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メディアグランプリ

何もない正月の話


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:春野 菜摘(ライティング・ゼミ 日曜コース)
 
 
もうすぐで2019年が終わる。
師走も下旬に差し掛かり、仕事納めだ何だという時期になると、ふと、幼い頃の正月の光景が浮かんでくることがある。
 
それは忙しなく働いている母や祖母の姿である。
 
私の実家は福岡市街からバスで2時間といった辺鄙な街にある古い家だ。田舎にとって盆暮れ正月は一大イベントで、女たちは張り切り出す。
 
大晦日は大忙しだ。踏み台に上がった祖母は、曲がった背中を伸ばしてテレビの上の神棚の埃を掃うと、榊を取り換えている。それが済むと今度は子供たちが破って継ぎはぎだらけになった障子を張り替える。
 
一方の母は母で、予約しておいた年越し蕎麦を取りに行き、買い忘れていたお節用の食材や、祖母が活ける正月花を買いに出かける。家に帰るとまずはお節の下準備を始め、父の晩酌を整え、家族の年越し蕎麦を作るのである。
 
父がそろそろほろ酔い加減になってきた頃、居間では子供たちが紅白歌合戦を見始める。その頃になると、玄関先には注連縄が飾られ、近所の人が通るのだろうか、たまに「良いお年を」などという挨拶が聴こえてくる。
 
母のお節作りが本格的に始まるのは、たいてい年が改まった頃だ。本当はもっと早く取り掛かりたいのだろう。
しかしすっかり酔っぱらった九州男児の父は、やれ燗をつけろ、ストーブの石油が切れた、などとうるさいし、私や妹も口々に勝手なことを言い出す。酔った父が眠り、祖母が眠り、子供たちが眠り始めた頃に母はようやく自分の「仕事」に取り掛かるのである。
 
夜も随分と更け、妹が先に寝、私も寝室に行こうとすると、まだ明るい台所に母がいた。先ほどまで家族が座っていた食卓には作りかけのお節が並んでいる。海老を煮たものやだし汁に浸された数の子。大鍋では作られたばかりのがめ煮(筑前煮)が眠っており、まだ色の白い里芋が九州の甘辛い醤油の味を吸っていた。黒豆を煮ていた母は、祖母から教わったのだろうか、鍋の中に錆びた釘を一緒に入れるとツヤの良い煮豆ができることを教えてくれた。
 
寝坊して目覚めると静かな元旦の朝である。
 
床の間と玄関には祖母の活けた正月花が飾ってある。
 
台所に行くと昨日並んでいた食材は綺麗に重箱に詰められ、雑煮や屠蘇の準備もすっかり整っていた。昨夜眠るまで去年の続きのようだった台所がすっかりと正月の顔になっているのに驚いたが、今思えばきっと母は寝ていなかったのだろう。家族が寝静まった夜の中で、母の時間だけは去年と今年とがゆるやかに繋がっていたに違いない。
 
「お餅は何個入れますか?」
 
家族に雑煮やおせちをふるまい、やっと一通り片付いた食卓で、母が一人遅い食事を取り、食後のコーヒーを飲みながらうつらうつらしているのを何度も見たことがあった。
 
そんな正月の光景が少しずつ変わり始めたのは、おそらく2人の娘が東京の大学に進学し、そのあと祖母が入院して父と二人の暮らしになった頃ではなかったかと思う。お節は重箱が登場することはまずなくなったし、できあいのものが増えた。黒豆も市販のパックが取って替わっていた。特に祖母が亡くなってからは一気に簡素化した正月の光景を、老いた母にはしょうがないとは思いつつも、少し寂しく感じていたものである。
 
仕事が忙しかったこともあるが、そのうち私が実家で過ごすのはごく短期間だけになった。中学から都心の学校に通っていた私には、地元に帰省したからといって会うような友人もいなかったし、何もない正月を、何もない田舎で、家族とただぼんやりと過ごすという退屈が耐えられなかったのだ。
 
それでも年に一度も帰らないというのも少々後ろめたく、正月の帰省はしぶしぶ続いた。
 
ある年、元旦から雪が降ったことがあった。
随分と朝寝坊をして、一人で雑煮を済ませていると、静かな台所にかすかに鳥の声が聴こえてくる。窓越しに裏庭を覗くと、なんという種類だろう、2羽の鳥が庭木に来ていた。珍しいな、と思いよく見ていると、木にみかんを輪切りにしたものが刺してあり、鳥たちはそれを啄んでいたのだった。
 
私は、きっと母だ、と思った。
 
母はきっと、二人の娘が巣立っていったこの家で、鳥が来るのを楽しみにしていたに違いない。そして、エサを庭木に刺しては、毎日心待ちにしてこの台所の窓を覗いていたに違いなかった。そう言えば、かつて私と妹が東京で一緒に住んでいた頃、姉妹の住むマンションに母から暑中見舞いが届いたことがあった。差出人には母の達筆で自身の名と「鈴虫一同」。私たちはそれで母が鈴虫を飼い始めたことを知った。鈴虫たちは娘たちに代わり、すっかりと静かになってしまった家を大いに賑やかしてくれたことだろう。
 
私は、ふと、何もない正月でいいじゃないか、と思えてきた。
 
色々あったそれぞれの一年を終え、家族がこの家で年を越す。頑張ったこと、頑張れなかったこと、頑張ってもどうにもならなかったこと。きっと色々だ。でも、一年365日、ひと時もサボらず心臓を動かしながら生きてきたことを、「よく頑張ったね」「今年も頑張っていこうね」と互いに称え合う日が一年に一度くらいあってもいいのではないか。
 
そんな何もない正月を、古希をとうに過ぎた両親と私はあと何回過ごすことができるのだろう。豪勢なお節や華やかな正月花があろうとなかろうと、そんなことは関係ない。私は、私の大切な人たちに真っ先に「明けましておめでとう」を言うためだけに帰るのだ。
 
もうすぐで今年が終わり、新しい年がやってくる。
来年も、その次も、何もない正月を迎えられればいいな、と思う。

 
 
 
 
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2019-12-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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