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やり残した事


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:北林美沙子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
ウェットスーツを着て17キロもあるタンクを背中に背負い、私はボートの淵に座っていた。
 
15年ぶりのスキューバダイビングは初心者のように心細かった。
 
「上級ライセンス持ってるなんて言わなければよかった」
 
小さな後悔をしても時すでに遅し。
 
「さあ、ゆっくりバックロールでエントリーして!」
 
と専門用語でツアーガイドが催促をしてくる。
 
腹をくくり、マスクを手で押さえて、えい!と17キロのタンクと共に後ろにひっくり返り海に落ちた。エントリーするとはとても言えないありさまで、実際にはただ落ちただけだった。
 
空気は吸えている。
 
心臓はバクバクしている。
 
海の底を眺めると、そこにはベッドの中で切望したあの景色が待っていた。
 
時はさかのぼり3年前の3月。
 
「なんでここまで放っておいたんですか……」
 
婦人科の先生の一言に夫婦でうなだれるしかなかった。
 
既に6センチ以上の大きさに成長した子宮頸がんだった。
 
自分の名誉のために書くと、放っておいた訳ではない。半年間クリニックに通い、検査をし、体調不良も訴え、大病院への紹介状作成も何度も依頼していた。
 
しかしクリニックでは「検査結果は経過観察レベルだし、あなたカラダが疲れているのよ」と薬を処方されただけだった。
見つけてもらえず、取り合ってもらえなかったのはただ運が悪かったのかもしれない。
 
婦人科のカルテには「延命治療」の文字が大きく書かれていた。
 
そして間もなく、抗がん剤治療の為に定期的に入院するようになった。
 
点滴につながれたまま、ぼーっとベッドで過ごす日々。
 
どうしてこんなことになったんだろう。
 
なんで仕事ばかりしてたんだろう。
 
もっと子供としっかり時を過ごせばよかった。
 
なんでやりたいことを後回しにしたんだろう。
 
いつかそのうちだなんて後回しにしているうちに潜れない体になってしまったじゃないか。
 
大学生の時に知った海の世界は、上級ライセンスを取るほどにはまったあの場所はもたもたしている間に遠い遠い場所になってしまった。
 
人生というのは、なぜこんなにも世知辛いのだろう。
 
まだ40歳になったばかりなのに。
 
みんなは人生100年もどう生きるかに悩んでいるのに私はあと5年生きれるかどうかもわからないなんて。
 
そして2年後の2018年12月。
 
私は余命宣告を受けた。
 
「薬があまり効いていません。来年の年末は越せないかもしれません。だからこの年末を大切に過ごしてください」と。
 
もうこの頃には痛みでまともに歩くことができなかった。50歩ぐらい歩くと立ち止まって休憩が必要だった。カートにもたれかかりながらスーパーで買い物をする始末だった。
 
とうとう叶わなかったと思った。もう一度あの重たいタンクを背負って、思いきり海の生き物たちと泳ぎたかった。海の青に囲まれたかった。
 
私はいつしかインスタグラムのあるアカウントをフォローして毎日眺めるようになった。伊良部島というあまり知らないけれどブルーの海が最高にきれいな島の写真達。
 
もし私に奇跡が起きて元気になったら、この海に潜りたい。そんなことを思いながら毎日毎日眺めた。
 
そして4か月後、奇跡が起きた。
 
ダメ元で受けた治療が劇的に効き、骨にまで浸潤していた私の癌は全て消えた。あっという間に。
 
信じられなかった。
 
いつまでの期限かわからないけれど、命を延長してもらったと思った。
 
感謝で涙が止まらなかった。
 
そして1年後
 
とうとう私はあのブルーが最高にきれいな伊良部の海にやってきたのだ。
 
あの時たくさんの後悔をして、取り戻すかのようにたくさんの経験をした。
 
子供とじっくり向き合い、一緒に散歩した。海外旅行にも行った。全国の友人に会いに飛行機に何度も乗った。毎週マッサージに通い、庭を手入れした。ジャズピアノを習い、海外ドラマをエンドレスで堪能し、リトリートにも参加した。
 
ただ唯一、海には行けなかった。
 
ガリガリにやせ細った体で水着を着るのは怖かったし、重たいタンクを背負える自信がなかった。抗がん剤治療でスキンヘッドになっていたその頭を赤の他人にさらす勇気もなかった。
 
やっと来れた15年ぶりの海は、変わらず深く青く包容力抜群で私を迎え入れてくれた。
 
ブランクの不安はあっという間に解消され、私は夢中で流れを感じ、光を感じ、青を感じた。
 
こんなにも満たされた気持ちになったことがあるだろうか?と感じるほどに満たされ、そして生きていることに感謝した。
 
私のやり残したことは、伊良部の海に潜ることで図らずともほぼ完遂した。
 
まるで落とし物の回収作業のように完璧に。
 
途中で出会った何人もの闘病仲間は先に天国に行ったけれど、私はまだ幸いにも地球に生きて、食べて、寝て、仕事して、そして笑っている。
 
人生は世知辛いけれど、でも時にこんな粋な計らいもあるのだ。
 
この先どれだけ生きられるかは誰にもわからない。
 
だけどやり残しのない人生を送る自信だけはある。
 
また落としたら、気付いて拾いに行けばいいのだ。
 
 
 
 
***
 
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2021-02-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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