メディアグランプリ

ベッドバグという虫


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:金井修一郎(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
“ベッドバグ”(Bed Bug)をご存じだろうか。
ベッドや布団に発生する厄介な吸血昆虫である。
日本では江戸時代に海外から持ち込まれ全国各地に広がった。
当時は、海外から伝わってきた小さいものや珍しいものに“南京”という形容がつけられることがあり、代表的なものとして南京錠(持ち運び可能な錠前)、南京豆(落花生)などがある。
ベッドバクは“南京虫”と呼ばれ、大正期から活躍した文豪 江戸川乱歩は「わが青春記」の中で、上京して寮暮らしをした時に南京虫に悩まされたことを記している。
その後、害虫に特定の地名を付けるのは適切ではないという話になり“トコジラミ”と呼ばれるようになった。
戦後日本では、強力な殺虫剤の普及によりトコジラミはほとんど撲滅されたが、海外では依然としてアジア各国をはじめヨーロッパ、アメリカと広く分布するグローバルな害虫として存在している。
近年、日本でも国外からの旅行者の荷物に紛れて通常の殺虫剤に抵抗性をもつトコジラミ(スーパー・トコジラミ)が侵入してきている。
 
私は、神奈川県で動物病院を営んでいる。
獣医師になって4半世紀。自分のクリニックを開業して10数年。
先日思いがけずイヌではなく皮膚炎を起こしたヒトが、イヌを連れて来院した。
その方の皮膚には多数の赤い発疹ができておりヒトの皮膚科を受診したところ、医師に飼い犬の検査をすすめられたそうだ。医師はイヌが持ち込んだノミによるアレルギーを疑っていた。そのヒトは、イヌが使っている敷物の上で見つけたという虫をセロテープに貼り付けて持参してきた。
 
顕微鏡を覗くと見慣れない虫が姿を現した。
全然、ノミではない。
頭の部分に長い触角のようなものがあり、脚は6本ある。ダニでもない。
ダニなら脚はクモと一緒で8本だ。
第一、このイヌにはノミ・ダニの駆除薬を毎月処方している。この薬は90パーセント以上の駆除率を誇り、今月も数日前イヌにきちんと内服させたとのことだ。
私のこれまでのイヌ・ネコの、決して少なくはないはずの診療経験を思い起こしたが、この虫は残念ながら存在しなかった。
 
私は週に一度、動物病院の休診日に近所にある日本大学に通っている。日本大学は私の母校であり、獣医生化学研究室の研究員として、主にイヌ・ネコの免疫や代謝の研究や学生の卒論の手伝いなどをしている。同大学内で寄生虫の研究を行っている医動物学研究室に親しい教授がいたので、セロテープに貼り付けられた虫をそのまま持ち込んでみた。
好奇心旺盛なその教授は、目を輝かせて解析に取り組んだ。1時間もしないうちに資料や教科書を抱えて、わざわざ私の研究室まで来てくれた。
 
「“トコジラミ”です」。
私には初めて聞く名前だった。
教授は
・シラミと名前にはついているが、カメムシの仲間で、前述のように以前は南京虫、海外ではベッ
ドバグと呼ばれる。
・トコジラミに嚙まれると皮膚炎の症状は重く、専門的な治療が求められる。駆虫には専門的な知
識・技術が必要である。
・海外のホテルや、かつては日本の旅館でも吸血の被害にあった宿泊客と施設側との裁判沙汰のト
ラブルが起きた。
・イヌ・ネコを吸血することもある。
といったことを教えてくれた。
 
経験豊富な教授だが、この虫が動物病院から持ち込まれるのも実際に見るのも初めて、とのことだった。近隣の同業者や、大学の友人に聞いても、この虫を知るもの、診療経験のあるものは皆無だった。
 
その日のうちに鑑定結果を飼主さんに伝えた。
虫の種類、注意事項の説明とともに、ご家族の海外渡航歴についても尋ねた。
よくよく聞いてみると、息子さんも同様の皮膚炎になっていた。
その息子さんは少し前まで東京オリンピックのボランティアとして、都内のホテルに滞在しながら海外選手のお世話をしていた。ボランティア期間を終えてホテルから実家に帰ってきたのだが、思い起こせば息子さんはホテル暮らしの頃からたまに痒みがあったそうだった。
念のため再度イヌの皮膚を隈なく調べたが、飼主さんのような赤い発疹は全く見当たらなかった。
 
今回のベッドバグ騒ぎの原因はイヌではなく、無意識のうちに息子さんから持ち込まれた可能性が高い。飼主さんからトコジラミの事を聞かされた医師は、一度はイヌを犯人扱いしたことには触れず、そんな珍しい虫がいるんだ、動物病院って虫の種類も調べてくれるんだと感心していたそうだ。
獣医師の本分は動物の治療であり、格好よくいえば動物を守ることである。
私は獣医師として、一応動物を今回は病気ではなく無実の罪から守ることが出来た……ような気がする。
 
私の身近なヒトで唯一この虫のことを知っていたのは、海外留学経験のある一人の研究者だけだった。
彼は米国でアパート暮らしを始める際に、ベッドだけは譲り受けずに新品を買うようにと言われたそうだ。何故なら留学を終えて帰国する研究者は次に来たヒトに、善意で色々な生活必需品を安価で売ってくれるらしいが、虫が潜むベッドをもらったがために酷い皮膚炎になり、研究どころの話ではなくなった。というようなベッドバグの恐ろしさを聞かされていたのだ。
彼は私の所属する研究室の専任講師だが、獣医学科の教員にしては珍しく、獣医師免許は所有せず、理学の博士号を東京大学で取得している。獣医学科の教員になる前は歯学部の教員、また放射線主任者、宅建士などの資格も持ち、経験、知識の広さは尋常ではなく、そのためか話がとても面白い。
経験とは財産だと思う。このベッドバグに関しては、私をはじめ、多くの同業者、友人、飼主を診察した医師もこの経験を持ち合わせていなかった。だが次に同様の事例に遭遇した場合、私にはこの虫の名前が容易に浮かぶだろう。小さなことだが、経験が一つ増えた。今後は学会等で報告し、この経験を声の届く方々と共有するつもりだ。
 
 
 
 
***
 
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325



2021-09-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事