メディアグランプリ

しあわせの秘本


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:橋本菜奈((ライティング・ゼミ夏休み集中コース)
 
 
※これはフィクションです
 
 
「もうなんなのよ!あのポンコツ部長!肩書きとやってる事があってないってーのっ!」
裕子は家に帰るなり叫んだ。
裕子の会社は大規模な立て直しを計って、最近役職者を外部から連れてきている。そういった役職者たちは現場の実態より理論で動く。その事に現場の人間は「現場も見ねーで何を」と反発する。そして裕子たち本社の下っ端の人間は、現場と上部の板挟みになり、余計な軋轢や混乱を生んでいるのが今の状態。裕子以外も職場の同僚はかなりのストレス状態に追い込まれている。
 
 
郵便もほっぽり出して、ベッドに倒れ込むなりクッション相手にボクシングをかましていた裕子はふと、郵便受けに小包が入っていたことを思い出した。ダークブラウンの上品な箱のそれは数日前にインターネットで注文した本だった。内容・作者・出版社すら全て不明だったけど、読者の感想欄には
「この本に救われた!」
「人生が大きく変わった」
などと書かれており、半信半疑ながらも今の裕子の心理状態にとても深く刺さるものがあった。
正直、仕事以外でも最近は参っていた。三十路をひかえた裕子には3つ上の健太という彼氏がいた。付き合いはかれこれ5年ほどになるが、未だ結婚の話がない。それとなく話題を振っても「まだ大丈夫だろ」というふうに流される。一方で裕子の周りは結婚ラッシュで、先日も同級生の真弓の結婚式にでてきたばかりだ。どうしても30までにとは思わないが、こうも続くと自分だけがおいていかれるようないやな焦燥感に襲われる。
 
 
箱を開けてみると、案外シンプルな真っ黒の表紙の本が出てきた。まずは目次でもと本を開いて、優子は固まった。
「なにこれ……?白紙……?不良品じゃないの?」
しばらくの間は光の加減を変えたり、裏返してみたり、何か仕掛けでもあるんじゃないかとパラパラとページをめくっていた。しかし白い紙はただの白い紙だ。少し考えた末に、日記にでもしようかとも思ったが、正直まめな性格でもないので面倒くさい。そのうち何もない白ページを見ていたら、バカにされたような気がしてきて、だんだんと腹が立ってきた。このままでは気持ちの納まりがつかなくなりそうだったので、考えるのは後回しにして、その日はもう寝ることにした。
 
 
週末、購入元にクレームを入れようと再び本を手にとった裕子はまた固まってしまった。製品番号などを確認するために奥付を見ようとしたのだが、最初の数ページに文字が書かれていた。しかも日記のように、本が届いた日から毎日の裕子の日常が克明に書かれている。
 
 
「やだ、きもちわるい……」
と言葉に出したものの、その文字を目が追ってしまう。そしてある一文に目が止まる。それは先日、あの部長から理不尽な指示を受けた日の内容だった。
 
 
『その時、部長は指示の理不尽さを自分でも感じつつ、こう考えていた。「オレだってもっと現場の人の話を聞いて、自分なりに最適解を見つけたいよ。でも、上は経費節減だなんだって行かせてくれないし、現場は反発して情報出してこないし。もう……胃が痛い……」』
もしかして、と思う。この本に書いてあることを改善して行ったらうまくいくんじゃないか。残念ながら未来のことは書かれていないようだが、今は藁にもすがりたい思いだ。やってみる価値はある。
 
 

それからの日々は見違えるように変わった。
それまで行き詰っていた仕事がスムーズに回り始めた。
同僚からは「裕子さん、なんであの人の考えていることわかるんですか?」と聞かれ、健太からは「最近イキイキしてるね」と褒められた。
健太との仲も前よりも順調だった。秘本に書かれた健太の気持ちから、おだてたり、なだめたりしているうちに、5年間の付き合いでもわからなかった健太の気持ちが次第にわかるようになっていた。
そのような日々を過ごすうちに、ついに裕子が恋焦がれ、待ちに待ったその日が来た。
「オレたち結婚しないか」
言葉はシンプルだったが、それが健太らしくて心に沁みた。それから始まった結婚準備は必ずしもいいことばかりではなかったが、ケンカすることも前ほど怖くなくなった。むしろ、ケンカすらも二人の仲が一層深まった証拠のように感じられた。紆余曲折、仕事をしながらの結婚準備は夜更かしすることも多く、大変だったが、いざ本番直前になると長かったようで、一瞬で過ぎ去ってしまったように感じた。
 
 
「おめでとう!」
「裕子先輩、おめでとうございます」
皆から祝福される結婚式は最高のものだった。
本当に幸せだった。
ようやくここまで来たんだ、という実感が今更ながら湧いてきた。
秘本様様。あの書評は嘘ではなかった、と裕子のこぼれんばかりの笑顔は語っていた。
 
 
そうして式も終わったある日、あの本がいつも置いてあるところになかった。健太がどこかに片付けてしまったのだろうかと、本棚、引き出しの中、テレビの下、カバンの中とありとあらゆる場所を探し回ったが見つからなかった。まぁ、今これだけ幸せなのにあの本に頼るのもなんだかね、と改めて考えてみたりして。
ふと見上げると机の上にあの本の表紙と同じ色の封筒が置かれていた。こんな封筒あったかな、と思い開くとメッセージの書かれた一枚の便箋が出てきた。
『この度は弊社のサービスをご利用頂きまして誠にありがとうございました。お客さまが今後も良き人生を歩まれることを心よりお祈り申し上げております』

 
 
 
 
 

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2019-08-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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