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短編小説『妻の失恋』


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:いのまたかなこ(ライティング・ゼミ平日コース)
※フィクションです
 
 
「振られちゃった……」
 
仕事から帰って来た僕に妻・美月は言った。
涙と鼻水でひどい顔だ。きっとまだ泣きたりないのだろう。それを一人では上手く吐き出せず、ぐずっているように見える。こんな時はいっそ号泣させるのが1番だと僕は知っている。
 
美月をソファに座らせて箱ティッシュを渡す。びぃっと勢い良く鼻をかんだ。
 
僕は上着を脱ぎキッチンへ向かった。琺瑯鍋に牛乳を入れ火にかける。辛い時は砂糖多めのココアに限る。
 
だがココアの入ったマグカップを渡しても美月は飲まなかった。湯気をじっと見つめるだけだ。それでも両手で大事に持っている。本当は飲みたいのに泣きたさが邪魔をして飲み出すきっかけがわからない、という風に見えた。
僕は隣に座ってココアを半分ほど飲んだ。そしてマグカップをテーブルに置いた。
まるで拾ってきた猫に「ほら大丈夫、何も毒なんか入ってないよ」と安心させるように。
それを見てやっと美月はココアを二口ほど飲んだ。
 
僕は小さな子供に言うように優しく聞く。
 
「振られたって、何があったんだい?」
 
「だって……もうあの人、私への気持ちが無いみたいなの」
 
「どうして。うまくいっていただろう?」
 
「うん……愛し合ってた。でも今日突然ね、どんなに話しかけても何も言わないの。ずっと無視。どことなく私を見るめも冷たくて……もう彼に気持ちがないのがすぐ伝わったの」
 
そこまで言って美月は涙で話に詰まった。
マグカップを持つ手は震えている。そのカップを僕はそっとテーブルに置いた。
美月は両手が空くと声を上げて泣きだした。涙も鼻水も涎さえも臆面なく晒している。僕はティシュで拭いてやったり、ソファに体育座りして小さくなっている美月の背中をさすったりした。
 
妻はドアと恋愛していた。リビングと寝室を繋ぐドアだ。
僕にはなんの変哲のない木製のドアにしか見えない。でも美月は強烈に恋をした。このドアの為にここに住み出したと言っても過言ではない。
 
「すごいのよ、何十年も。いつも堂々と立っているの」
 
そりゃドアだからな、とは言わなかった。
 
「このキィキィって音。お喋りしてるみたい」
 
古いだけだろう、とも言わなかった。
 
「この木目を見て? 渋いわぁ。それにドアノブ……ああ……すごく色っぽい」
 
恍惚とした表情でそう語る美月の妖艶さに、思わず僕は目を背けてしまった。
 
家にいる時、美月は決まってそのドアに寄りかかった。愛おしそうに撫でたりもした。
美月が言うには2ヶ月間気持ちを伝えるうちに、ドア自身も美月の気持ちに応えてくれたらしい。キィキィがギィギィに変わったそうだ。
ある日僕が予定よりも早く帰宅すると、魚拓さながら全裸でドアに引っ付いたりもした。愛し合っていたそうだ。
 
美月とは幼馴染だった。美月はモテたが誰とも付き合わなかった。
しかし僕の家によく来てはベッドで寝転がって寛いだ。だから僕は両想いだと思っていたし、周りもなんとなくそう感じていた。社会人になった時、僕は関係を前に進めようとした。
 
「そろそろ恋人にならない?」
 
と。しかし想像もしてない答えが返ってきた。
 
「私、恋愛対象が普通と違うの。物に対して胸がときめいたり、嫉妬したり……性欲まで感じたりまでするの……。よくあなたの家に行って寝ていたでしょ? あの時あなたの毛布に恋していたの。だから……ごめんなさい」
 
美月の言ってることがよくわからなかった。話しぶりから嘘とも冗談とも思えなかった。でも僕は彼女と離れたくなかった。
彼女が他の男を愛しているわけじゃない。僕は食い下がった。
 
