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“ビジネス”先生の覚悟を問われたとき


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:今村真緒(ライティング・ゼミ超通信コース)
 
 
「こら! 待てー!」
思わず片足を踏み出したのは、屋根の上だった。焦る私をあざ笑うかのように、敵は屋根から戻ってくる気配はない。腰窓の縁に乗り、両手で窓枠を必死に掴んで片足を屋根の上で踏ん張っている私は、どこから見ても滑稽な姿だ。ああ、危ない。落ちたらどうするんだろう。自分のこの体勢も、そう長くはもたないけれど、いくら身軽とはいえ屋根から足を滑らせでもしたら? 心配なのは、私ではなく3人の生徒たちのほうだった。
 
仲良し3人組、というか、1人の子が圧倒的リーダーだった。あとの2人は、そのリーダーに右にならえだ。いつも、この3人は何かとつるんでは問題を起こす。授業に集中しないのはいつものことだし、ちょっとした悪戯から始まり、すぐに騒動が広がるのは日常茶飯事だった。いくらこちらが一生懸命に諭しても、薄ら笑いを浮かべながら右から左へと受け流す。どうして、分かってはくれないのだろう? 何度同じことを言わねばならないのだろう? 先生である私は、策が尽きていた。こんなクラスを受け持つことになるとは、聞いていなかった。
 
学校で言えば、さしずめ学級崩壊だ。こんなとき、本職の先生はどうするのだろうか? 教師に憧れたこともあったはずなのに、大学で教職課程を履修しなかった自分には無理だということだろうか? ため息がこぼれた。小学生から、こんな仕打ちを受けるなんて思いもしなかった。
 
大学の夏休みだった。定期試験も終わり、私はアルバイトをしようと思い立った。以前、家庭教師を経験した時の生徒が、素直で私を慕ってくれたため、教える仕事に好印象を持っていた。あのときは、生徒の頑張りもあって、点数を上げることができ喜んでもらえたし、私にとって達成感を味わえたアルバイトだった。教える仕事といえば、塾の講師もいいのではないかと思った私は、早速求人誌に載っていた塾にアポイントをとった。
 
塾長は、威厳のある人だった。ちょっと気難しそうな塾長に気後れしたけれど、面接後何とか採用してもらえた。私のほかには、正社員の先生方が数名いた。東大卒だという塾長が経営する塾は、案外受講生が多かった。他の先生方も優しい人が多く、慣れない私にいろいろと教えてくださった。良かった。安心して働けそうだ。夏期講習の臨時講師だけれど、精一杯頑張ろうと思った。
 
私は、中学受験を目指す小学5年生と、高校浪人をしている生徒のクラスを受け持つことになった。初めは、主に小学生のクラスを教えることになった。ある程度レジュメに沿って教えるようになっていたので、しっかりと目を通してイメトレをしてから授業に臨んだ。
 
初回は、良い雰囲気だった。ところが、2回目、3回目と授業が進むにつれて、1人のリーダー格の生徒を中心に、授業を中断せざるを得ないような事態が起こり始めた。集中力が続かないのかもしれないと、初めは私も怒らなかった。何といっても、まだ小学生だ。その内、真面目に勉強に向き合ってくれるようになると、高を括っていた。
 
けれど、彼らの行動はエスカレートしていった。教壇に背を向けて喋り出し、問題集にも取り組もうとしない。椅子から立ち上がって遊びだし、それだけでは飽き足らず、腰の高さの窓から隣の建物の屋根へと出ていく始末だった。私は、頭から冷水を浴びせられた心地になった。小学生から、こんな洗礼を受けるなんて。私のちっぽけなプライドはズタズタだ。けれど、こんな経験が初めてだった私には、ありきたりの説教で「先生」らしく振る舞うことしかできなかった。
 
もちろん、騒ぎに加わらない生徒もいた。教室には、10人ほどがいただろう。騒ぎを、明らかに迷惑そうに見ている子たちもいた。中には「やめろよ」とリーダーに向かって言う子もいた。
けれどリーダーは、そんな子たちを尻目に怯まなかった。俺はやりたいようにやる。そうリーダーの顔に書かれているようだった。さすがに、屋根に上って彼らを捕まえてでも、ここが遊びに来ている場所ではないことを分からせなければならないと思った。何とか説き伏せ3人に屋根から降りてもらったが、授業が終わると、どっと疲れが押し寄せた。
 
