メディアグランプリ

生きている間に言えばよかった


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:深谷百合子(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「まだネコ達の面倒をみないといけないからなぁ、あと10年は生きないといかんな」
「うん」
これが父と交わした会話で私が覚えている最後の会話だ。
 
「お父さんが倒れて病院に運ばれたそうなの」
義妹からの電話を受けたとき、「倒れたって、一体何で倒れたのだろう?」と最初に思った。
 
ちょうど2週間前のお盆に、私の運転する車で一緒に母の墓参りをした時、「あと10年は生きる」って言ってたじゃないか。胆石がある事以外にこれといった病気もなく、75歳を過ぎても元気に仕事を続けていたのだから、「倒れた」って一体何があったのだろうかと不思議だった。「暑かったから、貧血でも起こしたのかな?」位の気持ちだった。
 
その時私は東京に出張中だったのだが、父もたまたま東京に仕事で来ていて倒れたらしい。銀座の聖路加病院に運ばれたというので、出張先から慌てて病院に駆けつけた。私はその時はまだ父が既に亡くなっていたとはこれっぽっちも思っていなかったが、病院に着いて一足先に到着していた叔父や、救急車を呼び、父を病院へ搬送して下さった仕事の関係者の方から経緯を聞いて初めて、父はもうこの世に居ないことを知った。心筋梗塞だった。会議中に急に倒れ、搬送中に心肺停止の状態になったそうだ。そんな話を聞いても、何か夢を見ているようで現実感がなかったせいか、割と冷静だった。病院の先生の話を聞いた後、付き添って下さった父の仕事関係の方々にお礼を言って、病院の事務手続きを淡々とこなした。
 
ところで、病院に到着するまでの搬送中に心肺停止すると、変死扱いになるらしい。頃合いを見計らって新橋の刑事一課の刑事さんが「お取り込みの所申し訳ないのだけど」と言って近づいてきて私の隣に座った。刑事一課の刑事なんて、ドラマみたいだ。父はなぜ今日東京に来ていたのか、どのような仕事だったのか、恨みを持たれているようなことは有ったか等、病死以外の原因が考えられる状況かどうかを私に尋ねた。父とは普段からあまり細かい話をしていなかったので、どんな仕事で来ていたのかと聞かれても、どう答えて良いかわからなかったが、知っている限りのことを答えた。そうして、刑事さんは一通りの質問を終えると、「お悲しみの所、ぶしつけな事を聞いて申し訳なかったね」と言って去っていった。現実感のない時間ばかりが過ぎていった。
 
そのあと、病院の指示に従って父の着替えを売店で購入し、霊安室でようやく父と対面した。
横たわる父は、普段私が見ていた父よりも随分小さく見えた。こんなに小さかったっけ? と思うと、不意に悲しさと寂しさがこみ上げてきた。もう話すこともできない。2週間前、父の言葉に対してぶっきらぼうに「うん」とだけ答えた自分が思い出された。どうしてもっと優しい言葉で返してあげなかったのだろう。後悔の気持ちばかりが心に浮かんだ。
 
翌日搬送する手続きを終えて、一旦ホテルに戻る時、銀座、新橋界隈の明るいネオンが場違いに感じた。朝東京に来た時とはまるで違う気分の自分が居た。一方で、たまたま私も父も東京に居て、私がすぐに病院に駆けつけることができたなんて、何という偶然だろう? と不思議に感じられた。私はお父さん子だったから、最後にそういう巡り合わせになったのかなと考えたりもした。
 
それからしばらくの間は、東京に行くたびに、新幹線が有楽町辺りにさしかかると、あの日の夜の事が思い出されて、涙が出た。今まで東京に出かけるのは楽しかったのに、今ではつらいことに変わってしまったと思った。あれから16年経った今ではさすがに涙は出ないけれども、有楽町の景色を見ると、やはり心の奥がチクリとする。「なぜもっと優しい言葉をかけなかったのだろう」、「もっと頻繁に実家に行って顔を見せておけば良かった」という後悔の念がよみがえってくる。
 
先日、自己啓発のセミナーに参加するために久しぶりに東京に出かけた。新幹線から外を見ながら、またあの日のことを思い出していた。どういう巡り合わせか、当日のセミナーで「The best ending」というワークをやった。このワークは、自分が最高の人生を生き、臨終を迎えたその時に、親と最後の言葉を交わす場面をイメージし、自分の思いを実際に口に出して言うワークだ。
私は父をイメージした。私が最高の人生の最期を迎えた時、父はそばにきて優しく私を見ている。私は、父が生きている間に言えなかった色々な気持ちを口にした。
「最後に会った時に、もっと笑顔で楽しい会話をすれば良かったのに、つっけんどんな態度ばかりで、ごめんなさい。色々心配をかけたけれど、いつも私の味方でいてくれてありがとう。私はお父さんの望む道を歩まなかったけれど、自分の好きなことを仕事にして、幸せな人生を歩んだよ」
 
本当は生きている間に言えば良かった。でも、やっと言えた。心の中の父は「幸せな人生を歩んだのならそれでよい」と微笑んでいた。
 
 
 
 
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2019-09-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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