 
分厚い湯のみを高く上げ、失恋が結んでくれた今夜の絆に、再び乾杯をした。
好きな人と別れ、ぽっかりと空いた心の穴を誰もが持ち合わせていたからこそ、今夜、3人は通じあえることができた。そしてそこには、同じ痛みを抱えているからこそ紡ぐことのできた、油断するとすぐ心細くなってしまう私たちにとって、涙が出るくらい温かく、優しい時が流れていた。
 
帰り道、また同じように、ショッピングモールを飾る青いイルミネーションが、私たちを見守っていた。行きには、切ない気持ちを運んできたその装飾たち……それはお腹と心を満たされ、3人で仲良く腕を組んで歩く帰り道には、来年の今ごろにはきっと、失恋を乗り越え、新しい人生のステージにいるだろう、という希望の光に見えた。
寒い、寒い! と騒ぎながら、私たちは肩を寄せ合って家路を急ぐ。一眠りすれば、酔いも覚めていき、舌に残るビールの味だって、だんだんと薄れていくことを信じながら。
 
*** この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。 http://tenro-in.com/zemi/70172

天狼院書店「東京天狼院」 〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F 東京天狼院への行き方詳細はこちら

天狼院書店「福岡天狼院」 〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階

天狼院書店「京都天狼院」2017.1.27 OPEN 〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5

【天狼院書店へのお問い合わせ】

【天狼院公式Facebookページ】 天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


2019-03-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事