わたしはだれ?
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:みつしまひかる(ライティング・ゼミ「超」通信コース)
「あなたはだれ?」
こう問われたら、あなたは何と答えるだろう。
きっと、まず名前を言う。
それから、出身、年齢、職業、勤めている会社名、趣味、などだろうか。
天狼院のゼミでこう質問されたのなら、上のような答え方はきっと的外れではない。
きっとその講座に参加した理由もつけて答えるだろう。
いわゆる自己紹介だ。
でも、もしゼミなどの場ではなかったら、どうだろうか。
そもそも、「だれ?」という聞かれ方は、珍しい。
相手がこちらの番号を知らない場合に電話をかけ、名乗らずにいるとこう言われるだろう。
お互いに知り合っているなら、僕なら「みつしまです」と名乗ればそれで済む。
でも、まったく知らない人に、突然、「あなたはだれ?」と聞かれたら。
例えばそれが外国人だったら、どうだろうか。
言葉の壁はなかったと想定したところで、先の自己紹介で相手は満足するだろうか。
もっとあなたの内面、本質的なところが問われているのかもしれない。
そして、その問いに答えるには、「わたしはだれ?」の問いに向き合う必要が生じるのだ。
僕が小学5年生の頃、阪神・淡路大震災が起こった。1995年の1月17日(火)05時46分。
その時僕は大阪市内に住んでいて、ぐっすり寝ていた。
が、なぜか、その日は何の前触れもなくパッチリと目が覚めた。
いつもは8時前に起きるのに。
なんでだ?? と不思議に思いはじめた矢先、天井がぐらり、と歪んだ。
本当に、歪んだように見えたのだ。
ぐにゃり、のほうがそのときの印象をより的確に言い表しているかもしれない。
刹那、強烈な横揺れが来て、非日常がいまここで現実に起こっていると体感した。
リアリティをもった恐怖(死の予感)が初めて我が身に降りかかった瞬間だった。
幸いにして、家の周囲を含めて揺れによる被害はほとんどなかった。
僕の家でも壁などへの亀裂などは確認できず、ちいさな庭にある石灯篭の上の部分が落ちただけ。
僕も家族も全くの無傷だった。
当日、学校への登校はなくなり、自宅待機となった。
翌日はたしか登校できたように思うが記憶に自信がない。ただスムーズに日常が再開したのは間違いない。
一方、兵庫県西宮市にある僕の祖父母の家は大ダメージを負い、半壊した。
取り壊して建て替えることになったが、これまた幸いにして祖父母には大したケガはなく無事だった。
僕は当時その現場にいたわけではないけれど、新聞の一面を見ると一帯の家が軒並み明らかに壊れており、高速道の効果は根元から崩れ一塊となって倒壊する有様。
1995年は、日本にとって厄年そのものだった。
大震災の爪痕が生々しい中、3月に地下鉄サリン事件が発生した。
日本全体が不安に満ちていたのだろう。特に大人たちにとっては。
とはいえお気楽な小学生であった僕は、西宮の祖父母も無事だったこともあり、暗いニュースに晒されながらも同級生と一緒に遊んでいた。
そんな中、同年6月、「ソフィーの世界 – 哲学者からの不思議な手紙」が発売された。
発売当初、僕は知らなかったけれど、しばらくして新聞の広告で見て、この本を知った。
たぶん、1996年の元旦の新聞広告で、僕はギリギリ小学生だった。
当時ブームになっていたらしく、XX万部突破というマークとともに、この本に出合えてよかった、などの読者コメントが掲載されていた。タイトルにある通り、哲学にまつわるストーリーである。
この広告を見て興味を持ち、買って読んでみた、が、途中で挫折した。おそらくは半分くらいで。
何しろページ数672。凶器のような分厚さのハードカバー。
小学生には大変だった。同級生で読んでいる人はいなかった。
また、親や親戚に聞くと僕と同じく挫折したらしかった。
それから16年後の2011年3月11日(金)、再び日本を震災が襲う。
