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実家の子犬に会うのがこわい


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:鈴木 里枝(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
マグカップの持ち手まで熱くしていたカフェオレは、もうとっくに冷たい。
私は、実家の最寄り駅にあるドトールコーヒーでこれを書いている。
帰省は2ヶ月ぶりだ。ひとり暮らしを始めて1年と半年、電車1本で帰って来られるからと、月に一度は顔を見せていた。だから、かなり久しぶりに感じる。
足が遠のいていたのは、実家で飼い始めた子犬に理由がある。今、私は、子犬に会うのがこわい。
 
こんな風に書いたら犬嫌いか犬アレルギーかと思われそうだが、決してそうではない。むしろ大好きだ。
去年、妹と私が小学生の頃から飼っていた犬が死んだ。それから1年が経った今年の夏、母の職場の同僚のところで産まれた雑種の子犬の一匹を引き取ることになった。
ついこの間まで、あの子はこの場所が好きだったとか、ささみを茹でるとあの子を思い出すとか口々に言っていたわりには切り替え早く、引き取る日が決まった途端、実家は産まれたばかりのニューフェイスの話題で持ちきりとなったらしい。
私も家族と同じように、子犬が来るのを心待ちにしていた。ただ、私は昔「あの子」の世話を放棄していた。そのことが手放しで喜ぶことを拒んでいた。学校から帰ったら必ず連れて行っていた散歩は、中学校に上がると途端に億劫になった。高校生になると私の中のあの子の存在はますます小さくなって、結局、世話全般は母の仕事となった。
子どもが成長する過程ではよくあることなのかもしれない。けれど散歩を拒否した時のさみしそうな目や、私に期待しなくなり背を向けるようになったあの子の姿がなぜか大人になってから強く思い出されるようになり、やがて大きな後悔となって胸に残っていた。
 
我が家の一員として迎える以上、最高に幸せな人生、いや犬生を送ってほしい。あの子みたいな思いをさせてはいけない。今度こそは子犬に、めいっぱい愛情を注ごう。そして、あわよくば「たまに遊びに来る優しいお姉さん」ポジションを確立するんだ。私はひとり暮らしの部屋で、もしかしたら実家にいる家族よりも高い志で、子犬を迎える準備をととのえていたのだった。
初めて対面した時、寝床から抱き上げられた子犬は寝ぼけてとろんとしていた。
「いつ会えるワン」「早くいっしょに遊ぼうワン」など、家族からはたびたび浮かれたメッセージが送られてきていたが、その時に添えられた写真の印象よりももっと小さく、筋肉の少ないぐにゃぐにゃの手足が頼りない。
子犬って、こんなにかわいかったっけ?
膝の上で無防備に体を預ける、あたたかくて真っ黒の物体に愛おしさがあふれた。
そして私を覗き込む、うるうるした瞳を見て思う。少女漫画に出てきた擬音語、「きょるんっ」てこれか。
やがて子犬は完全に目を覚まし、ゴムボールで遊び出した。ボールを追う子犬を見て、あの子が死ぬ間際まで好きだった遊びを思い出した。そうだ、追いかけっこだ。この子も好きかもしれない。私は嬉しくなって駆け寄り、子犬が驚いて後ずさりするのを構わず追った。
子犬は小さくなって机の下に潜ったが、私はしつこくも四つん這いで迫る。リビングをぐるぐると走り回っていたら、子犬は急に方向転換して廊下へ飛んで行った。その直後だった。
パーン!
大きな音が聞こえた。少し遅れて子犬の甲高い鳴き声。慌てて見に行くと、階段の前に立てたペットゲートが手前に倒れていた。子犬は? 暗くてよく見えない。いた。観葉植物の影に隠れて震えている。
「びっくりしたね。お姉ちゃんがこわい遊びしたから、興奮したんでしょ」
妹が抱き上げて、怪我がないか確認した。どうやらゲートにはぶつからなかったようだ。よかった……。
安心して頭を撫でようとした時、子犬は私を認めると、さっきの甲高い声で大きく鳴いた。震えが大きくなっている。
どうしたの。こわいの。なんて優しく声をかけながら、すぐに気がつく。
追いかけっこからのゲージ転倒により、子犬は完全に私を「悪者」と認識してしまった。
興奮していたのは子犬ではなく私の方だ。自分勝手なコンプレックスに囚われて、愛がとんでもない方向に向かってしまった。笑いながら四つん這いで迫る30歳女は、さぞ恐ろしかったろう。
ゲージが倒れたのも当然、私のせいだ。愛情を注ごうなんて宣言していたのが馬鹿みたい。仲良くなりたかったのに、危ない目に遭わせてしまった。
 
家族が心配そうに、子犬と私を交互に見ていた。
いたたまれなくなって、何とか声を絞り出す。
「お風呂入ってくるね……」
子犬のためにもいったん姿を消した方がいい。風呂場に逃げ込み、シャワーを浴びながらちょっと泣く。30歳になっても子どもの頃とぜんぜん変わらない。泣き虫なくせに人前では恥ずかしくて、風呂の中でしか涙が出ない。
でも、もっとショックを受けたのは子犬の方だ。ごめんね、うぅ……。
 
翌日、起きたらケロッと忘れているのではとうっすら期待したけれど、リビングで私と対面した子犬はいったん硬直して、妹の足の間に逃げ込んで安全を確保したのち、延々と吠えた。
「何をわんわん言っているのよ」
「この子、ちょっと敏感だよね」
優しい家族のフォローが痛い。できるだけ急いで実家を出た。
 
冷えきったカフェオレを唇につけて、ひと口飲む。
「何時になるワン?晩ごはんはいるのかワン?」
母親からのメッセージだ。
例によって子犬の写真付きである。クッションに体を預けて寝ている子犬の毛は、だんだん白が混ざってきたようで、今は完全にグレーだ。細い毛がみっちりと詰まっていて、指を差し込むと気持ちがよかったのを覚えている。
この毛にまた触れるのかな。仲直りしたいな。だけどまた前みたいに、こわがらせてしまったら……。
 
18時を過ぎた。そろそろ行かないと。
残りを飲み干してバッグに手をかけたけれど、実家の扉を開ける覚悟はできていなかった。
私はまだ、子犬に会うのがこわい。
 
 
 
 
***
 
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2019-11-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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