メディアグランプリ

逃げ出したい時に唱えている呪文がある


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記事:藤村薫(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
今から、もう10年くらい前の話だ。
友人が、高校時代から十数年の付き合い続けた大好きな彼と結婚した。
「結婚して、何が一番良かった?」
少しして新居に遊びに行った際、新婚らしい甘い答えが聞けるのかなと思いながら聞いた私に、間髪入れず返ってきた答えは、「いつ仕事を辞めても大丈夫だって思えたことかなあ」だった。
まだ体力的にも余裕があり、学生時代からずっと憧れていた仕事に就いてバリバリ働き、仕事を辞めるためだけに婚活を続けていた先輩を批判していたはずの彼女の言葉に、とても意外な気がした。
確かにハードな職種で、嫌なこともプレッシャーもストレスも山ほどあったし、盛大に愚痴をこぼしながら酒を飲むことだってあったけれど、やりがいも同じくらいあると言っていた。
私もそうだったが、「辞めてやる」などと息巻いたりはしても、生活のことなどを考えると実際に辞める意思も勇気も気力もなく、とにかくがむしゃらに目の前の仕事をこなしていたはずだった。
だから、首を傾げながら質問した。
「じゃあ、仕事、辞めちゃうの?」
すると、彼女は微笑みながら首を横に振った。
「ううん、辞めないよ。いつでも辞められると思ったら、逆に嫌なことも前より平気になったの。だから、ずっと続けるんじゃないかな」
その時は、彼女の言っていることが良く分からず、曖昧な返事で終わってしまったように記憶している。
 
数年経ち、私は別の職場に移った。
なかなか問題も多く、忙しい仕事だったが、ダブルワークをしている同僚が数人いた。
駅での案内係や、ネイリスト、ペットシッターなど、職種はバラバラだったが、ストレスの多い仕事を終えた後、または休日に更に働こうと思うその意欲にびっくりして、私は「何故そんなに頑張れるのか」と聞いた。
好きでやっていることだから、というのが共通した回答だったが、もうひとつ、全員が口にしていた言葉があった。
「ここが嫌になったら、いつでも辞められるし」
それは、今いる事務職の仕事場を辞めても収入が0になるわけではないこと、すべての人間関係が断たれるわけでも居場所がなくなるわけでもないこと、など、いくつもの意味があるようだった。
「逃げ場があると思うと、腹が立つことがあっても頑張れたりするよね」
そして、ペットシッターをしていた同僚がそう言った時、私はようやく「そう言えば数年前に似たようなことを聞いたな」と思い当たった。

逃げられないと思うから頑張るのではなく、逃げられると知っているから頑張る。
ちょっと矛盾しているようにも感じたが、考えているうちに、ふと、私も同じような経験をしていたことに気付いた。
 
辞めたいと口走りながら必死で頑張っていた職場を、ついに離れると決め、引き継ぎに入った頃のことだ。
私の退職を快く思わない先輩や上司から嫌がらせのようなことをされて、とても気が滅入っていたし、あまり体調も良くない日が続いていた。
けれど、辞めると決心する前より状況が悪化しているにも関わらず、「あと1ヵ月だから」と思うと、不思議と苛立ちも少しは和らぎ、残務整理に集中することができた。
私のケースは友人たちのそれとは少し状況が異なるけれど、その時やっと「いつでも辞められると思えば、もう少し頑張れる」という言葉の意味が自分のこととして理解できた気がした。
 
あれから更に数年が経って、私はまたも仕事場を変わることになった。
そう長い期間ではなかったが、無職となって収入が途絶えた時期もあった。
それでも、今では多少のトラブルがあろうとも、イライラする相手がいようとも、限界までストレスを溜めることはなくなった。
それは、その気になれば、いつでもここから逃げだせる、ここでなくとも私は生きていける、という確信があるからだろう。
逃げ出す先は、例え衣食住を保証してくれる家族でなくとも、好きで続けている副業でなくとも良い。
没頭している趣味だったり、自分を理解してくれる友人だったり、いつか行きたい旅行先などの目標だったり、予想外の事態が起きた時への備えとしてよく言われる「半年分の生活費と同額の貯金」など、なんでもいい。自分を支えてくれる、自分だけのなにかがあれば、踏ん張れる確率も高まるように思う。
そして、どうしても無理だと思ったら、実際に逃げてしまえばいいのだ。
 
4月から、新しい環境で今までとは違った生活が始まる人も多いだろう。
自分は変わらなくても周囲に変化が起きる場合もあるだろう。
慣れないところで気持ちがささくれ立つ時もあるだろう。
そんな時は「別に逃げてもいいんだ」「私にはあれがある」と思うことで、少し優しくなれたり、落ち着いたりするかもしれない。
私も周囲に大きな変化があるが、最終的に逃げ出しても逃げ出さなくても、その呪文を胸に、毎日を乗り切っていこうと思っている。
 
 
 
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2019-04-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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