不思議なことに、こんな態度を取り続けるリーダーは、クラスの中でもトップクラスの成績だった。教室の中での態度と成績のギャップに、私は理解に苦しんだ。どうしてこんなことをするのか疑問だった。私のことが気に入らなくて、あんな態度をとるのだろうか。他の先生方はどう対処していたのか参考までに聞いてみると、先生方は一斉に「あー、あの子ね」と言った。
 
リーダーは、なんと塾長の子どもだった。塾長は、とても厳しい父親らしい。そう言えば、塾長が教室に顔を出すときは、いつものことが嘘のようにリーダーは静かだった。何なら、率先して授業に取り組むような素振りさえ見せた。塾長が来ると、彼の背筋は2、3センチほどピンと伸びる。きっと、彼なりの父親へのアピールだったのだろう。そんなことを知らない私は、彼が真面目に授業を受けてくれると喜んでいた。彼さえ騒がなければ騒動は広がることはなかったから、授業を滞りなく進めることができたのだ。
 
「今村さんはこの中で一番若いし、きっと近所のお姉さんみたいな感じで思われているんじゃない? 俺達にはたまに反抗的な態度とるくらいだから、人を見て態度を変えているんだよ」
背の高い男の先生が、気の毒そうに言った。そうか、やっぱり舐められているんだ。怒ったところで男の先生ほど迫力もないし、何なら体力でも小学校高学年男子に適いそうもない。リーダーは冷静なのだ。ちゃんと私が御しやすい人間だと分かった上で、あんな行動を取っているのだ。小学生にそう思われている私って、一体どうなのだろう? 情けなさでいっぱいになった。
 
勉強を教えさえすれば、「先生」なのだと思っていた。けれど、私はそれすらも満足にできていない。勉強を教える場である教室を、上手く運営できていなかった。きっと彼は、私を「先生」だと認めてはいない。にわか「先生」である私を、恐ろしいほど冷静に見ているのだ。勉強を教えるだけの“ビジネス”先生の浅さまで見透かしていたのだ。
 
「あの子も可哀相なんだよね。塾長がものすごく厳しいから、期待に応えるためにすごく勉強しているんだよ。父親の関心を得たいんだと思う。でもそれが、あの子にとって良いことなのかなって、傍から見てると思う。……塾長には言えないけどね」
先ほどの男の先生が、ぽつりと言った。塾長には、カリスマ的威厳がある。説得力があり過ぎる物言いは、こちらが委縮してしまうほどだ。塾長が正義で、その前では、悪いことをしていなくても、こちらに非があるような気持ちを抱いてしまうのだ。
 
もし、塾長のような人が私の父親だったなら、窮屈で息ができなかっただろう。いつでも正論でズバズバと論破され、1ミリの遊びも許されない。つねに良い結果を求められ、そうでなければ何の言葉もかけてもらえないどころか、失望されるのだ。
 
あの子は、いつもそんなギリギリの綱渡りをしているのだ。何だか同情してしまった。だからといって、授業中に屋根に上っていいわけではないけれど。彼のやるせない気持ちのはけ口があんな行動につながっているのなら、ちょっとでも彼の気持ちを掬ってみなければならないのではないかと思った。みんなに迷惑をかけたり、反抗したりするのも、彼なりに救難信号を発しているのだろう。彼に文句を言う真面目な生徒だって、本当は何かしらの問題を抱えているかもしれない。人にものを教える先生という仕事は、ビジネスライクにただ勉強を教えればいいというものではなく、人を深く知ろうとしなければできない仕事だと思い知った。
 
「にわか先生」だけれど、覚悟を持って接しなければと思い始めた。その場を繕う為のありきたりの説教など、生徒たちには響かない。生徒たちは、鏡だった。私が揺れれば、彼らも揺れる。騒動を起こされるたびに右往左往していた私を、まず揺るがないようにしなければと思った。
 
騒動が始まっても、冷静になることに集中した。リーダーに引きずられないように挑発には乗らず、逆に彼のプライドを刺激した。自分がトップクラスだと自覚している彼は、負けることを嫌う。そこを逆手に取り、競わせて彼の負けん気を煽った。相乗効果で、周りの生徒たちもバトルのように加わっていった。リーダーが授業に前向きになると、教室の空気が変わっていった。彼もまた、父親同様カリスマの持ち主のようだった。
 
しばらくすると、もうリーダーはニヤニヤしながら屋根に上ることはなくなった。私のうろたえる様は、もう飽きたのかもしれない。たまにちょっとした騒動を起こすけれど、以前に比べれば可愛いものになっていた。その頃には、私にとって、もう1つのクラスが懸案事項になっていた。それは、高校浪人をしている生徒だけで構成されているクラスだった。
 
