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メディアグランプリ

産卵にみえたタナさんの顔

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:わかたける (ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
突然、地面から激しい音が鳴り響いた。ステレオサウンドの様に激しい音は僕の周りを一瞬で取り囲んだ。平衡感覚をなくすほど、しばらく嫌な音は鳴りつづき、すぐに恐怖を与えられた。ほどなく飛行機の音だと理解したものの、竦んでしまうほどの大きな音は、生きるものを威圧し、空気を震わせる振動は、心まで動けなくした。
あとでわかったことだが、その日見たものはF15戦闘機で、日米共同演習の一環として複数の戦闘機が、堂々と頭上を踏みつける様に飛んだのだ。
僕は今、千歳に来ている。
千歳でサケの産卵を見たいと思ったからだ。
北海道に発つ空港のロビーで、ショートメールが届いた。田中さんの娘から、田中さんが亡くなったという。最後まで人に迷惑をかけたくないという田中さんらしく、すべての行事が終わるまで人には言わないようにという遺言があったそうだ。
葬儀は十日前に行われた。
田中さんは僕よりひとまわり上の良き相談者で、僕はいつも「タナさん」と呼んでいた。タナさんとは以前の職場で知り合った仲で、実に僕を可愛がってくれた。タナさんのお爺さんは戦争で亡くなったらしい。
「お前、はやく子供をつくれや」「家族は大事やぞ」と二十代の頃は飲みに行くたびに言われたのを今でも思い出す。
命の兆候はあった。今年のはじめに癌が見つかったのだ。闊達だったタナさんは、会うたびに声の張りがなくなり、ゆっくりと静かに話すように変わっていった。
そして2カ月前、僕が最低の人間であると思い知った出来事がある。
「悪いけどな、今年の忘年会は行けそうにないわ」「今日医者に言われたんやけど、あと半年の命らしいわ」この時だけは、いつもより無理に元気そうな声で、タナさんは電話をかけてきた。
「そうなんですか」僕は、言葉に窮してしまい、次の言葉が見つからなかった。「大丈夫ですよ、元気出してください」なんて言葉はだせない。タナさんに対してそんな形式的な言葉はうそになる。二人の関係を壊してしまう軽薄な言葉に感じた。とは言え何かを言わないといけない、しかし何を言っても白々しい言葉になる。タナさんの死が確実に決まったことは、だれも覆せないとわかっているからだ。
僕は死に関して、まったく準備がなく、無防備な人間であった。
本当に困った。こんな時に気が利く台詞をつらつらと言えるほどの経験も、教養も僕にはなかった。情けなかった。今まで多くの愛情と恩を与えてくれた人が、死に向かっているのに、何を言えば良いかが、まったく浮かばず、右往左往しているのだから。
僕たちがやっと子供を授かったときは、本当に喜んでくれたし、その3日後に嫁が事故に遭い流産した時も寄り添ってくれた。「子供がいることで良いこともある。しかし、子供がいないことで良いこともある」「しあわせは人によって違うで」タナさんはそう言って僕を励ましてくれた。この人は良いひとだと心から感じたのに、今の僕はどうしていいか分からず言葉が詰まるばかりだった。
「じゃぁな、元気でやれよ。人にはそれぞれ役割がある」「幸せもひとそれぞれや」タナさんは気を利かせて電話を切ってくれた。僕はなにを言ったか覚えていない。最低な人間だとその時ほど自分を責めたことはなかった。大切な人を守ることも出来ず、温かい声をかける力もない。
自分の子供だって守れなかった。傷ついている嫁に優しく出来たかも自信がない。弱い人間だとつくづく思った。
 
戦闘機の爆音が続くなか、僕たち夫婦は水族館に入った。
千歳川に併設するように建てられた水族館は、千歳川の水中の様子をガラス越しに見ることが出来る地下フロアがある。
そこには産卵のために川に上がってきた白サケが見えた。婚姻色に発色した白サケは赤みがかった模様がハッキリとみえる。
「皮に赤みが強く出ると、サケの身まで赤みが行き届かなくなるから、このサケたちは身が白っぽいのですよ」オレンジ色のビニール製のベストに、ボランティアと書かかれた制服をつけた、初老のおじさんが話しかけてきた。タナさんとあまり変わらない年齢だとおもう。
「このサケ達は、川に上がる前から餌は食べていない。数ヶ月は食べとらん」「メスはすぐ死ぬのもいるけど、五十日ぐらいは、生んだ卵を守ってから死ぬんです」と北海道のアクセントで説明してくれた。
サケは命をかけて子供を残そうと争っている。子孫を残す事だけの為に今を生きている。
僕は直感的に嫁に聞かせたくないと思った。
僕たちは子供を守れなかった。この世に生まれることさえ許さず、わずか妊娠8週目で命を奪ってしまった。僕は自分をサケ以下だと思った。
「偉いな」嫁が静かに一言発した。
嫁は僕よりも深く傷ついている。
そのことは理解しているが、どうしてよいか分からずじまいだった。ここでもまた、僕はただ何も言葉が見つからず立っているだけだった。
それでも僕たちは事実を受け入れ、今を生きて行かなくてはならない。お互い語ることはないが、そういう思いで繋がっている気がしている。そうやって前を向くしかないのだ。
 
「サケもいろいろ居るから、ゆっくり見ていって」
何かを察したのか、先ほどのボランティアのおじさんが後方から声をかけてきた。
水槽のガラスに映ったボランティアのおじさんの顔が、「しあわせは人によって違うで」と言って笑うタナさんの顔にみえた。
 
 
 
 
***
 
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2020-11-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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