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その男はかつて我々の敵だった


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:佐藤 みー作(ライティング・ゼミ超通信コース)
 
 
久しぶりのカルメン組曲の前奏曲だった。1970年代に子供時代を過ごした我々にとって、この曲はクラシックの名曲と言うより、聴けば「がんばれベアーズ」とういうアメリカのはちゃめちゃコメディ映画を思わず思い出させる曲である。演奏し終わった後、思わず叫んでしまった。「うわー! この曲、疲れる!」 そして、コンサートミストレスのママ友が声を上げた。「そりゃそうだよ。この曲、初めて演奏したの10年前なんだよ。見て!」と彼女が掲げた楽譜の裏表紙は平成24年のカレンダーだった。そうか、10年経ったか。10年前は若かった! そう言えば、10年前、彼は我々の敵だった!
 
彼は息子が通っていた小学校の1つ上の学年の保護者だった。公立の小学校の保護者のコミュニティと言えば、かなり狭いコミュニティーであるが、それでも普通であれば、学年が違えば1つ上の学年の保護者であってもその噂話などはほとんど話題にも上らないのだが、彼の悪名は私たちの耳にも届いていた。
 
彼は東京のキー局のテレビ局の記者として長時間労働に明け暮れていた。睡眠時間を限界まで削り、家にもまともに帰れないような生活を送っていた。国政選挙がある時などは1週間前から水分コントロールをして、その肝心なスクープの時をトイレに行っていて逃したなんてことがないようにするほどの仕事魔だった。それなのに、30代半ばを過ぎた頃、ふとした疑念が彼の心の中で頭をもたげた。
 
「確かに仕事は面白い。ただ、このまま、仕事に明け暮れるだけの人生を送るのでよいのか?」
 
彼には長年の夢があった。
 
「いつか、オーケストラの指揮をする」
 
現状への疑念が大きくなるにつれ、彼の長年の夢への思いも大きく膨れ上がり、ついにその夢をかなえる日がやって来たのであった。しかもロシアで。コロナ禍の今だと夢のような話だが、海外への渡航が自由だったあの頃、ロシアでオーケストラの指揮を体験できる海外旅行ツアーというものがあり、彼はそれに参加することになったのだ。
 
ただ、日が悪かった。その日は彼の息子の小学校の入学式だったのである。
 
毎日忙しすぎて、家族を顧みる時間もほとんどない上に、息子の一生に一度の小学校の入学式という晴れ舞台を自分の趣味の為に欠席した男の話は、瞬く間に広がり、聞いた母親達は誰もが「ありえなーい!」と大声で非難し、彼を快く送り出した奥様と息子様へは惜しみない拍手と賞賛を贈っていた。一方で、母親達の声の大きさに遠慮しつつも、ちょっとうらやましそうな顔をしていたのは父親達であった。「オレもできるならそんな風に趣味に走りたい」そんな声がかすかに聞こえたような、聞こえなかったような。
 
それでも、「この上もなく、ゴージャスな会場で、プロのオーケストラを指揮して、彼の長年の思いは満たされ、テレビ局の記者としての職務を全うする道に戻りましたとさ。めでたし。めでたし」と、この話は終わればよかったのだが……。
 
ロシアでの指揮体験は彼の長年への音楽への思いを爆発させた。ロシアのそのオーケストラはアマチュアの指揮者に指揮をさせることで収入を得ていたにも関わらず、アマチュアの指揮者に対し、バカにしたような非情な態度を示した。彼はオーケストラを指揮するという長年の夢をかなえる一方、屈辱を味わったのであった。そして、彼は決意した。本格的に音楽を勉強することを。
 
テレビ局の記者という激務の中、彼は音楽大学への入学する為の受験勉強を始めた。学生時代からピアノやフルートを嗜み、大学時代はコンクールで何度も優勝するような合唱団に所属していたというバックグラウンドがあったとしてもそれはとてつもない挑戦だったはずである。
 
音楽大学の受験というのは、楽器を練習しさえすればよいというものではなく、音楽理論やらその他勉強することが沢山あり、数々のコンクールを制覇してきた現役の学生でさえ、寝る暇を惜しんで勉強しなければならない。まして、彼が挑戦した指揮科というのはまた特殊な世界であり、お皿が割れた音を聴いて、それを楽譜にするという試験が出た大学もあるという都市伝説がまことしやかにささやかれるような学科であった。さらに挑戦した音楽大学は日本で一、二を争う名門大学だった。
 
