感謝の気持ちは思い出を振り返ったところにある
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:早藤 武(超ライティング・ゼミ
「僕を育ててくれて本当にありがとうございました! いってきます!」
私が社会人となり、大人になるまで実家で両親に育てられ、独り立ちして引っ越す時に両親に伝えた言葉です。
皆さんは自分が大切に思う人に、感謝の気持ちを言葉にして伝えることはできていますか?
なかなか言葉にして伝える機会がなかったり、恥ずかしかったりしますよね。
それでも、きちんと気持ちを言葉にして伝えるのはかけがえのない機会だと思います。
私は社会人になって実家の東京から離れて北海道に行き10年以上になりますが、引っ越した当時のことを振り返ってみると慣れ親しんだ自分の部屋からダンボールに包まれた荷物がどんどん運び出されていく時に何とも言えない気持ちになりました。
その何とも言えない気持ちを現在から振り返ってみると色々な感情が出てきて面白く思えます。
ずっと慣れ親しんだ部屋の空気や帰って来て、おかえりなさいと言ってくれる大切な人たちの声を、これからはここに置いていかないといけないのかと心にぽっかり穴が空いたような感覚がありました。
また、ダンボールに荷物を詰め込む時にも、何を持っていこうかワクワクした気持ちでいっぱいになっていたこともあります。
だって、今まで兄弟3人でひとり部屋もままならないところから自分だけの住居空間をもてるのですからね。
そんな中で、母親からは何でもっと早くから荷物を詰めて片づけておかなかったのと怒られながら、新しい生活に向けて詰め込んでいきました。
家事は掃除などの力仕事はやっていましたが、料理や洗濯などは親に頼っていた部分は大きいです。
その他にもテレビや電子レンジが壊れたりしたりした時も父親がどこかに持って行ってピカピカに治って来ていました。
これからは全て自分の力でなんとかしていかなければいけません。
高校時代に引っ越しのアルバイトに誘ってくれた友人はいましたが、当時は勉強で忙しくて断りました。
しかし、後のことをきちんと考えて、誘いに乗っておけば良かったと思いました。
そうしたら、引っ越しで母親から怒られたりすることもなくスムーズに荷造りできたかもしれません。
そう思うと1回くらいは引っ越しのアルバイトをしておけば良かったと思います。
でも、学生の当時はそんな事考える余裕もなく大荷物を運ぶことに圧倒されて1日が終わるのでしょうけれども。
冒頭のシーンに戻りますが両親に今まで育ててもらったお礼の言葉を伝えて引っ越し先に移動するために玄関を出ようとしたところで母親から呼び止められました。
「ちょっと待ってね。あっちの家にこれ持っていきなさい」
「あれ? 何か荷物で詰め忘れたものあったかな?」
紙袋の中に入っていたのは、幼稚園、小学校、中学校とそれぞれの年代ごとにまとめられた卒業アルバムたちだった。
「結構な量の荷物持たせるね。こっちに置いといたらダメなの?」
「必要な写真はお父さんが自分でアルバムいっぱい作っているから大丈夫よ。きっと手元にあった方がいいと思うから持っていきなさい。あと朝から大荷物を出して動いてよく頑張ったわね。あとでお腹空くだろうから、おにぎり握っておいたから途中で食べなさい」
社会人になる直前の自分は言われるがまま卒業アルバムとアルミホイルに包まれたおにぎり2個が入った紙袋を受け取った。
「そしたら今度こそ出発するね。今まで本当にありがとうございました」
「ちゃんとご飯は食べて、健康に気を付けてね。いつでも帰ってらっしゃい」
「やれるところまで頑張って来なさい」
ここまでずっと黙っていた父親も見送りの言葉をくれたので、ようやく玄関から動き出せます。
玄関先から見守ってくれていた両親も見えなくなって、長年使い慣れた道を通って最寄り駅のローカル線に乗りました。
引っ越し先は、実家の東京から飛行機で2時間ほどの北海道の地方都市です。
小さいころから見慣れた景色もどんどん知らない景色に変わっていきます。
移動中は引っ越しの荷物まとめるのが大変で疲れたなとかも考えていたけれども、これから始まる社会人の生活にドキドキとワクワクした気持ちが疲れを吹き飛ばしてくれました。
東京から北海道に行くときには、飛行機で行く場合には羽田空港から出発することになります。
飛行機の出発はお昼過ぎで、空港の手続きは時間がかかるから早めに行っておきなさいとアドバイスを父親からもらっていました。
色々なところに出張に行っていた父親のアドバイスをありがたく感じます。
保安検査場の荷物チェックも完了させて出発まで1時間くらいありました。
温かい緑茶を買って長めの良いところのイスを確保してひと息つきます。
お弁当も売店で買おうか迷いましたが、母親から渡されたおにぎり2個があるのを思い出してお弁当は買うのをやめました。
飛行機の中に案内されるまで40~50分あったので、おにぎりを食べながら暇つぶしに母親にもたされた卒業アルバムを見ることにしました。
それにしても母親が作るおにぎりは本当に美味しい。
おにぎり2個というと大人の男には足りないように見えるかもしれません。
しかし、3人兄弟を育てあげている母親として抜かりはありませんでした。
ひとつのおにぎりの満足度の上げ方がすごいと感動します。
私に合わせてお米の量は多すぎず、少なすぎず、大人の男の人の握りこぶしくらいの大きさです。
そして、握りすぎると冷えた時におにぎりが硬くなってしまうので絶妙に力加減されて握って作られています。
さらに、中身の具が重要になってきます!