「それでもいい。僕と一緒に暮らさないか。人に言えない悩みもあるだろう? 結婚しよう。僕が全部受け止める。きっと僕は物に恋している君も含めて愛してるんだ」
 
「私も変わってるけど、あなたも相当ね。私、人間の中ではあなたが1番すき」
 
その言葉だけで十分だった。
僕らは翌日入籍した。焦っていた。人間の中で一番好きだと言ってくれているうちに結婚してしまおうと思った。純粋な彼女の気持ちを優しい言葉で包んで弱みに付け込んだのだ。
だから彼女がどんな恋をしようと、ずっと見守ろうと誓った。愛する人が自分以外を想うのは辛いが、所詮モノだと鷹を括っていたのも本音だった。
 
世の中には人間以外の物だけに恋心や欲望を感じる人がいる。
『対物性愛者』
それが美月だと思う。もしかすると幼い頃に離婚した父親の暴力が原因かもしれない。しかし定かではない。
 
僕は物と人間の恋愛事情がどんなものかまるでわからなかったし、詳しく聞きもしなかった。わからない世界をわからないまま受け入れる。美月と暮らす上ではそれがとても重要だった。
 
結婚して、実際に物に恋をする美月を見てきた。辞書、掃除機、ある交差点の信号機。
潤んだ目で見つめては切なそうに吐息をつく。言葉も交わせない相手に恋をするとはなんて切ないのだろう。見ていて痛々しいほどに。でも恋をする美月は幸せそうだった。
 
「想い合えば、言葉以外で感じるの」
 
と美月はいつか言った。
 
僕達は夫婦だが体の関係はない。キスさえも。正直、愛する女性と暮らしているのに手を出せないのはきつい。手を繋ぐか軽いハグだけだったが僕はそれで良かった。そばにいられることが僕の幸せだった。
 
号泣がすすり泣きに変わり、泣き疲れた美月は少し眠たくなったようだ。こてんとソファーに横になった。さっきまで泣いていたのに今度は眠たい、それが恥ずかしいらしく、美月はもじもじと小さな声で言った。
 
「あのね、寝室に行けないの」
 
僕は寝室に繋がるドアを見た。そうだろう。あそこを通るのは今の美月には厳しい。
 
僕はクローゼットからシーツを取り出して広げた。少し怒りを込めてドアを半分ほど引く。なるほど、キィともギィとも言わない。ネジでも取れたのだろう。
ドアが隠れるように上からシーツで覆った。全部は隠しきれないがさっきよりはマシだろう。
寝室からタオルケットや掛け布団もリビングに持ってきた。ソファーに横になっている美月の上に優しくかけてやる。頭の下には枕も敷いた。
 
「眠れそうかい?」
 
横になった美月の目線まで僕はしゃがんで言った。
 
「うん……ありがと……寝るまでそばにいてくれる?」
 
美月はまだ涙の混じった鼻声で懇願した。僕の服の裾をちょこんと掴んでいる。僕はその手を両手で優しく握った。
 
「ああ、もちろん。……そうだ、明日にでも不動産屋へ行こう。あんなドアのそばで我慢して暮らすことなんかない」
 
美月はギュッと手に力を入れた。
 
時間が経てば美月はきっとまた違う物に恋するだろう。それがテーブルだったり鳥居だったり、もしかすると飛行機だったりするかもしれない。
僕はその時々最善な方法一緒に考えてやりたい。いつだって応援するし何度だって慰める。
 
この決して普通とは言えない、ぱっと見壊れかけで繊細な美月が心から愛おしい。
そんな美月と結婚した僕自身も他人には理解しがたい人間だろう。
 
美月は寝息を立て始めた。僕は物から得られない温もりを感じて欲しくて、そっと濡れた頬にキスをした。
 
 
 
 
***

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2021-04-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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