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酒乱の父親のことを悪く思わない理由


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記事:晴 (ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「世話になってばっかりやったね」
これは、亡くなる2週間前に私が父から掛けられた最後の言葉だ。
 
若いころの父は、酒乱だった。仕事には行っていたし会話も成立していたから、程度は軽かったのかもしれないが、間違いなく酒乱だった。普段は、「借りてきた猫」のようにおとなしい人だったが、お酒の量が過ぎると人が変わった。
夕方仕事から帰ると、三嶋屋と書かれた寿司屋の青い大きな湯飲みに表面張力するまでなみなみとお酒をついで、ほんとうにぐびぐびと音を立てて二級酒をあおった。
湯飲みの半分ほどを飲み干し、さらになみなみとつぎ足して一升瓶に栓がされるとセーフ。そこでお酒はストップとなり、その日は家族で食卓を囲んで夕飯となる。
そこからさらに父が湯飲みに酒を足すとアウト。だんだんと雲行きが怪しくなり、何回かに一度はリアルちゃぶ台返しとなる。そんな時は、早々に晩御飯を切り上げ、姉と私は、自分の部屋へと引き上げた。
父が満足する前に、一升瓶の中の酒が尽きてしまうとダブルプレー。「酒買うて来い!」と怒鳴り散らし母に手をあげる。
当時は、清酒に「特級酒」、「一級酒」、「二級酒」と級別制度があり、父が飲んでいた「旭日」は、一番安い二級酒だった。父が暴れると、二階の自室に引き上げていた姉か私のどちらか、もしくは両方が母から呼ばれ「酒屋へお使い」に行かされた。
「二級酒一本、つけでお願いします」と言うように教えられて家を出る。「つけ」というのは、その場でお金を払わず(払えず)、あとで払う約束をして品物だけを持って帰ることだ。
村に一軒の酒屋は、姉の同級生の家で、夜に玄関のガラス扉をたたいくと、いつもおばさんがでてきた。お酒を買うことも、「つけ」という言葉を使うことも恥ずかしく、うつむいて教えられた通りに言うと、おばさんははだかのままの一升瓶を持たせてくれた。私たちは、それを胸に抱えて小走りで家に帰った。
 
そんな父が、50代で糖尿病を発症した。糖尿病の発症自体、特段驚きは感じなかったが、私たち家族が驚いたのは、父が酒をきっぱりとやめたことだった。父が、「酒は、おいしくない、飲みたくない」と言ったのだ。家族全員がやれやれと思った。これで、酒乱とおさらばだ。お酒さえ入らなければ、父はおとなしくとても扱いやすい人だった。「糖尿病さまさま」だ。と家族全員が思った。
だが、糖尿病は、そんな甘いものではなかった。父は、食べることをコントロールできなくなった。今度は「お菓子との戦い」が待っていたのだ。スーパーで父が買い物かごに入れたお菓子を、母がレジでそっと返す。父は家に帰って自分が買ったつもりのお菓子が無いと大声で怒鳴り散らし、母をねめつけた。何度かの攻防の末、母は負けた。母が、「お父ちゃんは気がふれたかと思った」と言うほどのお菓子への執着ぶりだった。私が、久しぶりに実家に帰った時、父は、一斗缶の三分の一ほどの缶に、飴やクッキー、あられ、おかきなど、あらゆる種類のお菓子をいっぱいに詰めて、食べていた。食べて、缶に隙間ができると、すぐに新しい袋を開けて補充し常にいっぱいにする。いくら缶に入れていても、袋から出したお菓子は湿気ってしまうから、私が、「お父ちゃん、誰も取らへんのやから、食べる分だけ開けたら?」と言っても、「ほっといてくれ!」と缶を抱えて離さなかった。わが父親ながら、「これが餓鬼地獄の様子なのだろうか」と空恐ろしかった。
 
若年期はアルコールにむしばまれ、中年期以降はお菓子に依存した父の身体は、70歳を超えるころにはボロボロになり、身体のあちらこちらにカテーテルを挿入し、両目の白内障の手術をするなど、入退院を繰り返した。歩くことが極端にゆっくりになり、トイレが間に合わなくなることもしばしばで、同じく老いた母の手をわずらわせるようになった。母からの電話で、父が今日から入院して食事指導を受け体調を整えてもらうと報告を受けた時、「お母ちゃん、一人でちょっとゆっくりしたらええやん」と母を気遣い、軽口をたたいた。だが、その夜、父は病院のベッドから落下して、歩けなくなった。そして、その日を境に人が変わった。誰かれとなくありがとうと言いうようになり、看護師さんに「こんなにできた人はいない」とまで言わしめた。前回入院してカテーテルを挿入した時、「痛い、痛い、このやぶ!」と大騒ぎをして、医師から「こんなにうるさい人は初めてだ」とひんしゅくを買ったのと同一人物とは到底思えなかった。
私たち家族は、「どうせ、そのうち元に戻る」と思っていが、父が大きな声をあげることは二度となかった。お酒にもお菓子にもさえぎられることなく現れた父の人格は、おとなしく扱いやすいだけでなく、芯からやさしく温厚で深い感謝の念をもっていた。亡くなるまでの約2年間、それはずっと変わらなかった。父は最後に、真の自分、素直な姿を私たちにさらしたのだと思う。誤解を解きたかったのかもしれない。
私も姉も母も、父が大声を張り上げたこと、母に手をあげたこと、雪が降る夜に酒屋へ走らされたこと、何一つ忘れてはいない。一生忘れることはできないと思う。だが、三人で父を思い出すとき、「お父ちゃんは、いつもありがとうって言ってくれたよな」から始まる。「終わり良ければすべてよし」だ。お父ちゃん、よくがんばりました。安心していいよ。お姉ちゃんも私も、お父ちゃんのことそんなに悪く思ってないから。
 
 
 
 
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