メディアグランプリ

青い春の記憶


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:大村沙織(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
※これはフィクションです。
 
「間もなく中目黒、中目黒です」
 
意識の奥からふんわりと聞こえるアナウンス。
重い瞼をこじ開けて、辺りを見回す。
花粉症の薬の副作用で異様に眠く、渋谷から乗って早々にうたた寝してしまったらしい。
朝8時になったばかりの土曜日の東急東横線の車内はまばらで、車両内の乗客は咲の他には4,5人しかおらず、おかげで思う存分に伸びをすることができた。
頭に血が回ってきた咲の目に、目黒川沿いの桜が映った。
3月も半ばを過ぎ、後2週間もすればこの辺りは花見客で大賑わいすることだろう。
目的の駅までまだ時間はあることだし、もうひと眠りしようと体を左側の壁に預けたとき、鮮明に蘇った記憶があった。
程よく固い筋肉の感触。
背中を照らす春の柔らかい陽光。
心地よく体を揺らす、電車の軽快な揺れのリズム。
あれからもう15年か―。

3つ歳上の筒井先輩と出会ったのは、大学の和弓部だった。
軽々と耳の後ろまで弦を引くパワー、どっしりとした姿勢のぶれなさと美しさ、そして的中率の高さに舌を巻いた。
弓道の場合、引き方の型を身につけて的の前に立つのに半年、弓を引いて的に当てるのに更に半年、的中率が50%を超えるのに早くても2年はかかると言われている。
筒井先輩の的中率は50%は優に超えており、戦績からも彼の練習量や習熟度がうかがえた。
3年生のときに部長をやっていたこともあり人柄も良く、男子高出身ということもあってか同性から慕われていた。
同じ大学のメンバーだけでなく、他大の男子学生やOBともつるんでいたのをよく覚えている。
筒井先輩は寡黙だったが、咲は他の部員よりも彼と話をする機会が多かったように思う。
彼の実家が咲の家と同じ方向で、同じ電車に乗る時間が長かったのだ。
最近読んだ本の話から二人とも三谷幸喜のエッセイが好きなことが分かり、自分のお気に入りのエピソードで盛り上がるうちに、咲が降りる駅を乗り過ごしそうになったこともある。
またあるときは咲がまだ読んでいない小説のネタバレをされ、数日後そのお詫びにとお菓子を持ってきてくれたこともあった。
その真摯な姿勢や彼のまじめさに、咲は次第に好感を抱くようになっていた。
咲が自分の想に気づいたのは、夏に他校と合同で行った合宿でのことだ。
当然練習も他校の生徒と行うわけで、咲以外の女子部員もいた。
彼ら彼女らの指導をするのも先輩の務めと、頭では理解していた。
しかし咲は、自分の心の奥で黒い炎が燻っていることに気が付いてしまった。
とりわけ、彼が他校の女子生徒と楽しそうに笑っていたりするのを見たときに。
 
それからというもの、咲は部室に行くのが怖くなった。
筒井先輩とは合宿以降も部活以外で本の貸し借りをしたり、食堂で一緒にご飯を食べたりと、良好な関係を築いていた。
この気持ちを先輩に伝えたい、でもこの関係を続けるのも悪くない…。
およそ自分に似つかわしくない、甘ったるいふわふわとしたマカロンのような心持ちで部室を訪れるものの、咲の心配はほぼ杞憂に終わった。
大概誰もいなかったり、他の先輩や同期が出向かるパターンが大半を占めたからだ。
そして学園祭が終わった11月頃から、彼はレアキャラになった。
キャンパス内で姿を探すも出会えず、彼女でも何でもないのに先輩に連絡を取るのは憚られ、悶々とした日々を過ごした。
 