東日本大震災である。
当時、僕は社会人2年目、大阪府茨木市の会社に勤務していた。
発生日時は会社エリア内で建物から建物へと移動するために外を歩いており、揺れに気づかなかったのだが、事務所に戻ると騒然としていた。宮城県に所属部署の工場があり、同期を含め仕事で関わった人が勤務していた。
情報がどんどん増えるにつれ、東北エリア全体の被害がまざまざと示されてきて、かなり不安になった。
襲ってくる波になすすべもなくただひたすらあっけなく流されていく人、車、家、大型の建物……
波の上でも炎が上がっていた。
同期に連絡がつかないまま、その日が暮れた。
金曜日だったので続報は次週に持ち越しとなった。
週明け、幸いにして、東北工場の従業員に死者なし、大したケガ人もいなかったことがわかった。
宮城県の例えば気仙沼などは沿岸部であり、壮絶な被害状況は皆さんご存じの通りだが、その工場は山の中にあるため、水害はなく純粋に揺れのダメージのみであった。
もちろん建物は甚大な被害を受け、建て直しとなったが、その後1年半ほど経つと完全復旧した。
当時のニュース映像をみて、人の生活をひとひねりに破壊する自然の暴力を目の当たりにすると、人間はなんて弱々しいのかと寒気がしてしまう。
避難できた一家族の映像を見ていると、5歳くらいの子供が自分の家が流されていくのを見て泣き叫んでいた。
根底から揺らぐ価値観。
安心は約束されてないのだと、これでもかとつきつけられる、無常と無情。
このとき、僕は1995年のときよりも、むしろ重大なインパクトを受けた。
自分の身に降りかかったのは阪神・淡路大震災であるにもかかわらず、だ。
なぜ2011年のほうがインパクトが大きかったのか、当時の僕にはわからなかった。
スペース
何の因果か、「ソフィーの世界」が同年、2011年5月に新装版としてソフトカバーで発売された。
しかも上下巻に分割されて。
1995年発売時の著者メッセージに加え、2011年の著者メッセージが追加された。1995年発売時も、阪神・大震災とサリン事件が立て続けに起こってすぐにこの本が発売されたこと、そして2011年の新装版もまた、東日本大震災の発生からすぐに発売ということに、著者自らが触れていた。
偶然だったようだが、僕には重大な意味があるように感じた。
2011年当時、たまたま本屋に立ち寄ってこの新装版を見かけたとき、今度こそは最後まで読んでみたいと、そう思った。あれから16年も経ち、大人になったのだから、読むスピードも理解力も格段に上がっている。
そしてありがたいことに、上下巻に分かれてサイズが小さくなり、持ち運びが容易だ。
当時僕は実家から電車通勤していたので、早速、翌日の通勤から読むことにし、無事に終わりまで読み切ることができた。
実は、もう1回ぜひ読みたいシーンがあったのだ。
非常に印象深く、この本について読んだことがない人も知っている、超有名な質問が出てくるシーン。
そう、それこそが、「あなたはだれ?」である。
本作の主人公、何の変哲もない14歳の少女ソフィーに、知らない人物からの手紙が届く。
開封すると、そこにはたった1行「あなたはだれ?」とだけ書かれていた。
物語は、ここからスタートする。
差出人は哲学者であり、ソフィーはその哲学者からレッスンを受けていくことになる。
読者はこのレッスンをソフィーと一緒に受け、考えていくことになるのだ。
あなた、つまりわたしはだれか。
わたしはわたし。自分には自明のことを問われると、説明がしづらいことに、はっと気がつくのだ。
この「わたしはだれ?」を皮切りに、個人個人の思索がはじまっていき、レッスンが進むにつれ、哲学の歴史を学んでいくことになる。
また、二部制で小説形式ならではのトリックが仕掛けられており、上下巻はそれを活かした分け方になっている。
未読の方にはぜひ読んでみてほしい。
