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勉強嫌いが先生になった


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:七星(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「先生は帰国子女ですよね」「やっぱり英語は昔から得意だったんですよね」海外滞在経験12年、海外の大学で学士と修士を修了していて、英語講師歴16年。この経歴だと生徒さんによく言われることだ。しかし、その期待に応えられないという意味では残念ながら、生粋の日本人、日本生まれ日本育ちで、帰国子女でもなければ英語が得意だったわけでもない。極め付けは勉強が大の苦手で嫌いだった。だから、こう言われる時が、講師として最高のチャンスだ!と思える時なのだ。なぜかと言えば、こう言ってくる生徒さんの心理は大概、「そんな風になれたら良いけど、自分には到底無理だろうな」とか、「この人は特別で、自分とは違うんだ」という風だからだ。それは頑張っているのに思うようにいかなくて、苦しさを感じている時の自分への慰めだったり、諦めるための良い言い訳であることが多い。私の返答はそんな諦めと皮肉めいた生徒さんに安堵感を与えることは残念ながら一切できない。だけど、そんな上部の安堵感よりも、むしろその人に本当の希望と勇気を与えることができるといつも信じて話をしている。
 
私は英語が得意かどうかという以前に、勉強そのものが小学生の頃から苦手だった。まず記憶にあるのは掛け算の暗記に苦労したこと。正確にいうと暗記に苦労したというより、恥ずかしながらきちんと暗記できていない。私には5つ年上の生徒会長を務めるような非常に優秀な姉がいた。私の勉強具合を心配した親は、その姉に私に勉強を教えてあげてと言って、姉は私の家庭教師になった。姉は根気強く、とても丁寧に教えてくれたが、私は自分が何がわからないのかすら分かっておらず、姉もお手上げだった。それからは、自分は勉強は苦手なんだというマインドセットが出来上がり、赤点を取らなければ良いという独自のルールのもと、なんとか高校は卒業した。
 
目的もなくただプラプラと遊んでいた私を見かねた両親が、もっと広い世界を見てこいと、夏休みを使った留学体験ツアーを勧めてきた。高校1年生の時のその体験が、私のその後の人生を変えたと言っても良い。海外や英語に興味があったわけでも何でもないが、食い付く姉を見て、姉と一緒ならと、そのツアーに参加した。期間は約1ヶ月くらいだったと思うが、ホテルに滞在して英語を勉強しつつ観光したり、また10日間ほどのホームステイ体験もあった。私のステイ先には、フランスとドイツからも学生が来ていて一緒にホームステイをしていた。夕食の時間になり、皆んなで一緒に食卓を囲んだ。楽しそうな会話と笑い声が飛び交う中で、何の話なのか私には何一つわからず、一緒に笑うことも、質問することすらできずに、ただ黙って食事をしながらみんなを眺めていた。
 
それまでの私は、どこにいても誰といても集団の中でも割と目立つ方で、特に意識せずとも、比較的、輪の中心にいる方だった。そんな私が、一言も話せない、輪に入れない、そうしたくても術がない。そんな体験はしたことがなかった。あまりにも悔しくて、「目の前のこの人たちみたいに、ジョークを言って笑い合えるくらいの英語力とコミニュケーション力を絶対にものするぞ」とその時、心に決めたのだ。
 
それから高校卒業まで普通に過ごしたが、勉強が嫌いで苦手だった私は、大学にいかないことだけは決めていた。そもそも勉強したいこともないのに大学に行く意味がわからなかった。16歳に時に心に決めた海外に行って英語を習得する! という決意を両親に告げ、無事親のサポートも受けて高校卒業後すぐに語学留学をすることになった。当時の私の英語力は本当に低くて、ホストファミリーとコミュニケーションをとることも一苦労だった。
 
そんな私も3ヶ月もしたら、何とか生活くらいは問題なくできるようになった。その後、地元のメイクの専門学校にも通って楽しくやっていた。勉強嫌いだった私が本気で勉強をやる気になったのは、この先どうしようかなーと考えていた時に、留学エージェントのお姉さんに言われた一言がきっかけだった。「ななえちゃんは教えることとか向いてると思うよ。 いつも楽しそうに教えてるし、みんなもわかりやすいってよく言ってるよ」その頃、日常会話はできるようになっていた私は、知り合った日本人の友人から頻繁に英語の質問を受けていて、結果英語を教えるようなことをしていたのだ。「たしかに私に向いているかもしれない」それに何より、教えるために自然と勉強していてとても楽しかったので、これは自分の英語もかなり上達するに違いないと思ったのだ。そこから国際的な英語教授の資格を取るために学校へ通い、食事の時間も惜しんで勉強するようになった。なぜって、ただ楽しかったのだ。
 
教えることはとても勉強になり、非常に面白く、仕事にしようと思った。そしてもっと勉強したいと思うようになった。私のとった国際的な英語教授の資格は、最高レベルが大学院だったので、大学院で学びたいと思った。そしてそのために、初めて大学に行こうと決めたのだ。赤点を取らなきゃOKという独自のルールでやっていたツケはこの時に支払うことになり、英語力は問題ないのに、高校の成績が良くなくて希望の大学に入れないという事態が起こった。でも、すでに大学院で勉強することを決めていた私は、全く諦めなかった。結局大学に行く前の段階の一般教養を学ぶような学校に1年通ってから大学に入ることができた。しかしながら、入学したは良いけれど、大学で求められるレベルは格段に違い、最初の教科で危うく単位を落としそうになったりして、それまでの勉強の仕方の甘さを実感した。そこからは、勉強の仕方自体を教授に教えてもらったりもしながら、かつてないほど勉強をして、無事、念願の大学院で英語教授法を学ぶことができた。その時にはすでに、英語を仕事として教えることも始めていた。勉強が苦手だった私が海外で大学院まで行って、英語を教える先生になったなんて、私をよく知る人たちは当然みんな驚いていた。
 
ここで伝えたいことは、誰でも好きなこと、面白いと思えることなら自ら学び努力するようになるということ。それまでの知識や経験も関係ないし、「苦手」というのは自らが作り上げた幻想なのだ。「好きこそ物の上手なれ」とは本当によく言ったもので、好きや興味というのは「苦手」なことさえも乗り越えて行けるパワーがある。これを読んでくれたあなたにも、きっと好きなことや、取り組んでいることがあると思う。取り組んでいることは、やらなければいけないと思ったり、頑張ったりせずに、ただ楽しんでみて欲しい。もし、好きなことやっていても壁にぶつかった時は、楽しいと思えること、面白いと思えることをただひたすらやってみて欲しい。もし今、思ったように上手くいっていなかったとしても、その先に必ず道が開けてくると思うから。
 
 
 
 
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2019-09-18 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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