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楽譜という地図が、知らない景色を見せてくれる。ピアノが下手な私が、それでも弾き続ける理由


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記事:小澤 舞子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
楽譜をめくりながら、「地図みたいだ」と思うことがある。新しい楽譜を開く時、まだ訪れたことのない場所へ誘われているみたいで気持ちが高揚する。その曲を作った人から、「あなたも早く私の場所に来てごらん」と手招きされているような感じだ。用意された音符と記号を頼りに、私は作曲者の眺めている景色へと向かう。楽譜は演奏者にとっての地図であり、ガイドブックだ。
細々とピアノを続けて30年になるが、楽譜という地図ほどツンデレな存在はないと思っている。ゴテゴテの和音がいくつも連なり、ページがパッと見て「黒い」からといって、難しい曲とは限らない。また、見た目がすっきりしているからといって、簡単な曲というわけでもない。シンプルに見える地図、見た目がすっきりしているガイドブックほど、旅行者自身の力量が試されるのと同じことなのかもしれない。
例えば、私が油断して痛い目を見たクラシックの中に、クロード・ドビュッシーの『雨の庭』という曲がある。楽譜上は音符が詰まっている様子もなく、指の動きもシンプルで、一見弾きやすそうに見える。だがこの曲、まさに雨粒が天から地に落ちるような猛烈なスピードで弾かなければ何とも間の抜けた曲になってしまい、指の動かし方は一定でも、押さえる音に法則のようなものも見いだせない。ピアノを弾く方ならこの曲をご存じかもしれないが、知らない方も一度ぜひ楽譜を見てみてほしい。「しとしと降る雨を、ゆったり表現すればいいのね」などと油断していると、とんでもないことになる。偉大なる作曲家に対して素人が何も言えないが、もし一言だけ許されるとしたら「見事に騙されました」という所だ。ドビュッシーがこの曲を作る時に眺めたであろうドラマティックな雨の庭に、私はいまだに辿り着けていない。
そしてもう一人、シンプルで難解な地図をよく私にくれる作曲家がいる。ベートーヴェンだ。例えば、ソナタ『テンペスト』の第3楽章。楽譜は割とシンプルで、ページの見た目も「白い」。音を拾うだけなら実際には弾きやすく、ペダルを踏んでしまえばそれっぽく響かせることもできる。でも、ベートーヴェンは「ペダル踏んでいいよ」とは言っていない。「ゆっくり弾けばいいよ」と許してくれてもいない。その上、「これやりながら跳ねるんかい」という所にスタッカートがさりげなく打たれているなどというのは序の口で、「この音を押さえながらこの指の移動は無理ゲー」と絶望した後、「更にここを滑らかに弾けと……?」と、虹のように弧を描いたスラーがいくつかの音符を繋いでいる。ベートーヴェン、苦労人でもあるが、音楽の教科書でいつも怖い顔をしていたのを思い出す。だから弾けない時はいつも、あの顔で「私の見ている景色を“見た~い”などという愚か者は出てくるがよい!」と、凄まれているような気分になる。
『テンペスト』という曲名は、ベートーヴェンが当時の秘書に「曲の背景を教えてほしい」と頼まれた際、「それが知りたいのならシェイクスピアの『The Tempest』(嵐) を読め」と言ったことから名づけられたと言われているのだが、この曲を実際に弾きながら物語の嵐を体感できる日は、まだずっと先の話になりそうだ。むしろ、弾きこなすまでの嵐を乗り越えられるのかが分からない。
こんな風に、憧れの曲があってもなかなか上達しないことが積み重なると、練習の時間はきついものだ。楽譜には、一つひとつの曲を作曲家たちがどんな状況で誰に向けて作ったのか、解説が載っていることも多い。そのエピソードを読むと、「ショパンが恋人に送りたかったのは決してこんな曲じゃなかったはずだ……」「ベートーヴェンは絶対こんなことを伝えたかったんじゃないだろう……」と、自分の演奏に突っ込みを入れることになる。けれど、それでもめげずに楽譜に書かれた音符の長さや強弱を指で実践し続けていると、昨日まで間違えていた所が今日は間違えなくなっていると気づいたり、頭で考えるより先に指が動くようになっていったりして、いつの間にか地図通りに目的地の前まで来ていたということもある。楽譜を正確に表現できた時、初めてその作曲家の目になれたような気持ちになるのだ。
何百年も前の時代に、遥か遠くの国で生涯を終えた作曲家たちが、当時何を感じていたのか。あるいは今を生きる作曲家たちが、どんな景色を伝えようとしているのか。楽譜は、そこへ自分を連れていってくれる地図だ。感情のままに演奏するのもいいが、まず楽譜を一歩一歩辿ってみることで、見えてくるものがある。楽譜を読み解けて初めて、自分なりのアレンジや表現もできるというものだろう。
地図を辿るのは、結構難しいものだ。地図記号に縮尺にと、頭が痛くなる。でも、せっかくなら演奏しながら作り手の眺めていた景色を一緒に見てみたい。時代も、国境さえも超えて。そんな思いで、私は今日も地図を広げながら汗をかいている。
 
 
 
 
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2021-06-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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