3年間、野球部のマネージャーをするということ
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記事:花倉祥代(ライティング・ゼミ平日コース)
「あー! いよいよ受験かぁ……」
澄んだ青空を見上げて、明日からの受験ライフへ切り替える決意をした。
私は高3。花のセブンティーン。
17歳の誕生日に「花のセブンティーンを野球に捧げる」と宣言した。
野球に捧げるといっても、私は選手ではなくマネージャー。
かといって野球ができないかというと、そうでもなく……。
私は小学校2年生の少年野球にはじまり、中学3年まで野球をやっていた。
少年野球でも中学校の野球部でも女子は私1人、8年間男子の中に女子1人という状況で野球をやってきた。
ではなぜ、今マネージャーをしているのか。
正直、高校進学には少し悩んだ。
中学3年の時、女子野球の選抜メンバーとなり、近畿大会、全国大会とスターティングメンバ―で戦った。最後の大会でホームランを打ったこともあり、女子硬式野球部がある高校からお誘いを受けた。
だから、選手として女子硬式野球部のある高校へ進学するか、地元の高校でマネージャーをするか、どうしようかと悩んだ。
決め手は小学校2年生の頃の思い出。
当時の少年野球の監督が、地元の高校野球部の見学に連れてくださった。その時に見た高校球児のお兄さんたちはキラキラ輝いていた。そこには女子マネージャーさんもおられ、そのお姉さんたちもまた輝いていた。私にはそう見えた。
少年野球時代、野球をやめたい時もいっぱいあったし、雨が降った朝には「今日は練習中止」と心の中で小さなガッツポーズをしたこともあった。けれど最後まで続けられたのは、あの見学の日から「高校野球のマネージャーをやりたい」と思っていたからだ。将来マネージャーをするのに選手でいることが絶対に役に立つと信じていたから。
大げさかもしれないけれど、小学校2年生の時からの夢が勝ったから、今野球部のサポートをしているというわけだ。
高校に入学して、晴れて野球部のマネージャーになったはよかったが、地元の高校の野球部はあの頃と大きく状況が変わっていた。
「なにこれ……」
部員が少ない。ギリギリチームができるというほどの少人数。
同級生の野球部員はたったの6人、そのうちマネージャーが私を含めて2人。
入部当時、なかなかこの現実を受け入れるのが難しかったけれど、迷って決めた決断を後悔したくなかったから、できることを精一杯やろうと思った。
まだ問題はあった。
それは女子の先輩というものを初めて経験したこと。
野球部時代、先輩は男子しかいなかった。ところが高校では2年生、3年生のマネージャーさんがおられて、それはそれは緊張したし、笑顔の「いーよいーよ」が本当に「いいよ」なのかわからなくて本当に悩んだ。
ある時、監督に呼ばれてこう言われた。
「ノック打ってくれるか?」
「え? 私がノックを?」びっくりしたけど、とても嬉しかった。
「いいんですか? やらせてもらいます!」と即返事をした。
監督が私専用のノックバットを買ってくださったことも私に大きな力をくれた。
少しでも先輩たちの役に立ちたいという一心で、家で素振りをするようになった。
他のマネージャーとは違う役割をもらったことで女子の先輩に対してのいろいろな葛藤は激減した。
またこんなこともあった。
選手の体を大きくするために、そして強くするために、毎日の食事を提出してもらうことにした。朝食、昼食、夕食、それぞれ食べたものが栄養的にどうなのか、何が足りないのか、それを調べて各部員にフィードバックをした。
「とった食事をすべて報告するように」と言った私の言葉を、ある1年生がどう捉えたのか「水」まで書いていたことがあった。
後輩がかわいい! これもまた私のやる気を奮い立たす要因となった。
こうやってなんとかここまできた。
そして私はついに最終学年になった。
あと2か月で夏の大会が始まろうかという時期に同級生のK君が問題を起こしてしまい、この日から処分が下るまでの期間、活動自粛になってしまった。
「大会、出場停止になるかもしれない」
手のひらの潰れたマメを見つめながら、これまでやってきたことはなんだったのかと怒りが込み上げてきた。
ミーティングでは活動できない今、何をすればよいかを全員で話し合った。
「校内を掃除する」という意見が多く掃除をすることに決まりそうになった時、私の怒りはマックスになった。
「ほんまにいいの? 夏の大会まであと2か月しかないんやで! 掃除してる場合じゃないやん!! 掃除するにしてもできるだけ遠いところの掃除をすることにしてそこまで走るとか、どうにかして練習につなげることを考えてよ! 私は練習したい!」
言いながら涙が止まらなくなり、私は部活に入って初めてみんなの前で泣いてしまった。
シーンとする最悪の空気の中、副キャプテンのT君がぽつりと言った。
「俺も練習したい……」
同じ気持ちの仲間がいることを知り、怒りマックスで感情にまかせて思いのままを言ってしまった私は、机に突っ伏した顔を上げることができなかった。
結局、部員みんなで何かをすることは禁じられ、各自掃除をしながら自主練を続けるという何とも言えない日々を過ごした。
そして大会1か月前、処分が決まったと監督から話があった。
今回は厳重注意にとどまり、次問題が起きた場合は監督がクビになるということだった。
その処分を聞いた時、問題を起こしたK君が号泣した。
普段はどちらかというとヘラヘラした奴だったけど、何度も「ごめん」と言いながら泣いていた。
そこからの1か月は、野球ができることが当たり前の事ではなく、ありがたいことなんだと喜びをかみしめながらがんばった。
毎日普通にやっていることすべてを当たり前だと思わず、私に関わるすべてのことに感謝しなければいけないと思った。
最後の夏はベスト8常連校の強豪と対戦し、見事に砕け散ったけれど悔いはなかった。
私は清々しい気持ちで引退の日を迎えた。他の5人もそれは同じだったようだ。
「あー! いよいよ受験かぁ……」
澄んだ青空を見上げて伸びをした。
「大丈夫、受験も乗り越えられるよ」
青い空がそう言ってくれているように思えた。
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