普通の主婦が保育園をつくった話
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:宮村柚衣(ライティング・ゼミ超通信コース)
数年前、スカイツリーが見下ろす街で私は小さな保育園を開園した。
きっかけは当時2歳と1歳の自分の子ども達が保育園に入れなかったことだった。子どもを預けて働きたい。そんな簡単な願いも叶わぬ程、当時の待機児童問題は深刻な社会問題となっていた。
「保育園落ちた日本死ね!!!」
子育て世代の悲痛な叫びを代弁したかのような匿名ブログの題目が話題になった頃だった。
「自分の子ども達が保育園に入れないのは行政が悪い」
私も行政の文句ばかり言っていた。
しかし、ウジウジと行政の文句ばかり言っている自分に嫌気が差し、自分が安心して子どもを預けられる保育園をつくったのだ。
0歳児3名、1歳児6名、2歳児10名。定員19名、保育士9名程度の小さな保育園。
保護者だけでなく、地域に愛される保育園にしたい。実家にあった「茶の間」みたいな保育園をつくりたいという思いから、その小さな保育園を『ちゃのま保育園』と名付けた。
行政などの補助のない無認可保育園からスタートし、開園時の園児数は自分の子ども達2人を含め園児5名だった。
私は朝から晩までがむしゃらに働いた。
1歳だった息子をベビーカーに載せ、2歳になった娘の手を引きながら出勤する毎日だった。徒歩で片道20分、雨の日も風の日もテクテク歩いて出勤した。
今思い返しても、私以上に働いている職員は居なかったはずだ。
誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く帰っていた。
しかし、開園2週間も経つ頃には私と保育士さん達との間には断崖絶壁のような大きな溝が出来ていた。
始まりは些細なことだったと思う。
「子どもたちが使う砂遊び用のおもちゃが欲しいんです」
「そうなんだ。でもね、今の園の予算が○○円でこれを超えると赤字になるのね。みんなのお給料が〇〇円で、給食費が〇〇円で……。つまり、月々の支出が〇〇円になるから、今月は新しいおもちゃを買う余裕はないの」
資金に余裕の無かった開園当初、保育士さんの要望の多くに応えることが出来なかった。しかしながら、ただ出来ないだけでは納得出来ないだろうと考え会計資料などを元に出来るだけ詳しく丁寧に出来ない説明を繰り返した。
「そうなんですね」
丁寧に説明すればするほど、保育士さん達の顔は曇っていったが当時の私にはその理由が解らなかった。
子ども達が喜ぶような壁面制作をつくりたいという希望に対しては、インテリアデザイナーに依頼して北欧風にシンプルにまとめた園内のコンセプトが揺らぐからという理由で却下した。
普通の保育園ではなく、保護者が喜ぶようなお洒落で洗練された保育園にしたかったのだ。
「そうですか……」
保育士さんは悲しそうな顔をしたが、方針を変える気は私には全く無かった。
また、保護者の負担を軽減するために園での子どもの衣類やお昼寝で使用する布団カバーは園で一括購入し洗濯等も園で保育士さん達が行うように指示を出した。日々の保育に加え、大量の洗濯といった保育に関係ない業務が増えることになるが顧客満足度の向上のためには致し方無いと考えていた。
普通の保育園のように各家庭でお着替えや布団カバーを用意して欲しい。
洗濯は各自家庭でお願いしたい。
そんな意見が出ても、どれだけ働く保護者が大変かを自分の子育ての現状と重ねて保育士さん達につらつらと語って無理やり納得させた。
「そう……なん……ですね……」
保育士さん達は何か言いたげな表情だったが、うちの保育園の方針だからと全く譲る気はなかった。
今なら解る。
「じゃあ、保護者の負担を軽減するために私達保育士が犠牲になってもいいんですか?」
そう言いたかったに違いない。
しかし、当時の私には全く想像ができなかった。私には自分がつくった保育園であるという自負があり、保育士さん達は言われたことをしていれば良いという意識があったのだと思う。
初めは地面にうっすらとヒビが入った程度の亀裂が少しずつ大きくなっていった。
そんなある日、昼休憩に出た私は保育士さん達に甘味を差し入れようと考えた。なんとなく園内の雰囲気が悪くなっている今、みんなでケーキでも食べて元気を出そうと思ったのだ。
〇〇先生は生クリームが好きだと言っていたのでショートケーキ。
〇〇先生はチョコ、〇〇先生はシュークリーム。
一人ひとりの顔を思い浮かべながらケーキを買った。
園児たちはお昼寝中で、午睡担当の保育士さん達以外は腰高くらいの棚で区切られた8畳程度の0歳児の保育室でお昼休憩をとっていた。真ん中にはちゃぶ台のように大きめの丸い幼児用机を置き、それを囲みながら保育士さん達は楽しそうにお昼ごはんを食べていた。
0歳児の部屋は大きなガラス窓に面しており、目隠しシートを超えて上から覗き込むと園内の様子がよく解った。
楽しそうに談笑する保育士さんを見て、きっとケーキの差し入れも喜んでくれるだろうと意気揚々と保育園のガラス戸を開けた。
「お疲れ様です。今、戻りました」
一瞬で園内の空気が凍りついたのが解った。そして、保育士さん達は私と目を合わさずにクモの子を散らすように散っていった。バツの悪そうな、後ろめたいような表情を浮かべながら。
あぁ……、そうか。
私への愚痴や不満を楽しそうにみんなで話してたんだ……。
プツン、と。何かが切れる音がした……。
こんなに頑張っているのに何で誰も解ってくれないの?
