本には面白いことなんか書いてない
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【6月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:吉田史香(ライティング・ゼミ日曜コース)
「お母さんのおしっこに布を浸して、それで湿布をするのが一番効きます。」
と、落馬して腕を痛めた女の子に向かって、ザヤさんはにこやかに言った。
「お母さんのおしっこは何にでも効くので、病気のときには飲むこともあります。」
ザヤさんは、普段はモンゴル、ウランバートル市内の国立大学に通っている女子大生で、夏休み期間は日本語でツアー客を相手に通訳をしている。つまり、モンゴル国内でトップの大学に通っており、語学も堪能。いつもにこにこしていて可愛らしい女性だ。
お母さんのおしっこを飲みます、と当然のように言い放つ彼女を前に、日本人の私たちは思わず顔を見合わせた。
モンゴルに行ってきました、という話をすると、大抵の人はなぜ、と問いかけてくる。
私はいつも、何となく行ってみたかったので、と言うしかないのだが、その気持ちのきっかけとなったのは一冊の本だった。この本さえなければ、私はきっとモンゴルには行かなかった。
たまたま書店で手に取った本に、モンゴルの草原に生えている草はハーブなので、モンゴルに吹く風はいつもハーブの良い香りがする、と書いてあるのを見つけたのだ。モンゴルについての本ではない。カフェの店主から女子高生まで、さまざまな「普通の人」にインタビューした内容がまとめられた本だった。
モンゴルの本ではないのだから、モンゴルについて書いてある文などほんの一部だ。それでも私は、強烈にモンゴルに憧れてしまった。一度自分自身で、草原に立ってみたい。実際にその風を感じてみたい。
そう思っていた矢先、再びたまたま手に取った本では、その本の著者が少し変わったモンゴルツアーを主催しているという記載があり、調べるとちょうどその3日前にツアーの申し込みを開始したばかりだった。
これが運命でなかったら何なのか。半年後、有給休暇がとれる保証もなかったが、私はすぐにツアーに申し込んだ。
参加したツアーでは、市内の観光はほとんどない。4日間遊牧民の人たちと暮らし、午前も午後も馬で草原を駆けた。モンゴルの遊牧民の間で古くから作られているチーズなど様々な乳製品を作り方を習い、夕食作りを手伝い、ゲルの建て方を習った。羊を絞めるところも見学させてもらった。
遊牧民の子どもは5歳から仔馬を乗りこなしているのに、思った以上に乗馬は難しかった。何しろ、馬も生き物である。日本から来たばかりでおっかなびっくりの私たちの言うことなど聞くつもりもないようで、歩いている途中で勝手に立ち止まって草を食べ始めたり、疲れたと言わんばかりにごろりと横になってしまったりする。
それでも時間が経つと参加者の全員が自分で乗れるようになり、馬も言うことを聞いてくれるようになってきた。馬の上から雄大な草原の景色を楽しむ余裕も出てきた、そんなときだ。
両親と一緒に参加していた小学生の花ちゃんが、馬から落ちてしまったのだ。
馬は臆病なので、ちょっとした音などで驚いて走り出してしまうことがある。驚いて一頭が走り出すと、それに驚いた他の馬まで走り出してしまうことがある。振り落とされないようにつかまり、さらに手綱を強く引いて落ち着かせなくてはいけないのだが、花ちゃんは耐えきれず落ちてしまった。幸い大きな怪我は無かったものの、手首をひねってしまい、帰り道は遊牧民の男性の馬に一緒に乗せてもらって帰った。
夜、湿布などの薬はないかと尋ねた花ちゃんのお母さんに、通訳のザヤさんはお母さんのおしっこが一番、と言ったのだ。いつもと同じ、可愛らしい笑顔で。
その場に居合わせた私たちは顔を見合わせた後、花ちゃんのお母さんの顔を見た。お母さんもぎょっとした顔をしている。当然だろう、今すぐおしっこを出してそれをここに持って来い、と言われているのだから。
絶句している私たちに、ザヤさんは代替案として紅茶を煮出して湿布にするのも、おしっこほどではないが効くと教えてくれた。
「花、どうする? どっちが良い?」
「……紅茶にする……」
お母さんはためらいながらも花ちゃんに決断をゆだね、花ちゃんが紅茶の方が良いと言ったので、無事、紅茶の湿布を作ってもらうことになった。
濃く煮出した紅茶に塩を混ぜ、布に染み込ませて患部に巻き付ける。包帯越しに染み出してくる茶色い液体に、花ちゃんは困った顔をしていたが、翌朝にはもう良くなったと元気に遊んでいた。
遮る物が何一つない、満天の星空。走る馬の息遣いと、馬の上から見る景色。唐突に相撲を取り始める遊牧民の男の子たち。自分たちで建てたゲルに雑魚寝したこと。血の一滴も無駄にせずに羊を絞める技術を目の当たりにしたこと。見渡す限りの草原と、吹き抜ける風。ハーブが香る空気。怪我にはおしっこが効くらしいということ。
全部、モンゴルに行ってみるまで、私は本当には知らなかった。
読書好きです、と誰にでも胸を張って言える私だが、文字を読んでもわからないことは確かにある。本は、単に知識を与えてくれるものではないから。
本を読もう。本を読んだら、次にすべきことはその本を閉じることだ。
本を閉じたら、外に出よう。外に出て、本に書いてあったことを確かめに行こう。本当に面白いことは、本には書いていないのだから。
***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
http://tenro-in.com/zemi/82065
天狼院書店「東京天狼院」 〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F 東京天狼院への行き方詳細はこちら
天狼院書店「福岡天狼院」 〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
天狼院書店「京都天狼院」2017.1.27 OPEN 〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
【天狼院書店へのお問い合わせ】
【天狼院公式Facebookページ】 天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。