「うるさいおばさん」はカッコいい!
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:したみあきこ(ライティング・ゼミ平日コース)
子どものころ、怖いおばさんがいた。
通学路の途中にある駐車場にいたおばさん。怖いけど嫌いではなかった。
悪いことをしなければ怒られることはなかったからだ。
駐車場が角にあったので、よく子どもたちがショートカットのために中を通ったりすると、怒られていた。遅刻しそうな時間にのんびり歩いていると、「早く行きなさい」というような事を言われていた。
それ以外は、「おかえり」とか「今日は遠足ね」とか声をかけてくれていて、理由なく怒る人ではなかった。
だから、嫌いじゃなかったけど子どものころはその怒る『理由』というのがはっきりわからなくて、おばさんの前を通るときに少しドキドキしていたのを覚えている。
というのを思い出したのは、この記事を書いているつい数時間前、近所の顔見知りの中高生に
「人の駐車場に入らない」
と、注意したことによる。
私が住んでいるアパートの駐車場がわりと子どもたちが溜まり場にしやすいようで、よくたむろしている。
まったく知らない子もいるけど、知っている子もよくいる。
二年近く悩んで悩んで様子をみて、そして今日、駐車場まで階段を下りて見に行ってみた。
夫が車で外出していたので、うちが契約しているスペースとその隣も不在だったので、二台分の駐車場でのびのびとシャボン玉で遊んだりしていた。
――楽しそうである。
近所の顔見知りの子と目があったので、ひらひら手を振りながら近づいて
「ここは人が契約している駐車場だから遊ぶのはよくない。騒ぐのもあまりよくない」
というような事を、叱る口調にしないように心掛けながらも、できるだけ真顔でお伝えしてみる。
子どもたちが、思ったより素直に聞いていて、
「じゃ、シャボン玉もダメなんですか」
と聞いてきたので、これ幸いと「ほかにも駐車している車があって、汚さないとは言えないから、あまりよろしくないと思う。そもそも、車の持ち主からしたら汚されないかなとか不安にはなるでしょう」とゆっくり説明すると、それもわりと素直にうなづいてくれた。
そして少しして子どもたちはいなくなっていた。
ああよかったと思うよりも、もっとちゃんと言えなかったのかと後悔しきりで、しばしへこんだ。
もう少しきちんとダメなものはダメと注意できなかったものか。そして今の時代、子どもたちが遊べる場所が少ないのも確かで、シャボン玉はうちの窓まで飛んできていたけど、とても可愛いシャボン玉だった。
この出来事があって、冒頭のおばさんを思い出したのだが、昔は私も人の中っ射場を通ってはいけないと怒られても、何が悪いのかわからなかった。
車が停まっていないスペースをすり抜けて通らせてもらっているだけなのになぁと思っていた。
でも怒られるからダメなんだろうなとだけ、感覚的に理解した。
契約とはなんだとか、駐車場で契約者以外が無断で入って車を汚したり傷つけたりすると面倒だとか、そこで事故が起こったら更に面倒だとか、頭で理解できるようになるまでは、おばさんに怒られたことを思い出して行動していたように思う。
うるさく怒られてきたからこそ、今まで人の駐車場で他人に迷惑をかけずに生きてこられたのだ。
あの頃はわからなかった事を、今は大人として理解して行動できていることが、あの思い出のおかげで実感できた。
同時に、今日注意した子どもたちも悪気ではなく、なぜ駄目なのかがわかっていないというだけだ、ということも思い至ることができた。
思い返すと30代に入ってから特に、親や祖母、親せきのおじさんおばさん、注意されたり怒られたりしたことことについて、
「ああ、あのころ母や祖母たちが怒っていたのは、こういう意味だったのか」
と気づくことが増えてきたように思う。
むかしは嫌だった
『勉強したの?』
『片付けしなさい』
『掃除しなさい』
『早く寝なさい』
などの当たり前的注意が、いかに生きるために大事だったか。
割と最近のお小言は『早く結婚を』で、だいぶ逃げ回っていたけど、結婚した今となっては親たちの言いたくなる気持ちもわかる。
本当に些細なことだけど、あの頃「勉強したの?」は、私の将来を考えてのことだし、「片付けしなさい」はすぐ物を無くしたり忘れ物する私の生きる知恵だったわけで、私が将来困らないようにとという忠告ばかりだ。
今、私には子どもはいないけど甥たちに時々話をする。
「なれる職業が増えるから、役に立たないと思ってもお勉強しておきなさい」
「早く寝ないと、脳みそが成長しないから子どもはちゃんと寝なさい」
すると甥たちは、面倒くさそうに、嫌々話を聞いている。
まだ小学生と高校生だからわからないかもしれないけど、ちゃんと将来自立できて、一緒に人生を歩んでいきたいと思える伴侶を選んで生きていけるといいなぁと思う。
いや、結婚はするしないは個人の考えだけれども、親や叔母である私は先に死ぬわけなので、自分で生きていくことができますようにと、切に願う。
そうなって初めて、あの頃の母や祖母、親せきの叔父叔母たちのお小言がよみがえる。
私のなかに母がいる。祖母がいる。叔父叔母がいる。駐車場のおばさんがいたなと感じることができる。
昔、私を叱ったり怒ったりしてくれた人のおかげで、私はいまこうして生きている。
今度は私が、うるさい(けど嫌いじゃない)おばさんになって、いつか子どもたちが成長したときに『あのお小言はこういうことか!』と思われるようになりたい。
どのお小言が、誰の人生にヒットするかわからないから、私の人生経験をかけてダメだと思うことは言い続けよう。
あの駐車場のおばさんのように、怖いけど嫌いじゃない、を目指していこうと思う。
未来へつながるって、こういうこともあるのだなと実感した今日一日の出来事だった。
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