鮭を塩辛く焼いてからほぐした切り身を具にしているので、おにぎりのお米部分にはほとんど塩が使われていません。
具の量はおにぎりをどこから食べても届くように十分入れてくれています。
昔、大学受験の時にお弁当でおにぎりを握ってくれた時には絶妙な塩加減がヘトヘトになった頭が再び回すことができるくらいまで回復して、心も体も元気に試験に臨めるようになったくらいすごいおにぎりです。
受験後に、母親に何度お礼を言ったことかわかりません。
そんなすごいおにぎりを食べると自然と噛む回数もいつもより増えて味わうので満足感がとても高くなります。
いつでも母親に頼めば握ってもらえていたおにぎり。
これからは食べられる機会はどんどん減っていくのだなと噛み締めながら1個目が食べ終わって少しお腹が落ち着きました。
温かい緑茶で口の中をリセットしてから2個目のおにぎりも味わいながら食べて、手をあわせて心の中で母親を思い浮かべてご馳走様とお礼を言いました。
半分ほど残った緑茶を飲みながら持ってきた卒業アルバムを見ていました。
卒業アルバムをめくると懐かしいなという言葉が真っ先に出てきて、あの頃は大変だったけれども楽しかったという感想が出てきます。
楽しい時間を共に過ごした友人たちは日本全国に散らばってそれぞれ頑張っているようです。
地元に残っている人は半分いるかいないかくらいでしょうか。
さらに少ない人数ですが、昔から夢見ていた海外へ飛び出していった友人たちもいます。
すぐには会えないかも知れませんが、会えた時には当時の楽しかった思い出話をできたら良いなと思いながら卒業アルバムをめくっていきます。
担任の先生たちにも、当時ものすごくお世話になったと思い起こします。
将来、何になりたい?
どんなことをしてみたい?
どこに行ってみたい?
君ならきっとできるようになるからどうか諦めないで頑張ってね!
今までよく頑張ったね。
次の学校でもっと成長してなりたい自分になって幸せになってね。
進路指導でたくさんの言葉をかけてくれた先生もいましたが、当時の担任の先生は多くの言葉ではなく優しく見守ってくれていました。
また、普段から元気よく授業してくれる姿から私たちに人生に大切なことを伝えてくれている先生もいました。
社会人になる今だからこそ、先生や友人たちから私に与えてもらったことは宝物としての思い出がいっぱいです。
そして半分残った温かい緑茶も飲み終わるというところで、飛行機に乗り込むようにアナウンスが流れてきました。
「さあ、いよいよ出発だ」
そうつぶやいて、入場ゲートを通ってドキドキしながら飛行機に乗り、東京から北海道へ向かいます。
飛行機が飛び立つと家族や友人たちと一緒に遊んだ日本最大のネズミのキャラクターがいるテーマパークが目に入ります。
次に富士山が遠くに見えます。
あっという間に雲に入って、目に入っていた景色は何も見えなくなりました。
そして、時は進んで10年が経って現在に到ります。
最初のお盆休みや年末年始こそ、実家の東京に帰ると人混みが懐かしく感じられましたが、すっかり北海道の自然に慣れてしまいました。
今では東京の人混みを見ると圧倒されてげんなりしてしまいます。
それぐらい、北海道に身体が馴染んでしまったのかもしれません。
10年前に私を見送ってくれた両親もすっかり年を重ねて、元気に送り出してくれた頃よりも落ち着いた雰囲気が増しています。
仕事が辛いときには毎週のように実家に電話をかけて無事を伝えていた時期もありました。
やりたかった仕事に就いたはずなのに、なぜ毎日辛い思いで心がいっぱいになっているのだろうと落ち込んでいたこともありました。
当時は両親も心配して、元気にしているか声をかけてくれました。
時には実家に帰ってきてゆっくりしなさいと言ってくれた時もありました。
それでも、小さな頃からやりたかった仕事をできているのだからもう少しだけ頑張りたい気持ちがあることを正直に伝えました。
辛い思いをしていた時期を思い返すと話を聞いてくれていて、なおかつ元気づけてくれていた両親には感謝の気持ちがいっぱいです。
実家を出るときに、感謝の気持ちを伝えて出発したときとは違う思いがあふれ出てきます。
例え距離が離れて暮らしていても、相手を思って言葉をかけてあげられる。
私もそんな人になれるように頑張っていこうと改めて思うのでした。
実家を出て5年が経とうとしていた時に父親の実家がある東北地方でお盆は集まろうと話になって、現地集合ということになった。
お盆のお墓参りを済ませて親戚同士で話をしていると父親の弟にあたる叔父と仏壇の前でお線香をあげてから話す機会がありました。
実家を出てから北海道の生活には慣れたのかと叔父は言葉をかけてくれました。
なりたかった仕事をやれるようになって毎日頑張れているという話。
恋人は向こうで出来たのかという話。
仕事で失敗を連続して実家の両親にたくさん元気づけてもらった話。
それらを話終わった頃にこんな話を叔父から聞きました。
「君のお父さんも若い頃に似たような感じだったよ」
「え!? 全然そんな感じがしないですよ!?」
「昔から話すのが苦手な人なのだけれどね。私が困ったり泣いたりしていた時も寄り添ってくれていたくらい実は優しい人だよ」
正直、あのどっしり構えている父親がそんなに大変な目にあったり、熱い部分があるなんて想像ができませんでした。
「そして、兄さんも昔やりたい仕事を目指して東京に自分の身ひとつで飛び出していって苦労もしたみたいだよ。それでも君のおじいちゃんとおばあちゃんはずっと兄さんを見守っていたよ」
その話を聞いて、私は叔父さんにお礼を伝えました。
そして、両親がわいわいと話をしているリビングまで行ってこう伝えました。
「父さん、母さん、いつも本当にありがとう。この歳になってもまだまだ知らないことがたくさんあるね。だから家族で撮ったアルバムを開いてお話しよう」
母親と父親は顔を見合わせて、にっこり笑ってくれました。
***
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