どうして? 何が悪いの?
これ以上、何をどう頑張ればいいの?
その夜。ドロドロに溶けた波打つ負の感情が心から溢れ出し、私は発狂したかのように夫の前で泣きわめいた。
「そんなに辛かったら辞めてもいいんちゃう?」
夫は言った。
「うん。もう辞めたい」
私は静かに答えた。保育園を開園してから初めての口をついて出た弱音だった。
それから、暗中模索・五里霧中の毎日が始まった。
保育士資格も無く、保育の「ホ」の字も知らない保育の素人の私が園長だったのだ。当然といえば、当然の結果である。
毎日、辞めたいと思いながら働く毎日だった。つくったばかりの保育園を辞める方法ばかり考えていた。
仕事は手を抜かず一生懸命やっている。私の何が悪いのだ? 自問自答を繰り返す毎日だった。
そんな悶々とした日々を送る中、私は出口を求めて様々な人に問いかけた。
「あのね、宮村さん(私)。顧客満足度は従業員満足度を超えられないんですよ」
そんな中、税理士資格を持ち中規模の出版業を営む男性経営者が応えてくれた。
「宮村さんは顧客をみているのではないでしょうか? 顧客とは。園児や保護者のことです。でも、それは従業員である保育士さん達の仕事なんですね。宮村さんの仕事は従業員の満足度を上げることだと僕は思います」
目からウロコだった。
なるほど! 私の頑張りは、保育士さん達にとって嫌な頑張りだったのか!
私の仕事は保育士さん達が楽しく働ける職場環境を整えることであって、率先して保育をしたり保育内容を決めたりすることでは無かったのだ。
私は180度自分を変えることにした。
まずは、保育士さん達が幸せな気持ちで働けたら、愛情いっぱいに子どもに接することが出来るという仮説を立て、保育士さん達が生き生きと働けるように否定することを止めた。
そして、保育士さん達が「自分はありのままでいいんだ」「自分は大切にしてもらっている」と感じるような職場にするために保育士の楽園PROJECT という取り組みを始めた。
といっても、Facebookに自分の想いを綴っただけの拙い決意表明を保育士の楽園PROJECTと銘打ち発信しただけだ。
保育士さん達の言うことを否定せず、不安と希望を聴くことに業務時間の全てを注ぎ込み、保育士さん達の自主性・自発性を大切にすることに全神経を集中すること。保育士さん達の個性が尊重され、多様性のある働き方が出来ること。保育士さん達が、働きたい、働き続けたいと思える職場にすること。
そんな私の想いを綴った。
そして、私は園長職を辞任し現場を離れた。3人の息子を育て上げた子育て経験が豊富な地元の保育士さんに園長を任せ、アドバイザーとマネージャーという管理職を創設した。
マネージャーは事務仕事、アドバイザーは保育指導といったように膨大な園長業務を各役職の特性に応じて分割し、現場の困りごとを管理職3人で相談出来る体制を取った。
また、私が出席しない保育会議を定例化し、管理職を中心に保育の内容については話し合ってみんなで決めていくチーム保育のオペレーションを組んだ。
そのおかげで闊達な意見交換が日々行われるようになり、意思疎通もスムーズに進んだ。
臨床心理士、言語聴覚士や作業療法士などの子どもの発達に関わる専門家が集まる一般社団法人と提携し、保育やチームビルディングに関するオリジナル研修を月に2回開催するようになった。
社外の子どもの専門家が介入することで、保育の質が向上した。
また、保育園としての大きな決断や研修の報告等は、2週間に1度代表会議を開催し、代表(私)と管理職が腹を割って話し合った。
現場の意見を否定しない会議スタイルは、管理職に自信と責任を与えた。
