「仲間はずれ」になった記憶
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:やまもととおる(ライティング・ゼミ平日コース)
小学校5年生と、中学校1年生の2回。
かなり長期間、クラスの友達から「仲間はずれ」にされた。
それも、多くの友達から。
季節外れの大掃除をしていたら、子供の頃のアルバムが目に留まった。
カメラ目線ではしゃいでいる写真も多かったけれど、
その中に、何故か遠くを見つめて、寂しそうな表情をしている自分の写真が、数枚あった。
それを見ていて、ふと、思い出してしまった。「仲間はずれ」になった時のことを。
「何故、あんなことになってしまったんだろう?」
それがいつから始まったのかは、よく覚えていない。
なんとなく、自然に始まったんだろうか?
クラスでは、よくあることだったんだろうか?
そんなことは、ないはずだ。
その頃の学校は、まだそんなに荒れていたわけではなかったからだ。
小学校5年生。
兵庫県宝塚にあった、ある公立小学校。
戦後20年経っていたが、まだまだ難しい家庭環境を抱えながら学校へ通う生徒が大勢いた。
生活保護や母子家庭もかなりあった。沖縄から職を求めて引っ越してきて、苦労して働いているご家族も多かった。みんな、生活が楽でないなかで、必死に子供を学校へやっていた時代だった。
学校では、様々な事件が起こった。
1年生。登下校途中や夏休みの生徒の死亡事故が、連続してあった。池に落ちて同級生が水死したり、道路横断中の自動車事故で上級生が亡くなったりした。
2年生。卒業生が夜に学校へ忍び込み、放火する事件が起こった。テレビで突然、校舎が燃えているというテロップが出て、驚いて学校の方角を見ると、夜空が炎で赤く染まっていた。
5年生。男性の担任先生が、個人的な恋愛問題で悩んで突然失踪した。朝登校したら、黒板にクラス生徒へのお詫び文が、チョークでなぐり書きしてあった。それ以来、その先生とは会っていない。
塾に行く生徒は殆んどいない。授業はなかなか進まない。全く同じ算数の問題や漢字の書き取りが、何回も何回も宿題に出る。
そうした中で、後から考えれば、僕はとても異質だった。授業がゆっくりなのが凄くイヤだった。
週1回、他校の校長先生に勉強を見てもらっていて、その影響で「皆が行く中学には行かず、私立を受験したい」と言い出した。その小学校では、5年間、全くそんな生徒はいなかったらしい。
通っていたその公立小学校は自分には合わない、と親も自分も、勝手に思っていたのだ。
本当に、そうだったのだろうか?
僕は、小学校の宿題は無視していた。授業でもあまり発言しなかった。テスト前も勉強しなかった。
授業で指名されれば、即興で答えた。他の生徒や先生にも、宿題をサボっているのはまる分かり。
先生も扱いに困っていただろう。でも、答えは大きく外さないから、先生も叱りようがなかった。
本当にイヤな子供だった。
今から考えれば、僕は、偉そうで、生意気で、鼻持ちならない子供だったんだろう。
「仲間はずれ」に「された」のではなく、自分で勝手にそう「なって」いただけだ。
「学校が合わない」のではなく、「自分が学校から浮いていた」のだと、今になって思う。
中学校1年生。
運良く合格できた、そこそこ名の通った中高一貫の男子校。
逆に、そこは、めぐまれた家庭の子供達が集まり、毎日生徒間で競争している学校だった。
授業が凄いスピードで進んでいって、内容も面白い。なんせ、中学3年生までの教科書を1年生で全部終えてしまうのだ。ビックリしたけれど、授業ではどんどん手を上げて発言や質問をした。
ようやく、自分の居場所ができた、と勘違いして喜んでいた。
しかし、そこでも、すぐ「仲間はずれ」になってしまった。
宿題やテスト前の勉強は、やはり殆どやらなかった。
中間試験や期末試験の点数や順位が公表されて、当然の如く、点数や順位はかなり低かった。
ビリから数えた方が早い。僕は全く平気だったが、クラスの友達は許さなかった。
「勉強ができないくせに、授業で目立とうとするな」ということになった。陰湿なイジワルも受けた。
耐えることはできたけれど、「仲間はずれ」の間は、とても悲しくて辛かった。
ここでも、僕は異質だったのだと思う。
普通は、テスト前は一生懸命勉強して、いい点を取るために素直に頑張る、モノらしかった。
世の中で「仲間はずれ」にあうケースは、それぞれで事情や背景は違うだろう。
本人には何の罪もないけれど、「仲間はずれ」にされてしまう事例が圧倒的に多いのだろう、と思う。
でも、僕のケースは違う。
第一の原因は、自分自身にあったからだ。
人に対してオープンでなかった。
真面目に準備もしないのに、目立ちたがり屋だった。
できないことがイヤで、無理をしてイイカッコした。
友達に対して、上から目線だった。
イジメられても必死の抵抗はせずに、相手をバカにしたような態度をとった。
そんな奴が、好かれるはずがないだろう。
あれから数十年が過ぎて、幸いにも、家族ができ、多くの友人もできた。
仲間と一緒に充実した仕事をして、また楽しく遊びながら、毎日を過ごせている。
周りには、家族がある。先輩もいる、同僚もいる、若い人もいる。男性も女性もいる。
でも実は、「昔と同じ轍を踏まないよう、気をつけなきゃ」と、常に考えている。
「人間の本質は、そう変わるものではない」はずだからだ。
「イヤな奴は、一生イヤな面を持ったまま」かもしれないのだ。
常にオープンであれ。自分だけ目立とうと思うな。人の話を謙虚に聴け。メンバーの力に頼ろう。
でも理不尽な目にあったら、逃げずに真正面から対峙して、自分の思いをきちんと冷静に伝えよう。
とは思うものの、つい頭に血がのぼったり、調子に乗ったり、イライラしたりすることも多い。
そんな時に、後で考えれば、冷や汗ものの暴言を吐いていることがある。危ない、危ない。
子供の頃の寂しい思いを、二度としないために。
そのためは、自分自身が本当に変わることが必要だ。
改めてそれを肝に銘じて、あと何十年かの人生を、一日一日大切に過ごしていたい、と思う。
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