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悔しいのは、アイスクリームのせいだけなのか?


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:仲 弥生(ライティング・ゼミ集中コース)
 
 
「もう本当に何やってるの!?」
せっかく歯みがきをしたのにアイスクリームなんて食べさせてる。
信じられない光景だ。
 
2歳児の仕上げみがきがどんなに大変か。
嫌がる娘を優しく説得して、なんとか仕上げみがきをしたのだった。
どっと一日の疲れが出てくる。私は共働きフルタイム三児の母である。お迎えから寝かしつけまでは毎日怒涛のタイムスケジュールだ。
 
母と同居しだしたのは2019年の夏。
「うっかりアイスを見せちゃったのよ、かわいそうでしょ?」
私の怒りとは裏腹に、にこにこアイスクリームを食べる2人。
 
本当に腹が立つ。
この人は、いつだって私の努力を台無しにする。
そんな思いが頭の頂点を突き抜けていく。
 
私はもう一度、娘の仕上げみがきを無理やりして、泣かせたまま寝室へ連れていき、一緒に布団に入る。横で娘は泣いている。私も悔しくて涙が出てくる。
 
(もう嫌だ……)
 
 
私はいつからか、母と一緒にいることが心地悪くなっていた。
高校か、中学か、もっと前かわからないが、一緒にいると心が止まるような、自分にとって意味のない進まない時間となることが嫌だった。
それを悟られないように、ありきたりの話をしてみたり、自分をネタに面白い話をしたり、母を笑わせることが絶対的に良いことだと思っていた。私はそうして意味のある時間を演出していた。だから母は、私のことを面白い子と思っていたと思う。
 
母は怒りを抑えられない人だった。私が物心つくころには祖母と母が毎朝大喧嘩をしていた。茶碗が飛び、鏡が飛ぶ、みたいなすさまじい光景がくりだされていた。私にもみかんやライターが飛んできた。いまでも大きな物音がすると、体がビクッとなってしまう。
 
普段は普通の人より陽気な人で、そんな母は大好きだった。
家族団らんも大笑いの連続で、そういう時間も大好きだった。
 
事業に失敗して鬱になった父と離婚して、母はいわゆる女手一つで2人の子供を育てた。母が30代半ばの頃は彼氏がいて、仕事から帰ってきて、着替えを取ってすぐに出て行ってしまう、なんてことがよくあった。私はまだ保育園に通っていて、送迎は祖母がしてくれていたが、私は母のことが大好きで、母とたくさん話したかった。
 
「ね、ママ! あのね、今日おしろい花の花をすりつぶして色水作ったの!」
帰ってきた母と少しでも話したくて、私はすぐに声をかけた。
 
「それ、今は話さなきゃいけないことなの? ママ急いでるの見てわかるでしょ?」
 
私は何も言えなかった。
その頃からだった。私は母の様子をうかがって、自分の行動を決めるようになった。
心にはいつも強い諦めがあった。ただ怒られない、母に評価される、母に話を聞いてもらえる人になりたかった。
 
大学卒業後、早々に結婚して出産して10年以上母とは離れて暮らしていたが、母にガンが見つかったのが5年前。3年放置して大きくなりすぎたガンのせいで倒れた母を放っておけなくて、マンションを売って戸建てを買い同居を始めたのだった。
 
同居を始めてすぐ、母と同じ屋根の下にいる強い違和感、居心地の悪さが私を襲った。
それに気づかないようにして、母を最優先に行動しても、母に怒鳴られる。喧嘩になる。
今まで最優先にされてきた娘たちとのバランスも崩れて、娘たちの不満も大きくなった。
良いことをしているつもりでも何もうまくいかない。同居生活は最悪だった。
 
「こんな居心地の悪い家はない!」と母に怒鳴られた時だった。
(あー、私この人のこと嫌いだわ)
 
そう、私はずっと怒鳴る母が嫌いだった。
私を馬鹿にする母が嫌いだった。
他人を馬鹿にする母も嫌いだった。
それなのに私より他人を大事にする母が嫌いだった。
私を理解してくれない母が嫌いだった。
そのくせ自分を理解しろという母が嫌いだった。
 
私は母が嫌いだったのだ。
心地の悪さは、母が嫌いなのに、母を最優先にしている自分の中の矛盾だったのだ。
 
私が一生懸命努力してアピールしたって気づきもしない、簡単に台無しにする。
小さい頃からずっとそうだったのだ。
だからアイスクリームがあんなに頭にきたのだ。
 
2020年の夏、私は煮えくり返って母に言った。
「嫌いだから! 私に配慮もない言葉を平気で言ったり、大声で怒鳴ったり、そういうところ大嫌いだから!」私は生まれて初めて母に嫌いだということを伝えた。
向こうだって黙っちゃいない、大喧嘩になって、母は出ていくといった。数日後、部屋が見つかったと報告され、そして母は出て行った。
 
心地の悪さの理由がわかっても一緒にいることにまだ違和感があった私は、母の一人暮らしの家に行くのが憂鬱だった。先が長くないから孫の顔を見せなきゃとか思うけどなかなか足が向かなかった。
 
2021年3月往診の先生から電話。もう危ないので誰かがついているようにと言われた。昼は訪問看護師さんやヘルパーさんがいるが、夜は一人だから心配だと。その数日後から近所に住む私が夜泊まることにした。
 
2日目の夜。
その日は、急に冷え込んだ日で暖かくした部屋の中は母は寝ていた。
静かな夜だった。
母の家の仏壇に手を合わせているとき、私はふと気づいたのだ。
 
私が母のことを嫌いだったのは、
 
私がずっと母と笑っていたかったからで、
母に認めて欲しかったからで、
母を立派だと尊敬したかったからで、
私を大事にして欲しかったからで、
私を理解して欲しかったからだ。
 
つまり私は母が大好きなのだ。
 
そう思ったらそれまで全然出てこなかった涙が溢れてきて、
「母を救って下さい」
仏様に初めて心の底からお願いをした。
 
その3時間後に母は眠るように亡くなった。
最後は手を握り、体をさすり、今までで一番優しくできた。
ずっと私が母にしてもらいたくて、してもらえなかったこと。
それをしてあげられた。
 
母が私に寄り添わなかったのは、
不遇な子供時代を過ごしていて自身も親からされたことが無かったから。
私は決して手に入らないものをずっと求めていたのだ。
母は決して寄り添ってくれなかったけど、今なら私のことを好きだったと思える。
 
こうして、私は40年間やり残していた反抗期を終わらせてもらい、
母はやり残した最後の仕事を終えたのであった。
 
 
 
 
***

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2021-05-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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