メディアグランプリ

未経験の扉


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:T・Y(ライティング・ゼミ7月開講通信限定コース)
 
 
「あなたは未経験なので、年収は期待せず、通勤等の条件も出来る限り妥協した方がいいです」
52歳、薬剤師としての30年、新しい薬ができたら一番に勉強し処方するのが私の役割だった、この地区で一番多くの患者が集まる病院にいた。それから院内ヒエラルキーから役職争い、派閥絡みのいざこざなど人間関係の一通りの煩わしさは経験した。
未経験、の一言に言葉を失った。これまで自分がやってきた事はいったい……。「転職って厳しいですね……」となんとなく返したものの、続けて何を話されたのか、紹介された求人すらろくに入ってこなかった。
 
帰る道すがらたった今の出来事を振り返り、感情が追いつき怒りに変わる。たしかに自分は病院を辞めて薬局へ、たしかに「キャリアチェンジ」をしたい。ただ薬局の薬剤師がどんな業務をしているかはだいたいわかる。業務でお世話になることも、自分が薬を飲みたいときにお世話になることも、当然あった。体操選手だっていろいろな種目を、専門でなくともこなすように、自分には病院で鍛え上げた体幹ともいうべき基礎スキルがある。それをいきなり会った若いスーツの男に未経験だと言われるのはつまり自分のことがわかっていないからだと携帯を取り出す。そこで次々と、新たな転職サイトに登録しては面談の予約をした。
 
あれだけの自信とエネルギーを持って登録したが、驚く事にアドバイザーからの言葉はいつも同じだった。
こんなはずではないと、もっと別の腕利きのアドバイザーを探すべきだ、と勢い付く自分と、一方でこう考える自分が現れる。
「この有名な病院で長く続けたから、転職したら高い評価を得られるだろう、と無意識に期待しすぎたのかもしれない。終身雇用の考えが古いと言われるような今ではもう、通用しないのかもしれない」
 
不安や心残りは相変わらず残るものの、それでもいくつか面接を受けることになった。今のまま病院での勤務を続けるより新しい環境を期待する自分が、僅かに勝っていた。
 
面接の場では、ある程度もう心の準備はできていたが、厳しい質問もあった。
「○○に関して新たに勉強してもらわないとならないですが、抵抗はありませんか?」
「病院と違って○○ですが……」
こちらも自分が未経験、とわかって臨んでいる分、素直に相手方の言葉を聞けたように思う。勉強の足掛かりを掴めたり、自分と同じようなキャリアの薬剤師がその薬局で実際に勤務している話を聞けたりと、面接の場自体も収穫が多かった。
そしていくつかは、内定をもらい雇用条件を確認させてもらった。提示された額は現在の半分ぐらい、応募先によってはそれ以下もあった。幾分か予測していたものの、実際に書面で見るとなんと心もとないのだろう。自分はこんなはずでは……、とふとまたプライドが頭を掠めた。今の地位を捨てる、築き上げた経験と人望も捨てる、ことが果たして自分が望むことなのか、躊躇があった。この時点では転職しないことも自分には選択できた。しかし悩んだ末、結局ある薬局にお世話になることを決めた。
転職を考え転職サイトに登録し、面接を受けて経験した直近の出来事が、自分の背中を押したからである。今の自分は狭い世界で評価を得ているが必ずしも外の世界で通用するとは限らないこと、自分自身勉強は続けているつもりだったが、環境を変えることで新たな勉強の仕方がある、得られるものの多さは計り知れないことに今更ながら気付いた。何より、「うちでは体力の続く限り、生涯現役でみんなで頑張っていきたいんです」と豪快に笑う70代の先輩薬剤師の笑顔、家に帰ってもずっと忘れられなかった。覚悟を決めて新しい環境へ移りたい、そう思えた。
 
何十人もが勤務しせかせかと時間が流れていた前の職場と違って、転職したいまの職場では比較的ゆっくりする時間も流れメリハリがある。面接でも言われた通り、新しく覚えることが多くこの歳では思うようにいかないのがまた難しい。それだけではない。入ってみてわかったが、周りはみな、自分よりずっと若く、必然的に年下の先輩に教わる環境である。前の職場にいては考えられない構図であり、自分自身もその頃であればプライドが邪魔をして逃げだしていたかもしれない。ただやはり覚悟をもってここへきた、その自負もあり、若くても自分よりずっと早く正確に動く先輩に心から敬意をもって接している自分がいる。環境にはうまく馴染めていると、思う。
 
私にとってこの転職は、「未経験」の言葉の持つ印象や意味を、がらりと変えた。未経験というのは、自分のやってきたこと、やったことのないこと、それから将来やりたいこと、これらをただ、区別する線があること。もっと言えば、それを自分自身が、正しく認識すること。未経験であることに、過も不足もないのだと思うようになった。むしろ自分が歩みたい将来とその線を照らし合わせることで、その言葉は未来を拓く扉にもなり得る。長く、続けることがよい、そう安直に考えていた自分の考えが180度変わってしまったように思う。
 
 
 
 
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2020-08-13 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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