言語化できないものを無理矢理言葉に直そうとすると、大きなものに回収されてしまう
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:武田初実
今年の日本アカデミー賞を3部門で受賞した映画『ミッドナイトスワン』を初めて目にした時、感じたのは感動よりも強い「悔しさ」だった。草なぎ剛さん演じる主人公「凪沙」の深い愛と、それに応えるように徐々に心を開いていく「一果」の悲しみと成長。こんなに胸が締めつけられるような感覚を味わったのは久しぶりだったのに、それを言葉に直そうとするとどうしても空虚なものになってしまうような気がしていた。
この「悔しさ」は一体どこから来るものなのだろう。そんなことを考えていた時、私の頭の中に浮かんだのは数年前に付き合っていた彼のことであった。
彼とは仕事の関係で知り合った。同年代で趣味や仕事に対するスタンスも似ていた私たちは知り合ってすぐに意気投合し、自然な流れで付き合うようになった。
彼は一言で言えば「イケメン」で、社内・社外を問わず女性からの人気は高かった。実際、目鼻立ちは「本当に日本人か?」と疑わしく思うほどくっきりと整っていて、白い肌には毛穴一つ見当たらなかった。
「ハツミは普段どんな化粧品を使ってるの?」
「うーん、あんまりこだわりはないかな。ファンデーションとかもいまだに正しい塗り方が分からなくて、結構適当にやっちゃってる」
「駄目だよ。女の子なんだからちゃんとしないと」
そんなやりとりが会話の中にしばしば登場し、私が彼に対して引け目を感じることも少なくなかった。
またある時には、一緒に遊んだ帰りの新宿駅で、彼と別れた後に私がふと用事を思い出して振り返ると、私と同じくJRに乗るはずだった彼が改札を抜けて再び夜の街に消えていった、なんてこともあり私の不安はますます加速していった。
それでも、恋愛初期の高揚感も手伝って彼と会うのは楽しかった。仕事の休日も異なる私たちが会うのは大体平日の仕事が終わった時間帯で、「デート」といっても飲みに行くばかりではあったが、お酒にも詳しく色々な店を知っている彼は、何も知らなかった私に新しい世界を示してくれたように思う。
そんなある日、いつものように仕事後に二人で飲んでいたところ、彼が突然、
「ねえ、ハツミは俺に何か秘密にしていることはない?」と尋ねてきた。
私はどぎまぎしながら「えっ、ないよ。ないない」と答えたが、彼はその後も執拗に
「本当に隠してることないの?」と聞いてきた。
そんな風に尋ねられても心当たりのない私にはどうすることもできない。困り果てた私は
「そう言うYくんはどうなの?」と苦し紛れに彼に話題を振った。
すると彼はややしばらく考えてから
「なくはない。でも、仕事でつながりのあるハツミには言いたくないな」と答えたきり後は何も教えてくれなくなってしまった。
こうなったら私の番だ。さっき彼に聞かれた分まで何度でも聞いてやろう。そう決意した私は
ヒントは? 過去の恋愛に関すること? もしかして、現在進行形とか?
と矢継ぎ早に質問を繰り返した。そのどれもで「違うよ」と穏やかに返した彼ではあったが、どうやら本心では私が早く正解にたどり着くのを待っているようで、次第に「全然当たらないなあ」という苦笑まじりの感想を漏らすようになっていた。
そんなやりとりをもう何度繰り返した頃だろうか。徐々に投げやりになりつつあった私が「男の人が好きとか?」と尋ねると、彼は少し驚いた様子で
「違う。でもちょっと近いかも」と呟いた。私は初めて「違う」以外の反応を得られたことに軽い達成感を覚えていたが、ここまでのやりとりで疲弊しきった頭ではこれ以上考えることもできず、
「ギブアップ。もう全然分からない」と白旗をあげた。彼の方も、もう心の準備は整ったようで、先ほどよりも時間をかけずに
「実はさ、俺……女装が趣味なんだよ」と答えた。
そういうことだったのか……。やけに化粧にこだわっていたことも、夜遅くなってから新宿に繰り出していたこともこれで説明がつく。
納得と予想外の回答に対する戸惑いを隠すように
「そうだったんだ! Yくん、肌とかすごい綺麗だもんね。絶対似合う。写真、見てみたいな」と努めて明るく言うと、彼は照れながら鍵のかかったツイッターのアカウントを見せてくれた。
そこに収められていた写真はどれも、化粧や服装といった目につく部分だけでなく、目線や光の当たり方といった細部まで「美しく」映るよう研究し尽くされたものだった。
私は純粋な感動を覚えた。こんなにも自分を磨き、努力し続けている人がいるなんて。
「きれい……」私の言うことができたのはわずかにそれだけだったが、その一言でも言いたいことはしっかりと伝わったようだった。彼ははにかみつつ
「まだまだ研究中だけどね」と応じてみせた。
「でも、どうして女装を始めようと思ったの? 女の子になりたい、とか」
「いや、そうではなくて、この格好が一番「自分らしく」いられると思ったのが
始まりかな」
「自分……らしく?」
「そうそう。女の子もあると思うんだけどさ、同性同士って何かとめんどくさいんだよ。些細なことで張り合って、自分の方が上だってことを誇示したがる。社会人になるとそれがもう顕著に出て、大手企業に勤めているとか収入がいくらあるとか、そんな話ばっかりなんだよ。なんかそういうの、くだらないと思っちゃってさ。だからと言って、異性だと今度はすぐ付き合う、付き合わないの話になって、これもめんどくさい。だから、この格好でいる時が一番楽なんだよ。余計なことを考えなくて済むからね」
結局彼とはその後、別の理由で別れてしまったが、付き合っている間に何度か女装姿の彼と遊びにいったこともある。その時の彼の生き生きとした様子は今でも忘れない。それはまさに、彼の「生きづらさ」とそこに向き合い続けた彼の努力の結晶だったと思う。
ここまで思い出して、気づいた。私が『ミッドナイトスワン』を見て感じた違和感の正体はこれだったのだ。映画の中で描かれていたのは、まさしく現代を生きる人間の様々な「生きづらさ」であった。ところが、それを言葉で表現しようとすると途端に「ジェンダー」や「母性」の問題といった大きくて強いものに回収されてしまう。実際私も、映画を見る前に知人にあらすじを尋ねた時、知人が「トランスジェンダーの『凪沙さん』が孤独な少女『一果』と出会うことによって母性に目覚めていく話」と言うのを聞いて「ふーん、そんなものか」と冷めきった思いを抱いていた。
ところが、本当はそんなに単純な話ではなかったのだ。「トランスジェンダー」も「母性」の間違っている訳ではないけれど、こういった大きくて強い言葉で一括りにしてしまうことで、大事な何かが抜け落ちてしまうような気がした。
『ミッドナイトスワン』はこうした「言葉から抜け落ちてしまう大事なもの」を私に思い出させてくれるきかっけとなる映画であった。
***
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