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実を結ばなかったピアノが私を救った日

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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:中村まい(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
イントロ部分をなんとか弾き終えると、あとはもう夢中だった。もっと弾きたい、もっと弾きたい。久しぶりに鍵盤をたたく手はぎこちなく、ところどころつかえる。でもいい。もっと弾きたい、もっと弾きたい。こんなにきれいな音色だったのか。 心の中にあることは知りながら、気づかないふりをしていた感情たちが、メロディにのってあふれだすようだった。涙が出てきた。もう弾かないつもりだったのに。ひとしきり弾くと、20年ぶりのピアノは、私に「おかえり」を言っているようだった。滞っていた感情をすべて吐き出したような爽快感と、思いがけない再会の気まずさを抱えた私を前に、鍵盤はただそこにあった。
 
「ピアノ弾く前にランドセルくらい置きなさい」と母に言われるほど、習いたてのころは、いつでもピアノの前に座っていた。一日何時間弾いていたのだろう。新しい曲が弾けるようになるたび、新しい世界が広がっていくように感じた。イメージを膨らませながら、頭に浮かんだメロディを思いつくままに奏でるのも好きだった。先生にも、楽譜通りに弾きなさいと言われていたし、人に言うと変な人だと思われそうなので周りには内緒にしていたのだが、曲を自分で作ったりもしていた。
 
でも、ピアノと私の良好な関係は、2年で終わることとなる。小学校の学年が上がるにつれ、私は、気づいてしまったのだ。ピアノを弾けるが、とびきり上手いわけではないということに。私の幼少期、女子の習い事といえば、ピアノだった。クラスの女子の半分くらいは、習っていたのではないだろうか。本人のやる気、才能はもちろん、練習を開始したタイミングやレッスンの頻度など、さまざまな事情に影響され、一口に「ピアノを習っている子」といってもそのレベルはまちまちだった。上手な子は、合唱コンクールをはじめとした行事で曲の伴奏を弾くことができる。一番上手なのはSちゃんで、彼女は3歳からレッスンを始め、よい先生に習えるよう、隣の市まで足を運びレッスンを受けているという。Sちゃん以外にも上手な女子は他にもいて、代わるがわる伴奏を担っていた。
 
私はそこで「私も負けたくない」と言えるような強い意志を持ち合わせた子供ではなかった。小学生の私は、早々にあきらめてしまった。どう考えたってSちゃんに追いつけるわけがない、それなら私はピアノでは勝負しないと。そして、そう悟ってしまうと、あんなに大好きだったピアノが、だんだん嫌いになっていた。中学生にもなると、家のピアノの蓋は開くことはなくなった。たまに、何かの機会で鍵盤を前にすると、「ねこふんじゃった」などを弾いてお茶を濁し、「あんなにピアノ好きだったのにね」という母の残念そうな眼差しに、居心地の悪さを感じていた。
 
そんな私が20年後に、息子にピアノを習わせようと思ったのはなぜだろう。習わせようと思ったころから、本当は「再会」したかったのかもしれない。息子は、真新しい電子ピアノを不思議そうな目で見つめていた。
 
その日は唐突にやってきた。くたくたに疲れていた金曜日。当時夫は転勤で自宅におらず、4歳の息子の世話を一人でしながら働いていた。その日も、仕事をやり終えたという実感のないまま退社し、慌てて保育園へ息子のお迎えに行き、残り物で簡単な夕食を済ませた。週末だというのにチェックマークが埋まっていない業務リストが頭から離れず、上の空で息子と会話をしながら、なんとか彼を寝かしつけた。彼の寝息を確認し、ふらふらと寝室から抜け出し、なにか甘いものでも食べたいなと思っていたところで、電子ピアノが目に入った。
 
おそるおそる、電源を入れてみる。曲はどうしよう。まずは頭に浮かんだ「メヌエット」を弾いてみる。気に入って何度も弾いていた曲だ。不思議だ。ピアノを弾かなくなり20年もたつのに覚えている。何度も、なんども弾いた。仕事がうまく進まない焦燥感、子供と十分に関われない罪悪感、新天地で一人仕事に没頭する夫への嫉妬、あらゆるネガティブな感情が流れだすようだった。涙があふれた。ピアノの音色に包まれ、安心して泣いた。ひとしきり弾くと、もやがかった心がまっさらな状態になったようだった。「とびきり上手く」なれなかったけれど、一方的に嫌いになってしまったけれど、ピアノは、20年後に再会した私に寄り添い、癒してくれた。
 
小学生の私がSちゃんに追いつけないと結論づけたのは、悪い判断じゃなかったと思う。才能の観点からも、親の財力の観点からも、私が「とびきり上手い」グループに入ることはほぼ不可能で、自分は勝負するとしたら別のところだと早々に決断した点は理にかなっている。でも、ピアノを嫌いにならなくてもよかったのに。私は私で、好きな音楽を奏でればよかった。
 
息子は、今ピアノを習っている。集中力が長く続かないので上達は遅いが、レッスンは楽しそうにやっている。「とびきり上手く」ならなくても全く構わない。でも、いつか何らかの形で彼を助けるときがくるといいなと思っている。
 
 
 
 
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2020-11-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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