誰もが受験勉強する時間をどうするのかと疑問を持った。その上、やせ型の色白で、太陽の日の光を浴びれば蒸発すると言われると誰もが信じるほど普段から不健康を絵に描いたような風貌の彼に、体力的な不安を持つものも少なくなかった。
 
しかし、そんな周囲の疑問や不安はどこ吹く風と彼は激務の隙間を縫うように猛勉強し、そして見事に音楽大学入学へのチケットを勝ち取ったのである。「ある一定の人々には、一度目標を明確にすると限界という文字が辞書から消えるらしい」彼の挑戦を聞いて、そう思った。そして、いつの間にか彼へは尊敬のまなざしが向けられるようになっていた。あんなに非難轟々浴びていたのに! そして、テレビ局の記者と音楽大学生の2足の草鞋を履く4年間が始まった。
 
そんなある日、息子達の学校で、PTA主催の音楽祭が開催されることになった。息子が通う小学校では、保護者主催で毎年なんらかのテーマでお祭りが開催されるのだが、その年は音楽がテーマとなり、子供たちだけではなく保護者も参加することができることになった。指揮を勉強している彼の周りからどこからともなく「指揮者がいるんだったら、オーケストラができるんじゃないか」という声が沸き上がってきた。
 
発起人の保護者の呼びかけにあっという間に50人近くの人々が集まった。当時、テレビでは「のだめカンタービレ」という音楽大学を舞台にしたドラマが流行っており、かつて学生時代、吹奏楽部やオーケストラで楽器を演奏したことのある人たちの心を揺さぶっていた。「また、やる機会があれば演奏してみたい」そんなことを思っていた保護者が少なからずいたのであった。
 
にわか仕込みのオーケストラはホルンは1人しかいないけど、フルートは5人もいたり、現役のプロの演奏家もいれば、久しぶりに楽器ケースを開けたら、バイオリンにカビが生えていたという人もいるという編成的にもレベル的にもかなりいびつだった。参加者はめったにない演奏の機会に心を躍らせ、音楽祭当日までみんな家事や育児の合間を縫って、必死に練習したのはもちろんだったが、そんなオーケストラに指揮者の彼は魔法をかけた。
 
音楽祭当日、シンコペーティド・クロック、誰もがその音色を耳にすれば、聞いたことのあるメロディーの曲で演奏は始まった。そして続いたのはベートーヴェン作、交響曲第7番、第一楽章。「のだめカンタービレ」で注目を集めた曲だが、誰もが聴けば思わず踊り出したくなるような名曲である。
 
当日、客席で演奏を聴いていた私は後悔していた。「なんで、このオーケストラに参加しなかったんだろう」と。その位、当日の演奏は素晴らしく、感動で全身に鳥肌が立った。
 
幸いにして、この音楽祭での成功を機に、このにわか仕込みのオーケストラはその後、活動を続けることになった。さらには、年末に近所の教会で、演奏会が予定されることになったことを仲の良いママ友から聞いた。その教会は私自身が子供の頃、聖歌隊に所属しており、それこそオーケストラをバックに歌った思い出がある場所だった。私は今度こそ、このチャンスを逃すまいとこれでもかという位高く手を上げ、オーケストラに参加することにした。そして、かつての敵だった彼は私のマエストロとなった。
 
音楽祭での演奏には感動を覚えたオーケストラだったが、それでもできたてほやほやのオーケストラは参加してみると、問題が山積していた。音楽祭での演奏を機に私以外にも参加を希望する人が殺到し、気付けば下は5歳から上は70歳の人が参加するようになっていた。そんなオーケストラだから、メンバーのオーケストラに対する思いがばらばらだった。
 
「のだめカンタービレ」に触発され、ミーハー気分で参加している人もいれば、既にアマチュアオーケストラへの参加歴の長いセミプロの人もいた。練習には参加できる時に参加すれば良いという人もいれば、練習に参加できない人は舞台に参加する資格がないと訴える人もいた。ただ、そのような条件はそもそもプロではないアマチュアの、しかもちょっと前までオーケストラに参加経験のない育児や仕事に真っ最中の我々にはかなり厳しい条件で、肩身が狭い思いをしていた。そんな時、マエストロはオーケストラのメンバーを前に語った。「このオーケストラはクラシックの素晴らしさをより多くの人に伝えることを目的に作りました。だからこそ、誰もが参加して良いし、究極、本番にしか参加できない人でもいいんです」と。
 
