飼ってはいけない
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:大嶋里子(ライティング・ゼミ平日コース)
艶やかでカール気味の長い毛を光に反射させて、飼い主の後ろを半歩下がってゆっくりと歩く大きな黒い犬。真っ白な足先で、静かに地面を押さえるように進む。額には眉毛のような赤茶色の毛が生えていて、その顔は華やかで愛らしい。ゆったりとしたその雰囲気と愛嬌のある風貌に私は目が釘付けになった。CMやペット雑誌でもよく見かけるようになり、ゴールデンレトリーバー以来の人気犬になるのでは、と予感させた。今から15年ほど前のことだろうか。
我が家にバーニーズマウンテンドッグを迎えたのは、それからすぐのことだった。犬好きにとって、憧れの犬との暮らしは、何物にも代えがたい幸せだ。
ペットショップの店員は、売り時を逃して少しばかり大きくなったそのコを「安くしますから、買ってください」と必死の形相で押しつけようとした。ペットショップのケージには収まり切らなくなり、フロアに置かれた柵の中で、クッションを引き裂き、おもちゃをバラバラにして、もうすでに世の中のことは知り尽くしてしまったような顔をして不貞腐れているように見えたバーニーズマウンテンドッグを、運命の出会いだと信じて、私たち夫婦は連れ帰ったのだった。
家にやって来た翌朝、ダイニングテーブルの上で寝ているのを見つけた時には、まだ笑い話の域に留まっていた。ところが、である。大きくなるにつれて、問題が起こり始めた。このコだけしつけがうまくいかないのである。人といることは好きで、お腹をだして甘えてみせる。構ってほしい、とすり寄って来てはチンチンをする。しかし、とにかく反抗的なのだ。指示に素直に従うことだけはノーサンキューだと強く態度で示してくる。「オスワリ」以外は頑として聞き入れようとしない。しっかりと訓練しようと繰り返し指示を出していると、「ググゥー」と唸り声まで出し始める。飼っている他の犬たちとも仲良くすることができず、流血の惨事がたびたび起こった。
最も困ったのは「盗み」だった。足音を立てずにキッチンに忍び込むこの犬に「今晩のおかず」を何度食べられてしまったことだろう。ヤツは熱々のフライパンにもひるまない。宅配便がやって来た隙に、調理中のミートソースをやられたこともあった。フライパンがあまりにもきれいになっているので、しばらくは食べられたことに気づかない。キッチンの景色がどこか変わっている、と間違い探しのようにしばらく考え、「やられた!」と私の顔に怒りの表情が表れるのを確認してから、怒られる前に「ググゥー」と唸ってヤツは逃げて行くのだった。はらわたが煮えくり返る、とはこのことだ。
また、飲みかけだと思っていたコーヒーがなくなっている、という現象が我が家で頻発したこともあった。コーヒーを飲んでいる途中で席をはずし、戻ってくるとカップが空になっているのである。私は自分の脳に重大な病が忍び寄っているのかと思った。そこにある、と思っているものがないのだから。しかしある時目撃したのだ。ヤツがダイニングの椅子に座り、マイセンのコーヒーカップから口が抜けなくなって困っているところを。「ゴラァーッ!」と叫んだ私に驚いた犬は、思わず椅子から飛び降り、マイセンカップは無残にも砕け散ったのであった。
待てよ。バーニーズマウンテンドッグはややこしい犬なのか?と、インターネットで「バーニーズマウンテンドッグ」「性格」と入れて検索してみる。隅から隅まで調べたが、やはり「従順、素直、飼いやすい」と大絶賛だ。なぜうちのコに限って?そうだ。うちのコに限っているのだろう。うちに来たコは、たまたま性格が悪いか、もしかしたら、実は少しだけ他の犬種が混ざっているニセのバーニーズだったのかもしれない。売れ残っていて、小さい時期に社会性が育まれなかったのかもしれないし、ペットショップで長く居すぎたために、愛情に飢えてしまったのかもしれない。
というわけで、初代バーニーズマウンテンドッグを無事に天国へ見送った後、私は今度こそ評判どおりの、素直で飼いやすいバーニーズマウンテンドッグと暮らすべく、二代目を迎え入れた。今度は離乳するまでたっぷりと母乳で育ち、きょうだい犬たちと健やかに社会性を育み、ブリーダーで愛情をかけて育てられた、文句なしのお育ちのバーニーズマウンテンドッグである。
そのコがやって来て、初めて迎える年末。紅白歌合戦も終わり、そろそろ鏡餅を所定の場所に移そうと思ったその時、私の目に飛び込んで来たのは、暗い廊下で鏡餅をくわえて音も立てずに歩くバーニーズマウンテンドッグその2の姿だった。「ゴラァーッ!」と叫んだ私を振り返り、このコは目をキランと光らせて、「ググゥー」と唸って走り去って行った。鏡餅をしっかりとくわえたままで。
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