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エラーで数学に強くなる


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:蔵本貴文(ライティング・ゼミ超通信コース)
 
 
「この式が成り立つことを証明せよ」
中学や高校でよくある数学の問題である。
でも、こんなの証明する必要なんてない。
 
何といっても、それはテストの問題になっているのだ。つまり、証明できるから、証明しろという問題になっているのだ。それは絶対に正しいはずだ。
だから、「証明しろとテストに出題されているから、この命題は正しい」そう言っても、それは確からしい根拠になっている。
 
まあ、これはさすがに屁理屈だと思うかもしれない。でも、まともに問題を解く学生だって同じことだ。
結局、彼らはそれが問題になっている時点で、証明できることを確信している。だから、証明できると信じて、あらゆる角度からその式を眺めるわけだ。すると、いつかひらめいて、証明を思いつく。
 
もし、テストの証明問題が、じつは証明できない、つまり偽りの命題だったらどうなるだろう。
学校の先生が生徒に頭を下げて、全員に点数を与えることになる。これが、入試問題だったら偉い騒ぎだ。入試担当者や場合によっては校長までが出てきて、頭を下げることになる。それほど、数学の証明問題は正しいはずのものなのだ。
 
しかし、いつまでもこの感覚でいると、将来困ったことになる。
学校の数学はいつも正しくても、実世界の数学は必ずしも正しくない、いや間違いだらけなのだ。
 
私は数学を「使う」仕事をしている。専門はモデリングという技術なのだが、半導体の電気的特性を数式で表現する仕事だ。複素数や行列、微積分、三角関数など高等数学をフルに使って、数式を作る仕事なのである。
 
頭が痛くなった人もいるかもしれない。でも、この話はここで終わるので安心して欲しい。
 
言いたいことは、そんな難しいことより、数字なんて間違いばかりだということなのだ。
 
私の仕事はまず数値を測定する。簡単な例で、長さを測ると考えてみよう。
定規を当てて、長さを測るわけだ。これは20.1cm、あれは2.24cm、これは1.12cm……。
まず、ここにたくさんのワナがある。
あなたが例えば、100個のものの長さを測るとして、全て正しく測れるだろうか?
実際は23.1cmなのに、24.1cmとしてしまうことはないだろうか?
また、23.1cmと測かれはしたものの、間違って2.31cmと書いてしまう可能性はないだろうか?
 
もちろん、人の足のサイズを測っているのであれば、2.31cmは短すぎるとすぐにわかるであろう。しかし、石の大きさだったら、どちらでもありえる。数字だけで間違いがすぐにわかることはない。
 
まだまだある。
本当はAの記入欄なのに、Bの値を書いてしまうことはないだろうか?
一回記入したのに、記入したことを忘れて、同じ値を2回記入することはないだろうか?
逆に記入したつもりになって、記入を忘れることはないだろうか?
 
そう考えるとただ長さを測るだけなのに、ワナに満ち溢れていることがわかる。
 
そして、その数字をコンピュータに入れる時も問題だ。
私は小学生の時、よく1から10000まで電卓で足す、ということをやっていた。1,2,3……1021,1022,1023……、とか数字をどんどん足していくのだ。
10000まで足すと、50005000になるはずなのだが、私は間違えずにこの数字を出したことは無い。つまり、数字を入力するだけでも間違えてしまうのが人間なのだ。
 
さらに、この数字をプログラムに入れて、処理するわけである。
一般に知られているか知られていないかはわからないが、プログラムというものはバグ(間違い)がとにかく多いものだ。
 
プログラムを書いたことのある人ならわかるだろうが、例えば100行ほどのプログラムを書いて実行してみて、まともにエラーなしで実行できる確率は10%くらいではないだろうか。
ほとんどの場合は、プログラムのどこかを間違えていて、実行できない。コンピュータは常に正しいのだが、人間はここまで間違えてしまう生き物なのだ。
 
そして、そのまともに動いた10%でさえ半分以上は何か結果がおかしい……。
結局、95%以上は間違いだということになる。それほどまでに、プログラムは間違いに満ちている。
 
もちろん、プログラムはデバッグといって、そんなミスを取り除く努力はされている。しかしながら、ミスというものは必ず残ってしまうものなのだ。完全に取り切れることなんて、まずない。だから、パソコンのOSなんてしょっちゅうアップデートをしているし、アプリケーションも同じである。あれは、取り切れなかった間違いを、訂正しているということである。
しかしながら、いくらやっても完全に取り除くことはできない。そして、大騒ぎになる。それほどに間違いを無くすことは難しいことなのだ。
 
数学という学問は、社会に出てとても役に立つものである。
しかしながら、このエラーへの対応を間違えるとまるで役に立たないものになる。
 
数学という世界は完璧なものだ。証明されたことは覆らないし、間違いなどない。
だから、そんな目で現実世界を見ると間違いが起こる。エラーに満ち溢れた現実世界を数学のような理想の世界だと思うと全てがうまくいかない。
 
応用が利かない使えない人、石頭で融通が利かない人、このタイプの「使えない人」に多くの人が心あたりがあるのではないだろうか。
このタイプの人は、何事も白黒つけたがる。というより、あいまいなものを理解することができないのだ。
 
「どんな状況にあっても法を犯した人は裁かれるべきだ」とか絶対的なものを求める人、例えば「女性はしつこい」など明らかにおかしい一般化をする人、こんな困った人が1人や2人は思い浮かぶことだろう。
 
こういう人は一見論理的なので、賢そうに見えることもある。
しかしながら、実際のところは頭が悪い。何が悪いかというと、世の中にはエラーで満ち溢れていることを理解していないのだ。
 
