フランケンシュタインの腕
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:久米 靖(ライティング・ゼミ平日コース)
関東甲信が梅雨明けを迎えた日の午後、ボクは都内の病院の手術台にいた。
「麻酔はワキに注射しますからね」先生が淡々と言う。
(うわっ! 痛そう……)
「指先に電気がビリビリと走ったら、あっ! とか、うっ! とか言ってくださいね」
最初の麻酔で中指と薬指にビリビリッと電流が流れた。肘をぶつけた時に起こるあの感覚だ。いちいち声を出そうとしなくても、自然に「ううっ!」といううめき声が漏れる。
3本の麻酔を注射したが、その度に指先に電流が走る。
「今、どこがビリビリしました?」
「小指ですね……」
「うーん、まだかなあ……」
どうやら何かを待っているらしいのだ。
引き続いて、4本目・5本目を注射。
5本目の針を射した瞬間!
「うううーっ!!」。親指に最大級の電流が流れた。
「よしよし、これで大丈夫♪」
左肘に初めて痛みを覚えたのは、2年ほど前だった。
整形外科で診断してもらったところ、病名は「上腕骨外側上顆炎(じょうわんこつがいそくじょうかえん)」。いわゆる「テニス肘」だという。
年齢とともに劣化して傷んできた肘の筋肉を使い過ぎた結果、肘の骨の近くで炎症が起こって痛みが生じる病気だそうだ。中高年のテニス愛好家がこの病気になることが多いので、通称「テニス肘」と呼ばれているのだが、日常的なパソコンのキーボード操作などでも発症するらしい。
当初は、痛み止めのステロイド剤の注射を打ってしのいでいた。
一時的に痛みが消えたが、4ヶ月ほどするとまた痛みがぶりかえす。その間隔が3ヶ月、2ヶ月とどんどん短くなっていった。
再発すると、左手で物をつかんで持ち上げたりタオルを絞ったりする時に激痛が走る。
フライパンが持てなくなり、次には2リットルのペットボトルが持てなくなり、ついには
グラス1杯の水さえ持てなくなった。
ステロイド剤は頻繁に投与すると、組織を破壊してしまうらしい。
手術という手段があることは聞いていたが、腕にメスを入れること、3~4週間は腕を三角巾で吊る状態になること、完治するまでには4ヶ月程度かかることなどから、踏み切れずにいた。
しかし、5回目のステロイド注射のあと2ヶ月もしないうちに、ついに左手でスマホすら持ち上げることが困難になった。
(もう限界だ……)
手術を受けることを決心し、とうとうその日が来たのだ。
麻酔は「上肢伝達麻酔」という局部麻酔。神経周辺に麻酔を注射することで、痛みを感じなくなるそうだ。
5本目の注射を打ち終わり、徐々に腕が痺れてきた。
しばらくすると、左腕や手術の様子が見えないよう、顔の近くが大きな布で覆われた。もちろんちゃんと呼吸ができるよう、ポールで布を支えて空間を作ってくれている。
これはありがたかった。痛みがなくても、さすがに自分の腕が切られるのを直視することはできない。
先生の他には助手の方が二人いた。
「では、手術を始めますね」
(ええっ!? ちょっと待って!!)
「先生、まだ指や腕に感覚が残ってるんですけど……」
「この麻酔は完全に感覚を無くすものではありません。触られた感覚などはある程度残りますから、もし我慢できないほど痛かったら言ってください」
(……まじかっ!!)
ついに始まった。
左肘の周りを指で押さえられ、ゆっくりだが肘の皮膚をサクッ、サクッとメスで切られるのを感じる。
もちろんそんな音が聞こえるわけではない。あえて音にするとそんな感じなのだ。
「血圧上昇! 165です!」
助手の方の少し緊張気味の声が手術室内に響く。
「久米さん、ゆっくりと大きく呼吸をしてください」
「血圧が上がっているので、これから血圧を下げる薬を注入しますね」
すぐに反対の腕に針を刺され、薬が投与された。
手術は確実に進んでいるようだった。
布越しに聞いてみる。
「今、何をやってるんですか?」
「傷んだ腱を取り除いてるんですよ。かなり傷んでますね……」
しばらくして左肘は終わったようで、施術ヵ所が左手首に移った。
同じようにメスが入るのを感じるが、こちらはかなりズーンッ!と響いてくる。
(肘はもう縫い終わったのかな? それとも肘を開けたまま手首も開いてるのかな?)
ついつい余計なことを心配してしまう。
少しでも気を紛らわせようと、別のことを考えた。
(何かの手違いで、手術が終わったら左腕だけターミネーター並みの怪力になったりしないかな……)
しばらくすると意識を引き戻された。肘と手首の間に鈍くて重たい痛みが出てきたのだ。
「先生、痛いんですけど……大丈夫でしょうか?」
「ああ、今骨をさわっていますからね」
(……聞かなきゃよかった)
とてつもなく長く感じた時間が過ぎて、やっと待ちに待った瞬間が来た。
「はい、終わりました!」
手術に要した時間は、約2時間だった。
すでに腕は包帯でぐるぐる巻き。
右手で左手を持ち上げて首から吊られた三角巾の中に入れたが、その腕は生あたたかく、眠っている猫のようだった。
夜になると麻酔が切れて、ジンジンと痛んできた。処方してもらった痛み止めを飲んで一晩しのぎ、翌朝消毒のために再び病院を訪れた。
包帯が解かれ、そこで初めて自分の腕をまじまじと見た。
(うわあっ! フランケンシュタインみたいだ!!)
私鉄電車の地図記号のようなギザギザが、肘に約7センチ、手首に約5センチ走っている。
しかも傷口は大きく盛り上がっている。
「なんか、盛り上がってますけど……」
「そうそう! 久米さんを盛り上げてあげようと思って……」
先生は両手のひらを上に向け、場を盛り上げるような動作をした。
「…………」
「え、あ、いやいや、傷口は治る時に引っ張る力が働くので、わざと少し盛り上げているんですよ」
「……へえ~」
腕は毎日少しずつ痛みが引いていき、手術から十日後に抜糸となった。
「抜糸って痛いんですか?」
「久米さんがやさしい人でしたら、全く痛くないと思いますよ。さて、どっちでしょうねえ~ハハハハハ!」
「……」
抜糸はとても簡単だった。
まず手首から。
糸玉の根っこをハサミでチョキンと切って糸を引っ張ると、そのままシュルシュルと糸が抜けていった。
もちろん、全く痛くない。
次に肘の抜糸。
(あ、記念に写真撮らなきゃ……)
バッグに右手を伸ばしてスマホを取ろうとすると、先生の絶叫が!
「ああっ!! 動かないでっっっ!!」
フランケンシュタインの傷は、少し小さくなっていた。指を動かすとまだ痛いが、それもかなりましになっている。
ペットボトルを持ち上げてみると、傷口はまだかなり痛むが、テニス肘のあの痛みはない。
さらに1週間後、腕を固定しているギプスと三角巾も外せる日が来た。
「来週からリハビリを始めましょう! ゆっくりとした運動で、筋力を元に戻していく必要がありますからね」
両腕がきちんと使えるようになったら、やりたいことがいっぱいある。
この年(55歳)になると体力は衰えるばかりで、通常はできないことが増えていく。しかし、腕の快復とともに再びできることが増えるのがとても楽しく、わくわくする。
筋トレなどの激しい運動は、まだ3~4ヶ月は我慢しなければならない。小さなことから少しずつ馴らしていくのだ。
まずは、両腕が使えるようになったらステーキを自分で切って食べよう! 左手にしっかりとステーキナイフを握って!
***
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