幼稚園児が、知識でピンチを乗り越えた話
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記事:一柳亮太(ライティング・ゼミ日曜コース)
そのピンチは突然来た。
「今日はみなさん、花の名前をひとつ言って帰りましょう」
幼稚園の頃、なぜかある日の帰り際、先生が突然そんなことを言いだした。なぜそんな事を先生が思いついたのか今でも分からないし、これまでに無いことだった。
しかも、ゲームにはルールがある。先着順に並んで、一人ひとつ花の名前を言う。自分の順番までに誰も言っていない花ならば、教室から出られる。既に誰かが答えてしまった花ならば、列の最後に並び直して違う花を答える。
「え、花の名前なんか、たんぽぽかバラか、さくら、あとはひまわりかな」と、動揺しつつも、先生の挙げたルールが圧倒的に早い者勝ちであることは分かった。しかし、その時点で既に、先頭グループは瞬発力のある子たちに並ばれていて、何事につけとっさに動くのが苦手な私の位置は、遅くはないけれど早くもない、40人ほどのクラスで20番目ぐらいだった。
とりあえず並んだものの、まだ回答が浮かばない。先生がスタートを宣言して、ゆっくりと列は進んでいった。たんぽぽ、バラ、さくらは、幼稚園のクラス名なので、みんな知っていて当たり前。もちろん、自分が知っている他の花は既に答えられたようだった。そうこうするうちに、早くも8番目ぐらいから、回答に失敗して最後尾に並び直す子が現れた。
もし間違えて最後尾になれば、より一層解答が難しくなる。考えてみて欲しい。大人だって、とっさに花の名前を40種類挙げろと言われたら、答えに詰まると思う。いや、20種類だって私には難しい。とにかく間違えれば、もう既に誰かが言った39種類以外の何かを言わなければいけないのだ。
それでも全く思い浮かばない。しかし列は進む。残り10人を切って逃げ出したい気持ちになった時、ふとひらめいた。「さくらは、寝台特急の名前だ。ということは、特急列車の名前を一つひとつ思い出していけば、必ず花の名前がある!」
「とっきゅうれっしゃずかん」を毎日穴が空くほど眺めていた私にとっては、それが一番答えに近づけそうな方法だった。だが、今思い返すと不思議なことがある。当時の私は、字が読めなかったのだ。部分的に理解していたのかもしれないけれど、「書き」が全く出来なかったのは確実なので、「読み」についてもほとんど出来なかったと思う。
だが、当時の特急列車には、そんな子どもの強い味方があった。イラスト入りのヘッドマーク。どの列車も、必ずオリジナルの絵柄のマークを掲げていた。山が列車の名前ならば山が描かれているし、鳥ならば鳥のイラスト。「ずかん」を何度も読んで大人に聞いているうちに、マークの絵柄を見るだけで、列車の名前と、その名前が何に由来するのかをある程度理解していた。
周りの大人たちもよく付き合っていた、と思う。だが、絵が好きな父親はヘッドマークを模写して大きく描いて子どもに見せたりと、案外楽しんでいるようだった。周りが、偏った知識を求める子を止めなかったことには、今も感謝している。
さて、並びながら頭の中に地図を描く。北海道の北から順番に、列車の名前を心の中で挙げてゆく。「おおとり、オホーツク、いしかり、おおぞら・・・ライラック!」飛び上がりそうな気持ちになった。ライラックは、北海道の旭川と札幌を結ぶ列車。薄緑にむらさき色の花を描いたヘッドマークが思い浮かんだ。
残りは3人ほど。ギリギリだった。だけど、多分大丈夫。みんなおそらくライラックなんて知らないし。少なくとも残り3人が答えると思えない。なぜなら、自分自身だって本当に見たこともない花だから。
いよいよ順番が来た。「ライラック!」と答えた私に、先生は、「ライラック、よく知ってるね!」と、嬉しくなる反応を示してくれた。本当はライラックという花を知らなくて、知っているのは、北海道でよく咲くらしい花の名前を付けた特急列車なのに。それでも、他の子たちが知らないような、先生も驚かせる花の名前を挙げられたこと、そしてこれで帰れるという安堵感が嬉しかった。
実際に見たり聞いたりできなくても本には載っていて、知らない世界まで知識を広げてくれること。そして知識は、時に自分自身を助けてくれること。この経験は私にとって大きな成功体験をもたらしてくれた。好きなことを突き詰めた結果が、とっさにピンチを乗り越える知識を授けてくれたのだから。
知識はまるで高いタワー。知らなければ見えないことも、積み上げた先に上がると遠くの知らない場所まで見えてくる。もし周りに、偏ったように見える興味関心を持つ子どもが居ても、どうか止めないで欲しい。むしろ、将来自分が知らない高みからの景色を見てくれる子を応援したい。
と、ここまで書いた所で、子の成長を願う親の気持ちとは、まさに自分が知らない高みを目指す子を応援するものなのかと思った。あの頃、ヘッドマークを模写して見せていた父親も、そんな思いだったのかもしれない。
***
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