人生の岐路
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
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記事:深谷百合子(ライティング・ゼミ日曜コース)
人生の岐路は、いつも突然やってくる。
私が初めてそれに直面したのは、23歳の時だ。
入院した母が末期の癌で余命半年と告げられた。当時私は1年の浪人生活を終えて、大学院に合格したばかりだった。ただ、合格したとは言え、晴れやかな気分ではなかった。大学院で何をするのか、はっきりした目標が無かったからだ。そこへ母の病状の知らせが来て、私はとりあえずの荷物をまとめて実家に戻った。
母の癌は骨に転移していて、入院した時には体を動かすことができなかった。介護が必要な状態だ。父は単身赴任で働いているし、弟はまだ大学生だ。私しか母の面倒を見ることができない。それに、大学院に入ったといっても、やりたい事はなく、正直億劫な気持ちしかなかった。私は母の看病を口実に退学を考えていたが、ひとまず休学することにした。
私の両親は二人とも大学で教鞭を執っていたから、子供にも同じ道を歩んで欲しいと願っていた。というより、幼少期からそのように刷り込まれていたと言ってもよい。だから、私は自分の進路を考える時、大学を卒業したら大学院に進むことが当たり前のように思っていた。就職して会社で働くというイメージは無かった。しかし、やってみたい研究テーマというのも無かった。同じような家庭環境で仲の良かった友人は、自分なりに追究したいテーマがあり、一足先に大学院に進学していた。私も負けてはいられないという気持ちも有ったと思う。そうした何となく歩もうとしていた道が、ふいに「一時通行止め」の状態になったのだ。周りの大人達は、「若いのだから半年や一年の遅れなんて、大したことない」と言ってくれたが、休学届を提出した時、私はもう二度とここに戻ってこないだろうと考えていた。
そうして半年後、母は自分で動けるまでに回復し、退院した。母が出かける時には、私は車で送り迎えをしたり、家事をしたりして過ごした。でも、病院で看病していた時と違って、ぽっかりと空いた時間が増えた。すると、「これから私は何をしていくのだろう?」と猛烈な不安に襲われたのだ。母の友人が娘の大学生活の様子を話すのを母が楽しげに聞いて笑っている姿を見て、「母は私の将来の事は何も考えてくれていないのだろうか?」と悲しい気持ちになったりもした。そしてまた、「私は今、何の組織にも属していない」ということが寂しかった。その時だ、初めて就職しようと考えたのは。父は初め反対したが、どうせ言うことを聞かないと思ったのだろうか、最後には賛成してくれた。母も私の考えを尊重してくれた。当時はバブル真っ只中で、就職先は運良くすぐに決まった。そして、大学院には正式に退学届を出して会社勤めの人生が始まった。私は敷かれたレールから外れ、自分で人生を決めたのだ。
あれから30年、今までいくつもの人生の岐路が現れた。私はいつも人生の選択に迷う時、「難しい方の道」を選ぶようにしている。そう言うと、何だか格好つけた感じに聞こえるが、「予想できる未来」より「予想できない未来」の方が面白そうだからだ。確かに自分の知らない「予測できない未来」には、不安がある。本当に自分はそこでやっていけるのか? どんな人と出会うのか? 考え出すとキリが無い。慣れ親しんだ環境は快適だし安心だ。でも、新しい世界に飛び込めば、新しい事を覚え、新しい人と出会い、自分を成長させることができる。もちろん、そのために手放さなければならないものもある。時には、人から見たら誤った選択だったこともあったかもしれない。でも、私は予測できない未来に心がひかれてしまう。やってダメなら戻ればいい、それよりも、やっぱりあの時やっておけば良かったと後悔するのは嫌だ。どうして今その選択肢が自分の前に現れたのか、そこには必ず何かの意味があると思っている。
もし選ばなかった方の人生を歩んでいたら? その人生を想像しながら実際に道を歩いてみるといい。ちょうど参加していた自己啓発プログラムの中で、「パラレルワールド」というワークが有った。あの時復学していたら、あの時転職していなかったら……。色々な分岐点を思い出し、それぞれの道を想像しながら歩く。その別の人生で得ていたであろう感情や体験、発展させていたかもしれない才能や資質は一体何だったのだろう? それらを想像し、五感で味わった。そうして、私は一つの結論を得た。それは、どの道を選んでいても、私にとってのキーワードは「教育」と「言語」だということだ。
私は今また人生の岐路に立っている。でも、自分の中ではもう結論は出ている。また新しい世界に飛び込むつもりだ。まだ具体的な青写真があるわけではない。でも、ここでもやはりキーワードは「教育」と「言語」だ。30年前のあの日、私は両親の期待する道を選ばなかったが、振り返ってみると、両親にとってのライフワークであった「教育」と「言語」をキーワードにして生きてきたし、これからも生きていこうとしている。
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