テレビ番組はモノサシである
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記事:ますだはやと(ライティング・ゼミ平日コース)
テレビに対する風向きは追い風ではないように思う。ネットニュースやツイッターでも色んな批判があるようだし、視聴率が下がっていると耳にする。僕自身テレビを所有していないし、ここ数年は見る機会が減っていくばかりというのが現状だ。
それこそ時間の過ごし方は動画だけでもテレビ、youtube、ネットフリックスなどの配信サービスと選択肢の中から自分で好きなものを選べばいい。世代にもよると思うが多くの人がそのように考えるのではないか。昔はテレビしかなかったのが今や選べる状態になり、古いものをつまらないと思いやすい傾向があるのだろうか?僕自身がそういうモノの見方をしていて、それ以外のモノの見方ができていなかったのかと考えさせられた出来事がある。
僕はリハビリの仕事についている。
さらに言えば患者さんの家に訪問する形で働く。
自宅で生活されている点ではみなさん同じだが、状況はそれぞれに大きく違う。
その日も僕はいつものようにある患者さんのカラダを診ながら会話をしていた。
その方(仮にAさんとする)は生まれた時から知的なものも含めたカラダに不自由があるため、自宅から出ることは多くはなく、あっても車椅子なので誰かの助けが必要となる。家の中ではトイレに行く時と、食事でリビングに行く時に壁やモノにつかまりながら歩く。そうなると部屋で過ごす時間が大半を占める。要するにテレビを見ている。パソコンはない。
テレビをつけたまま会話していると素直な感想を述べられる。悲しい事件があればかわいそうだと言われるなど、僕たちとなんら変わりはない。少し声が聞き取りにくい場合や、複雑な話になると困ったりはされる。そういう意味で集中して言動に意識を向けているかもしれない。
その時いつもと違ったのはついていたテレビの内容だ。朝の情報番組なので時事ネタが多いのだが、たまたまカラダに不自由のある方についての特集をしていた。ご存じの方も多いのではないだろうか、『五体不満足』の本で有名な乙武さんだった。
記憶の中では乙武さんは電動の車椅子に乗っていたように思う。
そんな彼が脚に最新の装具をつけて歩く訓練をして、歩行距離の記録更新を目指す。そんな企画だった。僕は「すごい頑張ってますね~」と会話のラリーを続けるための言葉を返していた。すごいことは理解できるし、そう思うのだがどうしても冷めた感じでテレビを見ている自分がいたことは事実だったと思う。
「頑張れ~頑張れ~」
「あ~よかったよかった」「パチパチパチ」
乙武さんが記録更新した時だった。Aさんは大きく手を動かしながら拍手をして喜びを表現した。まるで子供のような感じだった。初めて見るレベルの感情表現だったので僕は少し驚いた。
「こんなに喜ぶんだ」
内容自体がすごいことには間違いない。テクノロジーの力を借りながら自分にできることを少しずつ増やしており誰にでもできることではないだろう。問題はその内容自体に感動できなくなっている自分だった。Aさんの反応に驚いたということは、僕は感情がほとんど動いていなかったことになる。むしろ感動することを自分でシャットアウトしてしまっているような気がした。
いつからだろうか、24時間テレビなどに感動の押し売りのような感覚を抱くようになったのは。おそらくひとつには同じパターンが繰り返されすぎて「飽きた」のだろう。そういったところからか、youtubeを見る時間が増えた。もうひとつ思うのは「テレビにはヤラセがある」という情報を知った影響である。不信感だ。つまり「テレビはこういうもの」と見方を固定してしまっていたのだ。
テレビを基準とするとその反応は真逆だった。
Aさんにはテレビは食事のようなものだろう。「飽きる」対象ではない。またテレビの他に選択肢のない状況で不信感など持っても仕方がない。つまり先入観がなく、テレビを内容以外の要素で判断していないのではないか。素直に感動を表現する。あまりにも当たり前のことだがそう簡単ではないとも思う。
先入観というのはぜい肉のようだ。
大人になり知識が増えるにつれて見えない部分に溜まっていく。気づくことができたらそのつど取り払っておかないと、ありのままを見る心が生活習慣病にかかってしまう。自分で心の栄養を乏しくしているようなものだ。感情の動きのない人生など控え目に言っても病的だろう、と思う。
この経験でテレビ番組はモノサシのように尺度だったと同時に、ブリッジとしても働いたように感じる。Aさんの生活状況などの情報はすでに持っていた訳だが、テレビ番組という橋渡しがあってはじめて相手のモノの見方が腑に落ちたのだ。想像力が向こう岸までたどり着けたような感覚があった。
あなたはどうだろうか?自分の興味の外にあることは関係ないとしてつながりを自分のほうから切ってしまってないだろうか?つまらないと思っているものには先入観がまとわりついているかもしれない。テレビ番組に限らず、何か同じモノゴトに対する反応が違ったときは相手の立場にたって考える大きなチャンスかもしれない。
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