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メディアグランプリ

指先の花畑と腐った牛乳


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:宮崎真帆(ライティング・ゼミ集中コース)
 
 
「爪が綺麗なうちは、大丈夫だなって思えるの」
そう言って笑う彼女の指先には、綺麗な花が咲いていた。
 
入社してまだ間もないころ、先輩と一緒に受け持ったのは案件で使うサーバの検証作業だった。
といわれても、同業の以外の方にはあまりピンとこないだろう。システムエンジニアの仕事はいつも説明に困る。なのでざっくり簡単に言ってしまうと、その機器が顧客の求める要求を満たしているかどうか、実際に動かしてみて確認する作業だ。今だとたぶんインターネットを通じてリモートで作業できると思うのだけれど、当時は回線の性能も低く、データセンターに足を運んで作業していた。様々な会社から人が集まり、ひとつひとつ課題をこなしていく。検証期間は短く、朝から晩までずっと画面に向かう日々。
彼女と出会ったのは、そんな現場だった。
 
当時のIT業界は女性が少なく、サーバやネットワークなど俗にインフラと呼ばれる部分の技術者にはさらに少なかった。上司もそのまた上の上司も、先輩もすべて男性だ。とはいえ入社する前からそれは知っていたし、だから嫌だとか思ったこともない。ただ、同じような仕事をしている女性と話してみたいとは思っていたから、彼女を見つけた時は素直に嬉しかった。ショートカットの、表情がくるくると変わる活発な人。はっきり歳を聞いたわけじゃないけれど、たぶん私より十歳は上だと思う。
彼女からしてみても私ぐらいの歳の女性は珍しかったんだろう。キーボードを打ちながら、様々な話をしてくれた。今までやってきた仕事の話や無茶を言う顧客の話、やってしまった失敗について。趣味だという海外旅行の話を聞かせてもらったこともある。何を話していてもきらきらとして楽しそうで、私はあっという間にその人のことが好きになった。
 
彼女はいつも指先に綺麗な色のネイルをしていた。
ピンクやベージュのこともあれば、青や緑のラメが入っていたこともある。そのそれぞれに、いつも白い花が咲いていた。まだジェルネイルが流行する前の時代だ、きちんと手入れをしていないとこの爪は保てない。数日ごとに色合いを変えているのが可愛くてそう口にしたら、返ってきたのがこの言葉だったのだ。
 
「爪が綺麗なうちは、大丈夫だなって思えるの」
 
意味がわからず首を傾げる私に、彼女は微笑んで続ける。
「この仕事、すごく忙しかったりするでしょ。終電で帰れないこともあれば、朝早く出なきゃいけないこともある」
そうして、指先に目を落とす。
「でもね、こうして指先が綺麗なうちは、大丈夫だって思える。まだいける、って」
悪戯っぽく笑った彼女は、肩をすくめる。
「まあ、ぼろぼろになりはじめたら、ほんとに限界ってことなんだけどね。だから、そう、……命綱みたいなものかな」
疲れ切ってしまう前に、きちんと気づけるようにね。
目を瞬かせる私に向けられた目は、いつかわかるわ、と言っているようだった。
 
あなたは、自分のことをどれだけわかっているだろう?
自分自身のことなのだからわかるにきまっている。そう思う人がほとんどだろう。
疲れたら、疲れたとわかる。むしろ、わからないほうがすごい。
私もそう思っていた。
 
おかしいな、と感じたのはそれから数年後。
エンジニアとしてひとりで案件を任されるようになったころだ。そのころには彼女のことなどすっかり忘れて、日々忙しく働いていた。任されたのはかなり責任の大きな役どころで、プレッシャーも感じつつ張り切っていた。
けれど途中から、微かな違和感を覚えるようになったのだ。
何かがおかしい。
でも、その正体がわからない。
大きな失敗をしたわけでもない。朝が起きれないわけでも、辛いことがあるわけでもない。期限通りに仕事をこなして、成果も上げている。けれど地に足がついていないような感覚が、ずっとひたひたとついてくる。あまりにも曖昧すぎて、気のせいだと言われれば納得してしまうような感覚が。
 
だからある日、愕然としたのだ。
冷蔵庫にあった牛乳が、腐っていたことに。
 
私の好物はミルクティだ。どれだけ忙しくてもお湯を沸かして、茶葉からいれた紅茶にたっぷりの牛乳を注ぐ。だから、牛乳が腐ることなんてありえない。ありえないことが起きている。
そこでようやく、私は悟った。
一番好きなものさえ飲んでいないぐらい、それにも気づかないぐらい、追い詰められていたのだ。
そうして思い出したのが新人のころ出会った彼女の言葉だった。彼女は指先を命綱にしていた。私の命綱は、冷蔵庫にはいっていた牛乳だった。
私はすぐさま日々の予定を組み直して、ミルクティを作る時間を、意図して休む時間を作った。それから違和感は少しずつ、私の体から抜けていった。気を張りすぎていたのだと、今ならわかる。
 
あなたは、自分のことをどれぐらいわかっているだろう?
自分自身のことなのだからわかるにきまっている。そう主張するのも無理はない。
けれどもし、気が向いたらでいい「これができなくなったらかなり参っている」とわかる基準をひとつ持っておいてほしい。
すぐには効果がわからないだろう。もしかしたら、ずっとわからないかもしれない。
 
けれどそれは確実に、あなたの命綱になる。
 
 
 
 
***

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2021-05-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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