コロナ禍のプレミアムフライデー
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記事:佐川憲子(ライティング・ゼミ日曜コース)
新型コロナウイルスによって、テレワークという言葉がすっかり定着した世の中だが、実際のところはそこまで浸透していないのが、現実だ。
今までと何ら変わりなく会社に通勤している人も多く、私もその一人だ。
やれZoomで会議だ、座り心地のいい椅子はどこどこのメーカー製だ、ランチを手早く済ませるならこれがおススメなどと、在宅ワークが当たり前になった知人たちの話は、どこか遠く感じてしまう。
私が仕事に関して変わったことをあげるとするなら、通勤電車が前よりも空いていて助かるな、くらいだろうか……。
そんなある日。
仕事帰りのサラリーマンがいつもより多く、駅のホームで列をなしていた。
金曜日の夜だからだろうと思っていたが、どうやらそれだけではないらしい。
沿線で事故があったようだ。
駅員さんが、電車の運転を見合わせていること。お急ぎの方には大変ご迷惑をおかけしておりますと、繰り返しアナウンスしていた。
急ぐも何も、もう家に帰るだけの私はさほど気にしていなかったものの、電車を待つ人の長い列に、これは久しぶりの超満員電車になるなと覚悟した。
やってきた電車には、すでに車両の8割ほど人が乗っていた。
私は運よく出入口付近のスペースに陣取れたものの、後から後から人がこれでもかと詰め込み乗車をしてくる。
どう見てもそこにあなたの立つスペースはありませんよというところに、身体をねじこんでくる強者もいる。
私のみぞおちにちょうどいい角度で肘を入れてきたのは、女性の乗客だった。
電車よ早く着いてくれと、自分が降りる駅までカウントダウンをしながら、声にならない声を我慢していたその時。
いちごミルクの甘い香りを身にまとった1人のオジサンが乗り込んできた。
自販機で買って、その場でぐぴっと飲み干した勢いそのままに、やってきたに違いない。
オジサンといちごミルクの意外な組み合わせに、マスクの下で思わずクスッと笑ってしまったのは私だけではないようだった。
それまでギスギスしていた車両内の空気が、少しずつ和らいでいくのを感じた。
当の本人は、この空気の変化を全く感じていないようだったが、これが可愛らしいコートを着た女性だったら、こうはならなかっただろう。
一週間お疲れ様と、仕事帰りの一杯が、ビールからいちごミルクに変わったであろうオジサンに、私は心の中で感謝した。
降りる駅までのカウントダウンがさっきよりも早く感じるようになったのは、言うまでもない。
あと一駅で自分が降りる駅というところで、車掌さんのアナウンスが流れてきた。
声からして、中年の車掌さんと思われる。
「あと7分で○○駅です。もう少しご辛抱ください」
少し間があり、
「一週間お疲れさまでした。お降りになるお客様、どうかお気をつけてお帰りください」
なんと心地よいアナウンスだろう。
マニュアルにあるのだろうか。それともアドリブだろうか。
そんなことはどうでもいい。顔も知らない、ほとんど関わりのない、言ってしまえば赤の他人から、こんな言葉を言っていただけるとは思ってもいなかった私は、車掌のオジサンのアナウンスに聞き入ってしまった。
もしかしたら、自分が気付かなかっただけでずっと前から言っていたのかもしれない。
吐き出されるように電車を降りながら、もう少しだけ “辛抱して” 乗っていてもよかったなと思った。
久しぶりに乗った超満員電車で、2人のオジサンに救われた、コロナ禍のプレミアムフライデーだった。
「コロナになって、前よりも良い方に変わったことってなんかある?」
テーブルをはさんで斜め向かいに座る、職場の同僚が聞いてきた。
お弁当を食べ終えた私たちは再びマスクをつけ、少し声を張って話す。
「在宅ワークのない私たちは、あんまり前とは変わらないけど、こうして対面で会えることって貴重かもって思うようになったかな。今一緒にいるこの空間の空気や匂い、温度や微妙な表情の変化って、パソコンの画面からは得られない情報じゃない?前より敏感にそういうものをキャッチするようになったかも」
この間のプレミアムフライデーの出来事を同僚に話していたら、そんな言葉が口をついて出てきた。
「確かに。それに、前みたいに電車の中でイライラして、ちょっとぶつかっただけで喧嘩するようなことも見かけなくなったよね」
と同僚はいう。
コロナは無くなってほしいけれど、超満員電車も辛抱できるようになった私たちの良い変化は変わらないで欲しいと、食後のデザートに買っておいたいちごミルクのキャンディーを、同僚に渡しながら私は思った。
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