誰かが覚えている限り人は死なない
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記事;ヒロ(ライティング・ゼミ日曜コース)
10日前、母が亡くなった。
「すぐ来て。お母さん、息が弱くなってきた。もうすぐかも知れん」
姉からの電話で病院に駆けつけると、息が明らかに弱くなり、血圧も下がり初めていた。姉と僕と姪は、母のそばで静かに見守っていた。
しばらくして、母は息をしなくなり、心電図のモニターも振れなくなった。
お医者さんが病室に来て、
「瞳孔の反応がありません。お亡くなりになりました。1時56分です」
と死亡を宣言された。
ふと、壁の時計を見ると、1時54分だった。お医者さんの腕時計の時間が少し進んでいたようだ。心の中で「正確にいこうよ。正確に」とつぶやいていた。
僕はなぜか冷静だった。
1週間前から、ご飯が全く食べられなくなり、モルヒネを投与し、寝ていることが多くなっていた。
いつ緊急な事態なるかわからない状態で、姉といざという時の対応の相談を始めていた。
母は、生前、葬儀は、家族葬で、僕と姉、その子供たちが参列してくれればいいと言っていた。母の兄弟はすでに亡くなっていたし、一番の理由は、葬式で子供に負担をかけたくないからだった。
姉は葬儀場を調べてくれていた。小さな葬儀場から、駅近くの葬儀場まで、メリット、デメリットがよくまとまっていた。
葬儀場は、結局、駅前のよく知っているホールにした。
葬儀で、特別なことをするつもりは全くなかったが、普段見慣れた葬式で、近所の親しい人には参列して欲しかったので、一般の葬儀場に落ち着いた。
唯一、自分がこれまで参列してきた葬式と違っていたのは、通夜式をしなかったことだった。
母はここ数ヶ月、施設に訪問するたびに、「家に連れて帰ってくれ」としか言わなくなっていた。その度、「また今度」と言ってごまかしていた。病院に入院して、ご飯があまり食べられなくなってからも、「このまま病院にいたら死んでしまう。家に連れて帰ってくれ」と訴えていた。僕は、「すぐ帰れるよ。だから、一口、ご飯食べて」と言った。母は「本当?」と言って嬉しそうだった。
通夜式をしない理由は、葬儀場で一晩明かすことが体力的に辛いと、義理の兄が心配してくれたためだったが、僕は母を家に連れて帰れるので、家で過ごせるので、すぐ賛成した。
通夜式はしなかったけれど、近所の人や昔親しかったが人が来てくれて、思い出話をしてくれた。とても懐かしい気持ちになった。
和尚人が、枕経を読み、納棺師の方が、湯灌(ゆかん)をして、体を洗って綺麗にしてくれた。着替えをさせ、化粧をして、母の表情が穏やかになっていた。葬儀屋さんとの打ち合わせが終わると、姉夫婦も姪も帰り、母と二人きりでその夜を過ごせた。
葬儀の日の朝、葬儀社からワゴン車でお迎えがきて、葬儀場に向かった。
その葬儀場の葬儀は何回も参列しているので、見慣れた風景のはずだった。
しかし最上に入ると、そこにはお花畑のように一杯の花があり、その中心に元気だった頃の母の笑顔の写真が飾られていた。ここ数年は病気に苦しんでいた母のイメージしかなかったが、その光景を見て、元気だった頃のことを思い出し、とっても幸せな気持ちになった。
葬式は葬儀社が段取り通りに進んでいく。和尚人さんの唱えるお経は、まるで音楽のように心地よかった。
いとこたちも遠くから駆けつけてきてくれた。父の葬儀以来20数年振りに会って、とっても懐かしい。参列してくれた人には、子供の頃に遊んだ同級生もいた。子供の頃、親戚のおじさんやおばさんが家に来てみんなでご飯を食べたこと、友達が遊びに来たこと、そんなことを思い出して、なぜか涙が出て来た。
うれしいのか、悲しいのかよくわからなかった。
喪主の挨拶は、昨日、葬儀社からもらった文例集を練習していたが、その文章は出だしの部分だけで、あとは、その時感じていることを挨拶として話した。
参列者の立場から見ると、いつもの見慣れた葬式かもしれないが、僕には全く違った風景に感じた。今回通夜をしなかったので、葬式に参列するために会社を休んで来てくれた方もいる。母にとっても、きてほしい人がきてくれて、喜んでくれていると思った。いい葬式ができたんじゃないかなと思っている。
そして、母の遺骨は、優しい笑顔の写真とともに家にある。毎朝、お供えをして、線香をあげるたびに、優しかった母のことを思い出している。
「リメンバー・ミー」というディスニーのアニメ映画を思い出した。誰かが覚えている限り人は死なないというということをモチーフにした映画だ。まさに僕が覚えている限り、母は、僕の心の中で行きている。
母は、優しくて、人を楽しい気持ちにさせる、人に気を配ることの達人だった。
まだまだ、母から学ぶことが残っている。これからの人生、新しい気持ちでチャレンジしていく。そして自分が死ぬ時に、改めて母に感謝を言おうと心に誓った。
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