私は理系の人間だが、残念ながら理系の人間にこんな人が多い気がする。
それは数学を現実世界に適用する仕方を間違えているような気がするのだ。
 
確かに学校で学ぶ数学はエラーがない。だから、絶対的に信用してよい。でも、それを現実社会に適用すると、おかしなことになる。
 
本当に頭が良い人は、世の中にエラーが多いことを理解している。
だから、グレーなものをグレーなままで、確率的に受け入れることができるのだ。
 
しかし、これは学校では教えてくれない。特に、数学は全てが論理的で筋が通っている。そんな思考のまま大人になった人間は、女性と付き合う時にマニュアルを求めてしまう残念な男性ということになってしまう。
数学の悪影響と言っても良いのかもしれない……。
 
では、どうあるべきなのか?
一つの解は、今学校で行われているような、総合的な学習を増やしていくことだ。
紙の上の数学は厳密なただ一つの解がある。半径20mの正方形の面積はただ一つに決まる。
しかし「グラウンドの面積を求めなさい」といった問題には厳密な解はない。この問題を解く場合、「そもそもなんでグランドの面積を求めたいんだ」という根本的な理由を考えないといけない。
他の学校のグラウンドと比較したいからなのか、避難所として使う時に何人の人が避難可能なのかを知るためなのか、地形調査のために精度の高いデータを求めているのか、目的によって答えは変わる。答えはただ一つではないのだ。
 
ただ、この方法は教える方にも負担がかかる。生徒の色々な発想を受け入れて、評価していくことは大変だ。理想的ではあるが、なかなか実行が難しいのかもしれない。
 
でも安心して欲しい。比較的簡単にできる方法がある。
私が大学の時に学んだ先生がこの方法をやっていた。
 
それは……。
「教師が間違える」ことなのだ。
 
その先生は授業のはじめに学習内容をまとめたプリントを配っていた。でも、それが結構な確率で間違えていたのだ。
公式の符号が違っていたり、グラフが間違えていたり、数字が一桁間違えていることもあった。
いい加減な先生と思うかもしれない。でも、それが案外、教育効果が高いのだ。
 
生徒は配られたものを完全に信用することができなくなる。だから、白黒つけることができずに、グレーのまま扱わざるを得ない。
「この数字が正しいと、こういう結論になるよな」といった感じだ。
 
すると、自分で結論の検証もするし、納得いかないものは教師が話している事とはいっても受け入れなくなる。自分で考えるようになるのだ。
 
よく「生徒が主体的に考えるようにするためには」という議論がされるが、一番簡単な方法は教師が間違えることなのだと本気で思っている。
 
私は学校を卒業した時はまだこの境地には至っていなかった。しかし社会に出て、本当に最先端の技術に接しているうちに、考えが変わっていった。
 
とにかく、驚くほど間違えているのだ。比較的権威のある査読付き(有識者のチェックがある)論文であっても、式が間違えていたりする。間違えた結論や間違えた推論、本当に間違いだらけである。
しかしながら、本当に最先端になるとそうならざるを得ないのだ。なんせ、答えなんか誰も知らないのだから試行錯誤していくしかない。その中の議論なんて、大半が間違い、つまりエラーなのだ。
本当に実力のある研究者は、そんなグレーだらけの世界をうまく泳いでいく。
一方、「この先生がこうだと言っている」的な人は、人から厄介者にされて、技術開発の世界から姿を消していくのだ。
 
こうなると、教科書や先生の言うことなど、学生時代に正しいものばかりに接している学生が不憫にさえ思えてくる。
神経質な親が除菌や消毒に神経質になった結果、ウイルスの抗体ができずに、かえって早くに無くなってしまった赤ちゃんのような残念さがある。
 
さらに言うのであれば、学校独特のきゅうくつ感というものにも、間違いのなさが大きく関係しているような気がする。
学校の先生の言うことは絶対で従うべき、こんなことは子どもに悪影響を与えるし、子どもの考える力を奪うし、先生本人にとっても間違えが許されず窮屈に感じる。
さらに、何かを間違えてしまった時には「あってはならないこと」とされるので、認めるのではなくて頑なに否定せざるを得ない。
 
何度も言うが、現実世界は科学技術であっても間違いだらけなのである。エラーはあるのが当たり前、その基本を学ぶ機会が学校から奪われていることになるのだ。
 
だから、まずは世の中で絶対と思われている数学から変わろう。
数学の先生、間違えた問題を出題して欲しい。
 
「証明せよ」という問題を出したけど、「それは誤りでした、だから何?」と自信をもって言ってほしい。「それも勉強だ」と開き直って欲しい。
 
確かに、教師のプライドは落ちるかもしれないが、それこそが生徒を育てることになるのだと思う。私は本気でそうだと信じている。
家庭だって、いい加減な親の方がかえって子どもがしっかりする、なんて話もあるし。
 
私が大学の時に学んだ、よく間違える先生がこんなことを言っていた。
「俺はお前たちを成長させるために、わざと間違えているのだ」
 
実際のところは、それは先生の手抜きだと思う。そう公言しておけば、自分がいくらうっかりをしても許されるのだ。
「お前たちのために、わざと間違えたのだ」と。
 
しかし、手抜きではあっても、結果的に学生を育てたのも、事実だと思う。
実際に、私はこの先生に出会ったから、社会人でエラーだらけの世界に放り出されてもなんとかやっていけたのだと思う。結果的に得たものは多いのだ。この先生の本当の意図はわからないが……。
 
「エラーで数学に強くなる」、こう公言して間違えよう。
それが教師を楽にしてくれるし、生徒も育てることになる。
 
 
 
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2021-08-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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