竜宮城でコーヒーを飲む
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記事:宮崎真帆(ライティング・ゼミ集中コース)
「海の音がする」
幼いころ、喫茶店に入るたびにそう思っていた。
喫茶店は竜宮城だ。なんていうと、首をかしげられるに違いない。もしかしたら喫茶店好きの人の中には納得してくれる人もいるかもしれないけれど、ほとんどは訝しげに首をひねるだろう。そもそも喫茶店そのものに馴染みのない人もいるだろうし、喫煙者が多いイメージのせいか、避ける人がいるのも知っている(とはいえ、最近は灰皿のないお店の方が多い気もするけど)。同じ飲食店ならおしゃれなカフェを選ぶ人も多いし、その気持ちもわからなくはない。
暗がりにひっそりと佇んでいる、街の喫茶店。たいていが目立つような店ではない。特に何かあるわけじゃないし、特別さを見出す人間の方が稀だろう。でもやっぱり、私にとっては竜宮城だし、特別なものだ。扉を開くたび、腰を下ろすたびに、私を穏やかな海の底に連れて行ってくれる。
幼いころから、喫茶店は身近なものだった。
よく祖父の家に預けられていた私は、叔父に連れられては喫茶店にいた。片田舎のアーケード街の奥にある、古めかしい喫茶店。赤い大きなコーヒーミルが目印のように置いてあって、階段を上がれば長いカウンターといくつかのテーブル席があった。決して広くはない。お客さんもあまりいない。けれど不思議と居心地の良い、穏やかな場所だった。
いつもコーヒーのいい香りがしていたけれど幼い私は飲むことができず、ミックスジュースを手に座っていた。カウンターに座り、目の前のガラスの中をじっと見る。揺れる炎の上で、コポコポと泡が上っていく。それがサイフォンと呼ばれるものだと知るのはもう少し後のことだ(余談になるが、ミックスジュースは西日本の文化で、東日本だとミルクセーキの方が多くなるのだと東京に住んで初めて知った。最近ではずいぶんとミックスジュースの知名度も上がってきて、あちこちで見かけるようになりとても嬉しい)。
大人になり、さまざまな街のさまざまな喫茶店に行った。けれど、その穏やかさはどこも同じだった。都会でも田舎でも、海沿いでも山奥でも変わらない。ゆったりと時が流れて、外の世界を忘れるような空間だ。乙姫様はいないけれど、そのかわり美味しいコーヒーがじっくりもてなしてくれる。
ひと口に喫茶店といってもその業態もあり方もさまざまだ。そのなかでも私が特に好きなのは、ごく一般的な喫茶店だ。昭和のころからありそうな、あの古めかしい店内を思い浮かべてほしい。周囲を見渡すと、地元のお客さんでぽつぽつと席が埋まっているような、そんなお店。新聞を広げていたり、書き物をしていたり、その過ごし方はさまざまだ。いつも適度に埋まっていて、いつも適度に空いている。
店内はたいてい少し薄暗くて、温かみのある灯りで照らされている。窓があっても外からの光で逆に室内が暗く見えるような、そんな店内。店員は最低限の言葉を発するだけのこともあれば、常連客と穏やかに話していることもある。独特の少し硬い椅子に腰を落ち着けると、ふっと肩から力が抜ける。注文してからテーブルに届くまで、それなりに待たされることも多い。けれど不思議と気にならない。すべての時間がゆっくり流れて、通りを歩く人たちがまるで早回しのフィルムに見える。どこかから、コポコポと音がする。
東京で暮らしていると、その速さに疲れることがある。とはいえ、その速さが嫌いなわけじゃない。むしろ大好きだ。目まぐるしく変わって、新しいものが入ってきて、飽きないしワクワクする。情報だって溢れているし、そのすべてが刺激的で楽しい。
けれど、田舎育ちの私にとってその速さは慣れないものだった。どれだけ好きでも楽しくても、速さに耐えきれず疲れていく。そんな時にふらりと寄るのが、街の影にたたずむ喫茶店だった。そうして深く息を吐いて、また早回しの街へ飛び込んでいく。
最近はホットケーキなどのブームもあって、喫茶店に若い人を見かけることも増えた。場所によっては入口で待っている人たちも多い。こうして若い人たちが喫茶店に親しんでくれるのは、昔からのユーザーとして本当に嬉しい。
けれど、もし、喫茶店そのものに興味を持ってくれたなら。ぜひ目立たない、街の片隅でひっそりとたたずむ店に行ってみてほしい。たいていの扉は古めかしくて、少し緊張するかもしれない。中の様子もわからなくて、戸惑うこともあるだろう。けれど怖がることはない。
ゆっくり扉を開いたその先に、穏やかな時間が待っている。
***
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