メディアグランプリ

売ろうと思ったのに、結局売れなかった


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記事:能勢 拓人(ライティング・ゼミ特講)
 
 
あぁー、そうだった。このマンガだった。自分が本屋に通うきっかけになったのは。
 
高校まではマンガも含めてあまり本を読まなかった。親に買い与えられていたものと兄が好きな小説をたまに読むくらいで、読むのは遅いし、「本が好きです」なんて、言えるような人間じゃなかった。部活に勉強に遊び、それで充分だと思っていた。
 
大学に入ると暇な時間が増えて、ふらっと本屋さんに立ち寄った時に見つけたのが『Over Drive(オーバードライヴ)』というマンガだった。
1巻を立ち読みしながら吹き出してしまい、これはまずいと、即購入したのがもう15年も前の話になる。
それから幾度となく読み返したことは覚えている。けれど、今や小説ばかり手に取るようになり、全17巻の青春マンガを手に取ることすらこの7~8年はしていなかった。
 
その間、引っ越しが多く、本だけでなく服や家電含め、かなり多くのものを手放してきた。求めずとも、ミニマリストのようになっていたけれど、若いころに買ったマンガはずっと実家に置いていたこともあり、最近になって実家の整理中に見つかった。
 
もう読むことはないかな……
と、売ろうとしていた。読むことすらせずに。
 
でも、手に取ってほこりを払っているうちに、何故このロードバイクを描いたマンガに惹かれたのだろう? と、読み返してみる気になった。好きで幾度となく読み返したのは覚えているのに、深くは思い出せない。
 
運動もできず、目立たない、篠崎ミコト。入学早々、上級生にいじめられるような男子高校生だが、美人で憧れの女子と隣の席になる。ひょんなことから、その女子に自転車部に連れられ、ロードバイクの世界へ入る。すると頭角を現し……という、まぁ、それだけ聞けばありきたりな設定。
それなのに、手が止まらなくなった。いや、今更青春マンガにハマるのかよ! と、自分にツッコミを入れるけれど、やっぱり、面白い。出逢ってから15年経った今でも、充分楽しめる。
 
まず、ロードバイクの世界が心理戦だなんて知らなかった。
自転車通勤などで街では見かけるようになったけれど、競技としての自転車、しかもロードバイクと言われてもピンとこない。ツールドフランスと聞いて、やっとふわっとしたイメージがつかめる程度だ。
でも、相手に自分の感情を悟られないように、いつ仕掛ける(スピードを上げる)のか、いかに自分の得意な道(登り、下りなど)で勝負に出られるかを登場人物の感情と共に描いている。個人戦に思えるロードバイクも、案外チームが重要であることなど、ロードバイクなんて跨ったことがなくても(ないからこそ?)楽しめる。
運動神経が全くと言っていいほどない主人公のミコトでも自転車なら乗れるというところにリアリティも感じる。
 
さらに、久しぶりに読んで気付いたのは絵の空間の使い方が上手い。
ミコトは絵を描くのは好きで、気になっている女子にモデルになってもらうシーンがある。女の子の感情は言葉で表現されているけれど、ミコトの真剣さ、出来上がった瞬間の静けさ、無音の時間が絵で表現されている。
小説のように言葉で絵や音を表現することも難しいけれど、絵で音、しかも無音を表現する力に鳥肌が立った。(その後、立ち読みで吹き出したシーンが来る。笑)
逆に、観客の応援は熱い。言葉も発しているけれど、表情、行動、一つ一つが激しく、でもやさしさを持って選手を見守っている光景が目に飛び込んでくる。
 
格好いいセリフが飛び交うわけじゃない。でも、主人公の熱い思いが周りに支えられて成長し、周りもミコトに感化されて、思わぬ力を発揮する。
 
夕方に読み始め、1巻だけ読むつもりだった。ざっと読んで、売ろうと思っていた。それなのに、気付けば4巻を読み終えていた。
日が暮れていることに気付いて、いったん手を止めたけれど、この先ももう、どんな内容だったか思い出せず、うずうずしている。
 
あぁ、そうだった。このマンガが本屋さんに足を運ばせるきっかけになったのだった。
このマンガの続きが読みたくて、本屋に通うようになった。他のマンガも立ち読みをして、気になったものを買って揃えるようになった。
20歳代も後半になるとマンガばかりじゃなく、他の本も読んでみようと、小説も、ビジネス本にも手を出せるようになったけれど、そもそも文字を読むことすらしなかった自分は、このマンガに出逢わなければ、きっと多くの物語に出逢う機会を失っていたことだろう。
それに、今こうして文章を書くこともなかったはずだ。たまたまだったけれど、それが今に繋がっている。そのきっかけがこんなところに埋もれていたなんて、すっかり忘れていた。
 
あぁ、やっぱり売れない!
 
あの時、ふと読んでみようという気になってよかった。そうでなければ大切な物語を、失うところだった。
あまり広い家ではないから、本の整理も少しずつ進めなければいけないけれど、大切なものを失ってはいけない。
そう、改めてオーバードライヴに気付かされた。
 
 
 
 
***

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2021-02-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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