メディアグランプリ

「さようなら」と言いたくない面倒な大人のささやかな抵抗


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記事:高遠にけ(ライティング・ゼミ平日コース)
 
小学生くらいの時の記憶。
周囲から晩ご飯の匂いが漂う茜色の時間。
公園で遊ぶ子どもたちを、親達が迎えに来る。
「さようならー!」
「バイバーイ!」
別れの挨拶が、夕焼け空に溶けていき、一緒に遊んでいた友達が公園を去っていく。
共働きの両親を持つ私には、迎えがない。
見送る役は、いつも私だった。
 
涙腺がすっかり弱くなり、面倒な大人となった私は、今も「さようなら」という言葉が苦手だ。
 
私達は別れの時、なんという言葉を相手にかけているだろう。
種類は色々ある。
「じゃあね」
「バイバイ」
「また明日」
「さようなら」
 
この中の「さようなら」は別れの言葉としては一般的だ。
三省堂の「現代新国語辞典」には、「別れる時の、あいさつのことば。さよなら」とある。
けれど、日常的な挨拶として使っている人は、意外と少ないように感じるのは気のせいだろうか。
 
「さようなら」という挨拶には少なからず、断絶めいた響きがある。
そんな大げさな、と思うかもしれないが、もう会えなくなるような、取り残されるような、不安な気持ちを掻き立てる。
もう少しライトな、ポップな響きのする「バイバイ」「じゃあね」などが使われていることが多い。
不安な気持ちになるのは私だけで、冒頭に述べた小学生時代の記憶があるからかもしれないけれど。
 
だから、私はさようならを言わない。
久しぶりに会った友達と別れるとき。
上京して一緒に働いた仲間が、地元へ帰ってしまうとき。
親しい人が亡くなったとき。
 
私は「またね」という。
また会おうね、という願いを込めて。
そう願わずにいられなくなったのは、いつの頃からだろう。
 
ある秋、お仕事でご一緒された方が亡くなった。
まだお若く、ご病気とのお話も聞いておらず、突然の訃報だった。
とあるプロジェクトに携わった時に、まだ若輩の自分をからかいながらも良くして頂き、色んなことを教えてくれた、ひょうきんなおじ様だった。
 
プロジェクトには大勢の人が携わり、何ヶ月も前から同じ目標に向かって、何度も何度も打ち合わせを行い、いくつかの問題もあったけれど、無事達成した。
携わった人々はいつの間にか単なる顔なじみでなく、いくつもの修羅場をくぐり抜けた戦友であり、仲間となっていた。
 
葬儀には、その時の仲間達も大勢集まっていた。
私も葬儀に参列させていただいた。
不思議と涙は出なかった。
プロジェクトを愛して尽力し、一生懸命走ってきた方だったので、夢半ばとか、そういうことではなかったから。
 
空は青が深く、雲のないよく晴れた日だった。
静まり返った葬儀場には、薄く聞こえるか聞こえないかの音量で、ずっとビートルズが流れていた。
出棺の時、不意に音楽のボリュームが上がった。
ビートルズの名曲、「Hello, Goodbye」が流れる。
歌詞にはいろんな解釈があるけれど、正解はない、不思議な曲だ。
 
会場内に、大きめのボリュームで響く「Hello, Goodbye」。
その瞬間、私は泣いていた。
涙がとめどなく流れた。
 
意味は全く違うかもしれないけれど、私にはその曲が、再会の歌に聴こえたからだ。
 
繰り返される、グッドバイの後のハロー。
今日という日はさようならだけど、これは別れではなく、また次に会うための始まりの日でもあるんだ。
だから、グッバイの後、また次に会う時の挨拶はハローだろ?
 
そう、彼に言われているような気がした。
全くの個人の解釈だけれど。
意味も意図も違うだろうけれど。
悲しみではない温かい感情が、私の心を満たしてくれた。
クラクションの音が高く長く響くと、彼は旅立っていった
 
その日より、私はさようならを言わなくなった。
永遠に会えなくなってしまう気がするから、小学生の私のように、夕焼けの公園に取り残される気がするから、別れの言葉をいうより、また会うことを願ったほうがいいと考えるようになった。
だから、私の別れの挨拶は「またね」になった。
屁理屈で面倒な大人となった私の、ささやかな「さようなら」への抵抗だ。
 
別れを経験していない方は、きっといないだろう。
小さな別れから、大きな別れまで、きっと様々な別れを経験されているはずだ。
 
その別れは悲しいものだろうか。希望に満ちた温かいものだろうか。
私には想像もつかないけれど、別れの言葉だけは、「さようなら」じゃないほうを選んで欲しい。
またの再開を願っての、祈りの言葉であるほうが、ずっといい。
 
私は今日も「またね」と言う。
夜が来て朝がくる、当たり前に続く日々のように、「また会うこと」が当たり前であるように、いつも願っている。
 
 
 
 
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2019-12-13 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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