次に彼を見かけたのは、年が明けてしばらくして開催された部の新年会でのことだった。
久しぶりに彼を見て覚えた気持ちは、恋心というよりもテレビで見る芸能人をライブで目の当たりにして、「この人この世界に実在するんだ!」と感動する感覚に似ていた。
「筒井さん、進路どうなったんすか?」
部長のナイスな質問に、内心で拍手喝采を送った。
「就職決まった」
「おめでとうございます! 東京ですか?」
「いや、関西。京都に行く」
頭をハンマーで殴られたような衝撃が走った。
本人の口から彼とは会えなくなるという現実に直面させられてしまい、その辛い現実に押し潰されそうになった。
 
彼に気持ちを伝えようと、やっとの思いでそう決めた。
かといって就職の準備で忙しい彼の時間をとってしまって良いものか?
そこで忙しい彼に自然に接触できるための作戦を考えた。
―送別会の幹事に立候補すれば、事前に話せる機会も作れるかも。
しかし咲の目論見は大きく外れた。
4年生からは「幹事さんにお任せ★」という伝言が来てしまい、結局話す機会が全くなかったのだ。
―その場で決めるしかない!!
腹をくくった咲は、目一杯のおしゃれをして会場の居酒屋に向かった。
しかしなかなか彼に近づくチャンスがないまま時間だけが過ぎ、2次会、3次会、カラオケと、気付けば電車のないオールのコースをたどっていた。
思えば学生時代にオールしたのは後にも先にもこの日だけだ。
カラオケでだべりつつ朝を迎え、帰る頃には咲はすっかり疲れ果てていた。
いざ筒井先輩に話しかけようとすると、喉がカラカラになり、言葉が出なくなる。
彼に呼びかけることさえできていない今、一体何ができるというのだろう?
自分の臆病さを情けなく思いつつ、空が白み始める中、皆で駅まで歩いていたそのとき。
誰かに後ろから両肩をつかまれ、体の向きを変えさせられた。
目に入ったのは駅の改札口、耳に飛び込んだのは待ち望んだ彼の声。
「送ってくよ、一緒に帰ろう」
 
小さい声で「ありがとうございます」を言うのがやっとだった。
早朝の空いた電車の座席に、2人で並んで座る。
見慣れた電車に、見慣れた車窓の風景。
ここをこの人と歩くことは、もうないんだ。
締め付けられる胸と一緒に言葉まで絞られているようで、何も話せなかった。
そんな沈黙を破るように、先輩は声をかけてくれる。
「幹事、立候補してくれたんだって? 頑張り屋の咲のことだから、お店選びとかも一生懸命やってくれたんでしょ? ありがとね」
やばい、泣きそう。
涙を見せぬように下を向きつつ、声を振り絞った。
「先輩、ずっと好きでした」
会話の流れをぶった切ってるが、構うものか。
いろいろ諦めたら、涙も目に留まるのを諦めたらしい。
堰を切ったように溢れ出てきた。
涙の隙間から見えた、先輩の困ったような笑い顔。
咲の頭にふわりと手が置かれ、撫でられた。
「ありがとう。嬉しいけど、ごめんね」
自分がふられた悲しみよりも、この人を困らせるようなことを言ってしまったショックの方が大きかった。
「いえ、こちらこそ困らせるようなことを言って、すみません」
自分の行為が、涙でボロボロになった顔が、恥ずかしくて上を向けなかった。
 
言いたいことだけ言って、咲は眠ってしまっていたらしい。
先輩は何も言わず、咲が起きるまで肩を貸してくれた。
とことん迷惑をかけまくってしまい、咲は平謝りした。
「全然いいよ、気にしないで」と、最後まで先輩は優しく笑ってくれた。
その笑顔につられ、つい咲も笑った。
「先輩、どうかお元気で」
「本当にありがとう、咲もね」
それが、咲と先輩が交わした最後の会話だった。

15年前の出来事をありありと思い出せることに驚いた。
それだけ自分の中で印象にも残っていたのだろう。
自分の失恋の記憶を思い出したはずなのに、咲の心は筒井先輩の優しさを思い出してぽかぽかと温かくなっていた。
 
「桜はまだ蕾だけど、私の春は一足早く来るんじゃないか?」
 
そんな気がした。
 
 
 
 
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2021-04-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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