メディアグランプリ

人生に、キノコを生やそう。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【10月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:東みわこ(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「自分はなにも才能がないから、本当にやりたいことって分からない」。
「好きなことを仕事にしたくても、能力ないから稼げるわけない」。
こういった思いを、SNSやブログで見かける。
実は私もここからスタートして、未だに創作活動は下積みを続けている。
この二つの言葉は、立ち位置が正反対なのが特徴だ。
一つ目は、「自分の存在価値の低さ・自己卑下・無力感」。
二つ目は「好きなことで(本当は)生計を立てていきたい。その道を歩みたい」。
だが共通していることがある。それは「どちらも自分に期待している」ところだ。
え? 期待している? そんなバカなことがあるか。と感じるかも知れない。
それはワクワクした期待なんかじゃない。「いつか『人生が開花する』のかな、そうだったらいいな」という、救済の期待だ。
 
私は大学で前衛短歌を専攻し学んだため、卒業後は働きながらでも歌人になりたいと思っていた。完全に「学びに酔って」いた。自分は鋭利な感覚を持っている。きっと短歌界に注目される日が来るだろうと。
ところが、実家の近くでパートの仕事を始めると、日常に私は飲み込まれた。
短歌で表現したいことがない。見つからない。
気が付けばただのフリーターになっていた。
親を心配させたくないので、社会保険完備のフルタイムの仕事に変えた。
販売の仕事だったので、シフト制である。
ここでも私はますます芸術や表現の世界から離れていく。
メシ・フロ・ネルだけの毎日。
なんとか短歌賞に応募しても、当然落選。
「アタシの感性は、頭のカタい歌人たちには分かってもらえないのか」
そんな偉そうな反抗を心の中で繰り返して、やがて陥った。
「私には本当は才能なんてないんじゃないか。悪あがきだ」という気持ちに。
才能なんてないんだ、と見切りをつけるとどうなるか。
なんの努力も、鍛錬もしなくなる。そして淡い期待だけが残る。
さらに両親が重病に倒れる。将来を心配した母のために正社員の事務職を始めたらパワハラを受け身体を壊し、一年で退職せざるを得なかった。
ここまでなって、ようやく私は目が覚めた。
「才能あるかないかは私が決めることじゃない」。
私は短歌を捨てることにした。そして、数年間手をつけていなかった「小説」を書くことにした。
小説は、学生時代に佳作を取ったことがあった。
余命宣告されている両親に、なんとしても「好きなことをやって結果が出た私」を見せたかった。なによりこんな私を、母はずっと応援してくれていたから。
 
ようやく前向きになれたものの、看病もあり、私は派遣会社に登録して創作活動を再開する。
思わぬ効用というか、派遣会社では私はとても重宝された。これまでやってきた仕事の数々が全部役に立った。一度派遣された会社から指名が来ることもあった。
 
結局、母が他界した翌年、私は地元の文芸賞で大賞を受賞した。もちろん、小説で。
 
この二十代の私を今の私が見てみると、「人生の開花」なんて捨ててしまえと言いたい。そしてあなたにも伝えたい。
 
自己啓発系の本や女性向けエッセイ本でよく見かける、
「未来に向けてタネを撒きましょう、あなたの才能のタネを。やがて芽が出て育てていけば、『好きなことで仕事ができる花が咲くのです』」。
この言葉に随分振り回されてきたなと、思う。
自分には才能がないから、もういいや。と感じたあと、よく図書館でこの手の本を借りて読んでいたのだから、始末が悪い。
 
誰もタネなんて持ってないんだから、タネを探す苦しみをまず味わう必要はないということだ。
そして、タネを一生懸命撒いたのに芽が出ない、花が咲かないと肩を落とすこともない。
私たちはタネを持っているのではない。私たちは「自分だけのキノコを生やす土壌」なのだ。
 
キノコは、地中の目に見えない「菌糸」が、なんだか知らないけど集まって地表ににょっきり出て「実体化」する。
「菌糸」は、日常の暮らしの中でたくさん発見できる。例えば「パソコンが得意な菌糸」「インテリアのセンスがある菌糸」「部屋の片づけが上手な菌糸」。
これらが集まりキノコになったらどうなるだろうか。
 
「お部屋すっきりなのにインテリアに凝って自分だけの部屋を作るブログ」
というキノコになって、発信していけるのだ。
 
私は「小説を書く菌糸」が長く自分の土壌にあったことを忘れていた。また、祖父の影響で写真が好きだったことも忘れていた。「カメラが好きな菌糸」と「小説を書く菌糸」が今、キノコになって「写真×小説」という作品を発表している。
さらに、「下手に前衛ぶってる短歌」をやめて、自分だけの短歌も作歌するようになった。短歌は好きなのだ。「純粋に短歌が好きな菌糸」を見つけたのだ。
 
一度「菌糸」を見つけたら、どんなキノコになるのか楽しみにしながら、もっとたくさんの「菌糸」を見つけるといい。
「でも、クオリティ高くないと誰も見てくれないでしょ」
それを決めるのは発信する側ではない。
先ほどの例を挙げるなら、よりよいインテリアを考えたら、過去のブログに加筆すればいい。
また、「パソコンが得意な菌糸」が、ブログをもっと見てもらうために「アクセス数を上げる方法を探そう」と言ってくるだろう。そして「勉強が好きな菌糸」が現れて、あなたはSEO対策とか、そういうことを学び始めて、面白くなったら転職を考えるかも知れない。
タネ撒きして誰もが美しいと思う花を咲かせようとするのは、完璧主義に似ているかも知れない。
キノコなら、食用もあれば毒キノコもある。種類不明なキノコが世界には何百とある。キノコたちは自由に生えている。しかも本体はいつも見えない土の中、切り株の中。それが私たちなのだ。
もっと私たちは、なにか夢を叶えるとか目標を達成することに、自由になっていい。そうすれば、決して自分で勝手に「才能がない、やりたいことが見つからない」と思い込むことがなくなるはずだ。
 
自由になれば、自然と努力や練習を重ねるようになって、自分という土壌を耕し続ける力が生まれる。
 
人生に、キノコを生やそう。
 
 
 
 
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2019-10-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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