靴ひもおばさん
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:Nada(ライティング・ゼミ日曜コース)
「靴ひも、ほどけてるよ」
人ごみのなか、道で通りすがりのおばさんに声をかけられた。
「ああ、すみません……」
私はそっけなく返事をし、そのまま通り過ぎようとした。
まるで邪魔な障害物を無意識に避けるように。
おばさんには嫌な思い出が多い。
「あなた結婚はまだなの? 私があなたぐらいの時にはね……」と親戚のおばさんに自分の時代の価値観を押し付けるような説教をされたばかりだ。アラサーの私は親戚の集まりに行くのが憂鬱でたまらない。
「ほら早く孫の顔を見せて、親孝行しないとね」
そういう叔母さんは、おばあちゃんの介護にはほとんど関わらなかった。
年配の人ほど自分の事を棚に上げて、上から目線で説教をする人が多いように思う。
人を見た目で判断してはいけないと思いつつも、おばさんと呼ばれる50代、60代の年齢層の人全般に、苦手意識を持ってしまっていた。見知らぬおばさんにまで説教をされるのはごめんだ。
「ねえ、ちょっと待って」
通り過ぎる前、呼び止められた。
よく見るとおばさんは車椅子だった。かけ足の私に追いつくよう、車輪を手で速く回したのだろう。急いでいる時ほど周りをよく見ていない。2回呼び止められたことでやっと障害物から人に変わった。
「実は、私のお母さんがね……」
深刻そうなトーンで話し出すおばさんに私はドキッとした。
急いでいるとはいえ、注意してくれた人に対してあまりにも不愛想だったかもしれない。怒られるのだろうか。また自分の価値観の押し売りをされるのだろうか。
「実は、靴ひもを踏んで骨折したの」
「だからあなたにも気を付けて欲しいの」
おばさんは諭すように私の目を見て言った。
それは予想と違う私の事を本当に案じてくれている様な声だった。
私は一瞬で自分の行動を恥ずかしく思った。
過去の経験から勝手な印象で疎ましく思い、素っ気なくしたことを反省した。
どうして私はいつもこうなんだろう。自分だって表面的な情報で判断されて見下されたりすることはすごく嫌なはずなのに。馬鹿なことをしてしまった。
「すみません、急いでいたもので……すぐに結びますね」
靴ひもを結ぶためしゃがみ込むと、足元にある色んなものが目に入った。
アスファルトの地面、その地面から咲いている野花。
きっと色んな人に踏まれただろうに上を向いている。
ああ、このスニーカーいつの間にかボロボロだった。
急いでいると目に入らない視点から色んな事に気づく。
よく見るとおばさんの車輪や持ち物はボロボロだった。
「分かってくれたらいいのよ」
「急いでいたのに呼び止めてごめんね」
そう言っておばさんは、笑顔で車いすを自分の力で前に進めた。
立ち止まる私を追い越して。
その後ろ姿を見ながらふと思った。
もしかして骨折したのは、「おばさんのお母さん」ではなく、「おばさん自身」だったんじゃないだろうか?
もしそうだとしたら、深刻そうに話し始めたことも頷ける。
自分と同じ目にあって欲しくない、という切実な思いから声をかけてくれたんじゃないだろうか。たとえそれが見知らぬ若輩者だったとしても。
たかが靴ひも。
されど靴ひも。
転んで骨折、なんて老人だけの話と思う人もいるだろう。
でも転ぶって事は物理的な話だけじゃないかもしれない。
日々の生活に忙しく足元を見ずに進んでいたら、もしかしたら病気や大怪我をすることもあるかもしれない。そんな時は靴ひもを結び直すように一度、立ち止まってゆっくり周りを見ると良いかもしれない。普段は気付かないところに小さな発見があるかもしれない。そんなことを思うとおばさんに声をかけられた時に感じた嫌悪感はすっかりなくなり、なんとなく温かい気持ちになった。
「ありがとうございました!」
私は少し大きな声で、前に進むおばさんにお礼を言った。
おばさんは返事をすることなく、そのまま進んでいった。私の声が聞こえなかったのかもしれない。でも、その背中はどこか満足げで穏やかに感じた。
年上の方が自分の過去の経験から「こうした方が良いよ」と注意してくれることに感謝しないといけないと思った。
道で出会った靴ひもおばさんのおかげで、私の価値観は少し変わった。
そうだ、親戚のおばさんの話も、もう少しちゃんと聞いてみようかな。
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