この言葉は、アマチュアオーケストラの初心者の我々を大きく勇気づけてくれたのは確かだったが、マエストロが自分自身へのハードルをかなり高く上げるものだったと思う。でも、だからこそ、そんなマエストロの思いに応えようとみんな真剣になった。
 
あるママ友は洗い物をしながら、曲を聴き、シンバルを鳴らすタイミングをなんとかつかんだ。バイオリンを習い始めて数か月の小学生の為に、ベテランバイオリニストのママ友は簡単に弾けるように楽譜を書き直して渡した。本番に備えてどうしてもチェロを買い替えたくなってしまった夫の為に、家族旅行の為の貯蓄を差し出したママ友もいた。
 
そして迎えた年末の本番。当日のことは緊張していたこともあったが、あまり記憶には残っていない。ただ、嬉しさと感動で良く眠れず、翌朝起きた時もまだ手が冷たく小さく震えていたことは覚えている。それから沢山の演奏の機会に恵まれた。そして、今まで続けてこられたのは、マエストロのおかげではないかと今更ながら思うのである。
 
オーケストラを始めたころ、それこそ、マエストロはテレビ局の記者と音大生の二足の草鞋を履いていた超多忙な頃と重なっていたはずである。一度彼に、「○○テレビの社長は、音楽大学に通っていることをご存知なの? 大丈夫なの?」と聞いてみたことがあった。すると、「多分、知っていると思います。会社は大丈夫なんです。英会話学校に通っているのと同じような扱いなんですよ。」と楽しそうに答えてくれた。
 
そんな楽しい第2の学生時代を充分に満喫しているのを確信したのは近所で通勤途中のマエストロとすれ違った時であった。すれ違いざまに手を振るも、マエストロは気づかない。よくよく見ると、手は明らかに指揮をしている。そう、マエストロの前には近所の景色、ましてや私なぞは明らかに映っていなかった。映っているのはオーケストラでそれに向かって一心不乱に指揮をしていたのである。歩きながら。
 
それほどまでに熱心に指揮に取り組む彼にチャンスの女神は微笑んだ。音楽大学を無事に卒業したマエストロは、我々の他にもオーケストラを指揮するチャンスに恵まれてはいたが単発だった。そんなある日、彼はとある大きなコンサートホールの予約に申し込みをした。大きなコンサートホールというのは申込さえすれば、予約ができるというものではない。だいたいは予約の申し込みは1年以上前で、しかもかなりの高倍率なのである。そんな宝くじのような申し込みをマエストロは奇跡的に勝ち取った。チャンスの女神の前髪をつかんだ。しかも、指揮をするオーケストラがなかったのに。
 
慌てたマエストロは、母校の音楽大学の生徒を募り、プロのオーケストラを結成することになった。それはマエストロのプロの指揮者としての始りでもあった。
 
無事にプロとしての道筋をつかんだマエストロは我々の指導にも熱が入った。相変わらず、我々のオーケストラは誰でもいつでも参加できるというかなりゆるい参加条件であったが、だからといって、マエストロは指導の質を緩めることはなかった。できない箇所があれば、できるようになるまで根気よく付き合った。
 
ある年の演奏会で、ボロディンの韃靼人の踊りという曲を演奏することになった。全パートを合わせるのがそもそも難しい曲であるが、我々フルートパートは当日失敗してしまった。「フルートー!」と演奏直後、思わず叫んだマエストロだったが、後日、「ごめんね。あそこの箇所、ウィーンフィルも失敗してたわ」とわびてきた。世界最高峰のオーケストラと比べていたことに驚くとともに、おこがましさを感じたが、マエストロの中ではそんなことは関係なかった。やる気になれば、限界など突破できることを自ら体現してきたマエストロにとって、我々が素人だということは全く関係ないのである。
 
これから先、かつては敵だったマエストロと共に我々オーケストラはどこまでいけるのか楽しみである。
 
 
 
 
***
 
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2021-09-15 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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