さて、この本が危機の直後に発売され、多くの人に読まれた意義を少し考えたい。
おそらく背景にあるのは、すさまじい不安だろう。
有形のもの、山などの地形も、人が作り上げた建物もものともせず蹂躙する脅威を目の当たりにして、人々は拠りどころがほしい、希望が欲しい、そういったものを求めたのではないか。
無形なもの、例えば宗教であっても、ここまでの被害を体験すると、とても慰めにはならないのではないだろうか。
友人、恋人、家族などを亡くしたら、すがりたい相手はもういないのだ。これでどうやって神を信じられるのか。
でも、なんとか自分で自分を支えなければ。
そう思ったとき、自分に自信を持ったり、自分を好きになったりすることが心の平穏につながり、落ち着かせてくれるのだと、半ば祈りに近いものを人々が見出したのではないか。あるいは、いつ死んでしまうかもしれない世の中だからこそ、死ぬ前にちゃんと自分をわかってあげたいと感じたのかもしれない。
わかりきっているはずの自分を、改めて深く知る。
そのために、「ソフィーの世界」のページを開いたのではないか。
「あなた=わたしはだれ?」と、問いかけるために。
1995年の大震災の時、僕は小学生だった。
すさまじい不安は感じたけれど、僕自身も家族も僕の家もほぼ無傷だったし、周りも似たようなものだった。
その後これといった災害に遭うことはなく、他人事、というイメージに変わった。
対して、2011年、社会人になっていた僕にも、災害は基本的にテレビの中で起こるものだった。
しかし、小学生の頃とは違って、過労死や犯罪など、世の中の不条理のインプットが蓄積しており、災害の無慈悲さも、よりビビッドにイメージできる状態だった。
さらには、苦渋の就活経験も経て、自分の存在意義があまりに軽いように思えて、寄る辺がなかった。
きっと、僕自身にとっても、「わたしはだれ?」の質問に、胸を張って答えられるようになりたかったのだ。
だからこそ、2011年の大震災のほうが僕にとってインパクトが大きかったのだと思う。
実は、「わたしはだれ?」という問いに答えるのは、あの本を読んだ今なお、難しい。
でも少しだけ、読み切った頃とは違うことがある。
それは文章を書く習慣ができたことだ。天狼院のライティング・ゼミの課題投稿である。
受講前には気づかなかったことだが、文章を書いていると、必然的に自分と向き合うことになるのだ。
自分の感じたこと、体験したことをまとめ、それに対する考えを書いていくからだ。
書き出したときには、完成形が見えていないこともままある(本当はよくないかもしれないけれど)。
でも、書き出していくと次第に、自分の中で思いもつかなかった点と点がつながる。
それらは確かに自分が感じてきたことで、意志があるかのように形をなす。
通常、頭の中に浮かぶ想いのほとんどは、はっきりと言語化されず、日々生まれ、そして埋もれ、流され、そして消えていく。
大震災のような、重大なイベントについてさえ。
文章を書くということは、ひとつひとつを言語化し、組み上げて形にしていくこと。
自分の中の埋もれた部分を掘り起こし、土を払い、雑巾で拭いたり磨いたりしてあげて、整理した棚に一つ一つ丁寧に陳列していくこと。
改めて、自分と向き合う。
ああ、こんなふうに感じて生きてきたんだったな。
1995年でも2011年でも、「ソフィーの世界」を読んだ時、本当を言うとストーリーが気になって、どんどんページをめくってしまった。
だから、ソフィーと一緒に少しは考えていたとしても、きちんとあの問いに答えられていなかった。
改めて、「わたしはだれ?」と自分に問うならば、胸を張ってこう答えたい。
“日々、こういう想いを抱いて、笑ったり、怒ったり、時には泣いたりしてきた。
この感情と思索の積み重ねこそ、「わたし」“だと。
***
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