そのクラスは、小学生のクラスとは、また違う雰囲気を醸し出していた。もちろん年齢が違うということもあるが、彼らは何らかの理由で高校浪人をしているグループだった。彼らからは、キュッと胸を掴まれるような必死さがこちらに伝わってきていた。
 
中学を卒業したものの希望校に不合格となり行き場を失った人、または初めから受験しなかった人もいた。彼らは、自分たちを卑下していた。ストレートで高校へ入学した友達や、世間に対して引け目があるようだった。大学浪人は珍しいこととして扱われないのに、高校浪人だと言うと違う目で見られるのだと彼らは言った。この現状から何とか抜け出したい。そんな想いが、彼らから滲みだしていた。
 
私が担当したのは、英語だった。自分の専攻科目でもあったから、どんな風にしたら分かりやすく伝わるかに懸命になった。初めは、自分がやってきた勉強法を試してみた。けれど、もっと噛み砕かないと伝わらないことに気づいた。もともと、彼らは勉強に対する苦手意識が高かった。
ぐっと彼らの身近なものにハードルを下げないと、英語というだけで構えてしまうらしい。幸いなことに、私は彼らと4つくらいしか歳が変わらなかった。見ているテレビ番組や知っている流行りものには共通項が多い。単語や文法の覚え方に、そういったものを絡めて話してみると、彼らの張り詰めた顔が少し緩んだ気がした。
 
模試が終わった後、教室にいた私に、1人の生徒が駆け寄ってきた。
「先生、あの単語、模試に出たよ! ちゃんと覚えてた!」
体の大きな男子生徒だった。その単語は、インパクトを残したくて、当時流行っていたテレビのコマーシャルソングを歌いながら覚えさせたものだった。その時に爆笑していたのが、この生徒だった。中学の時にやんちゃだったという彼は、目つきが鋭かった。実は、初めは彼に怯えていた。つまらないことを言ったら、ギロリと睨まれそうだったからだ。
 
にわか先生の私は、良かれと思ってやったことが何度もスベった。けれど、そういったことを繰り返すうちに、次第に彼らが歩み寄ってくれるようになった。仕方ないな。そんな感じだったのかもしれない。彼らは大人だった。この人なりに一生懸命だと認めて、乗っかってくれたのだ。
 
「あんな教え方する先生、今までいなかったよ」
確かにそうだ。正攻法でないことは分かっている。本職の先生から見れば、小手先のやり方だろう。でも、私が思いつく方法はそんな程度だった。彼らに難しいと思われずに、受け入れてもらうことが必要だと思った。とっかかりは何だっていいのだ。苦手意識さえ消せれば、もっともっと彼らは伸びるはずだ。少しでもできたという経験が、彼らの意欲に繋がればいいと思った。そして、少しずつ彼らの笑顔が増えた頃、私の「にわか先生」期間は終了した。
 
私がこの塾にいた期間は、ひと夏に過ぎない。初めは、小遣い稼ぎのちょっとしたアルバイトのつもりだった。けれど、バイト代の他に思いがけず貴重な経験も手に入れた。それは、真っ向から人と向かい合うという姿勢だった。
 
今までだったら、できるだけ穏便に、表面的にこなしていれば何事も問題なかった。面倒なことを避け、必要以上に他人に踏み込もうとしなかった。けれど、先生という仕事は、人とぶつかってみなければ分からないことがたくさんあるものだった。改めて、人を教えるということの大変さに触れた気がした。やっぱり、教職課程をとらなくて良かったのだ。やりがいは確かにありそうだけれど、にわか先生を経験した私には、そのハードルがとても高く思えた。
 
あのときの彼らは、今どうしているだろう。リーダーは、父親と本音で向き合うことができるようになっただろうか? 浪人していたあの子たちは、自分の人生に誇りを持てるようになっただろうか?
 
ひと夏の臨時講師だった私のことなど、きっと彼らは覚えてはいない。けれど私の胸には、この夏のこと思い返す度に、熱いものがこみ上げてくる。あれから、長い年月が過ぎた。あのとき、私に様々なことを教えてくれた彼らの、今の姿を見てみたかったと思う。その後、どんな人生の軌跡を辿ったのかを聞いてみたかったと思う。そしたら、にわか先生が、“ビジネス”だけではいられないと思った答えが、もっと深く分かるような気がするから。
 
 
 
 
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2021-08-25 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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