メディアグランプリ

無自覚で残酷な行為を経て


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記事:大村侑太郎(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
幼い日に感じた痛みは時を経ると供にその痛みを増す。まるで親知らずを抜いた後に激しい痛みが襲ってくるように。ただし、その痛みは親知らずの比ではない。
 
「お前はいい加減にしろ!」
男性教師の怒声がグラウンドに響いた。
何が起こったのか? 振り向いた私の視線の先にあったのは、恐らく生涯において忘れられない光景だった。
小学校四年生の時の、ある土曜の出来事だ。そして、私が経験した異様な一年を端的に表す光景でもある。
 
同級生の女子生徒が男性教諭から足蹴りされていた。何発も。
 
当事者というものはいつでも自分が見えないものだ。
子どもだった頃は思い至らなかったが、私の四年生時のクラスは学級崩壊していた。
理由はよく思い出せない。
一学年一クラスしかない学校で、私と私の同級生は四年生にして初めて、担任に男性教師をむかえた。新米の教師だった。
私は、特にその教師に悪い印象は無かった。しかし、クラスの雰囲気が妙に居心地悪く感じたことを覚えている。
三年生までとは明らかに何かが違っていた。特に、その教師に激しく反抗している生徒がいた。とうとう手をあぐねた教師は、唯一クラスが興味を持つ体育のドッジボールを、他の授業そっちのけで一日中させるなどし始めた。運動が苦手な私には苦痛でしかなかったが。
 
白状すれば私も授業中に騒いだりしたことはあった。
その一方で、そんな日々が私は嫌だった。それまでのように普通に座学をして、普通に過ごしたかった。人生で初めて感じた、相反する二つの心だった。
恐らく、クラスの皆が複雑な時期だったのだろう。
「私たちは今反抗期だから」
反抗ばかりする理由を聞かれて誰かが言い放った言葉だ。忘れられない。悪いことをしている自覚がありながら、その子は反抗していた。しかし、私とて同じだった。
そのうち、クラスでの教師への反抗は、次第にクラス内でのいじめや生徒同士の争いに広がっていった。
 
そして冒頭に記したあの日がやってきた。
 
この出来事がどういう決着を見たのか、はっきりとはわからない。土曜で他の学年が帰宅する中、私たちのクラスだけが学校に残され校長が何か語ったことを覚えている。
やがて五年生に進級すると、また以前のような普通に授業のある日常が戻ってきた。だが、心のどこかで四年生の一年間は小さな痛みとして胸に残った。
 
あれから、長い年月が経った。学級崩壊の中で過ごした日々もただの思い出の一ページになっていたはずだった。社会に出るまでは……
 
社会人となって日々様々な理不尽にさらされていると、たまらない孤独を感じる。
描いていた未来や希望は何度も叩き潰され、その度に涙を流した。
仕事だけではない、プライベートでもだ。子どもの頃のように守ってくれる人がいない孤独と不安、それに押しつぶされそうな人はたくさんいるだろう。
 
ある時、ふと学級崩壊の日々が頭をもたげた。そして、子どもとは言え教師に対して申し訳ないことをしたと激しい心の痛みを感じた。
きっと、教師になるのは夢だったのだろう。初めての職場に不安と希望を持ってやって来たのだろう。明るい未来を描いていたのだろう。
それを「私たちが」粉々に砕いてしまった。
そう思い至った時、初めてその教師の孤独を想像することができた。恐らく、同僚の教師や生徒の親から多くの批判を浴びただろう。どれだけ学校に来づらい思いをしただろう。悪い評判を受けながら働くことは圧倒的な孤独だ。
 
そして、蹴られた側の女子生徒のことも想像した。彼女は今どんな気持ちであの出来事を胸に秘めているのだろうか。忘れているかもしれない。しかし、自分がしたことを振り返って反省し、大きな孤独に苛まれているかもしれない。
 
この二人だけではない。いじめをした生徒やされた生徒、その家族。様々な人の気持ちを想像してみた。その人たちの孤独を想像してみた。どれだけ不安だったことか! それをし終わった時に、自分の心の中で孤独感が薄まっていることに気が付いた。
 
傷つけられる度、かって自分も他人に対して同じことをしたのだと思い知る。過去の痛みは長い潜伏期間を経て襲ってくる。後悔は一生消えない。むしろ、年齢を重ね責任が増える度に痛みは増すばかりだ。
だけど、後悔した出来事を無駄にしないよう今に活かすことは出来る。大人になった今だからこそ、私は他人の孤独を想像しなければならない。
 
完璧な人間はいない、過ちは誰でも犯す。だが、傷つけた事実にそれは言い訳にはならない。後悔しても人は今日を生きねばならない。
もし貴方が孤独感を感じているとしたら、それは薄めることができる。貴方が傷つけてしまった人の気持ちを想像できれば。そうすることが、悲しい出会いに意味を与える方法なのだと私は思う。
 
 
 
 
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2019-08-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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