自分たちで考え実践する文化がだんだんと根づき、保育の質は目に見えてどんどん良くなっていった。
そして、それと同時に私と保育士さん達の関係もだんだんと良くなっていった。
「エプロンて、ずっとこのままなんですか?」
開園当初から何度も出た保育士さん達からの質問だ。私が楽天市場で揃えた赤色の1着600円のエプロン。今思い返せば、エプロンを変えたいという保育士さん達の意思表示の質問だった。
しかし、私はエプロンなんて何でも良いと思っていた。というか、会社がお金を出して支給しているのだから何の文句があるのだろうか? と、思っていた。しかし、180度変わった私の答えは違った。
「もしかしてエプロン変えたいの?」
「はい。このエプロンだと短くて座ったりするとお尻が見えるし、ポケットもないのでメモやボールペンが入れられないんです」
「そうなんだ。気付かずにごめんね。みんなで選んでみて」
「はい!」
保育士さんは満面の笑顔で答えた。
寒色は老けて見えるから嫌だとか、袖があるのが良いとか、すぐ乾く生地が良いとかetc.……。保育士さん達はあーだこーだ言いながら楽しそうにエプロンを選んだ。保育士さん達が選んだエプロンは1着4000円近くする高級エプロンであったが、保育士さん達の嬉しそうな顔を見ると高くない買い物だと心から思えるようになっていた。
保育士さん達の意見を否定せず、出来る方法を考えることで「代表は自分たちのやりたいことに対して絶対にダメとは言わない」という文化が根付いていった。
気がつけば、開園から5年。保育士さん達は誰一人辞めていなかった。
開園当初、私を極寒の僻地に飛ばした保育士さん達も楽しそうに今も働いてくれている。
先日も、節分の鬼を怖がる園児のために機転を利かせた保育をしていた。
「あれ? なんで白い画用紙を飾ってるの?」
白い壁に節分の制作が所狭しと並んでいる園内。その一角、子ども達が各自描いた鬼の絵が壁に並んでいるはずの場所だった。そこには、上部を小さなクリップで留めた真っ白なA4画用紙だけが並んでいた。
「めくってみてください」
私は人差し指と親指で白い画用紙の下を掴んで、上にめくった。真っ白な画用紙の下には、子ども達が描いたであろう可愛い鬼の絵があった。
「どうしたの?」
「鬼を凄く怖がる園児さんがいて、子ども達が描いた鬼の絵も怖がって園内に入れなかったので画用紙で隠しているんです。他の保護者にも事情を説明して、自分のお子さんの絵を見たい時には白い画用紙をめくって見てもらっています」
地味だけれども、子ども一人ひとりと向き合い、一生懸命考えた末でないと出て来ない保育士さん達のアイデアに私は感服した。
子どもが大好きで、子どもの笑顔を見るため一生懸命考え行動する。それが、保育士さんなのである。
開園当初、私が保育園経営に失敗した要因の1つに保育士という職業に対するリスペクトが足りなかった事が挙げられる。子育てしているし、保育ぐらい私もできるでしょ。そう思っていたのだ。まぁ、結果は言わずもがなである。
右も左も解らずに飛び込んだ保育の世界は暗中模索・五里霧中だった。
しかし、根気強く一人ひとりの保育士さんと向き合い、保育士さんの状態や家庭環境、得意不得意、性格などを知ることで少しずつ状況は改善されていった。
そして、保育士さん達を信じて任せることにより信頼関係が産まれ、子ども達を愛情たっぷりに包み込む保育園になった。
「特別な保育はしなくていい」
私はそう言えるようになった。
普通の保育でいいから、子どもだけでなく保護者も丸ごと包み込むような心のある保育をして欲しい。
今は心からそう思っている。
大きな園庭や綺麗な園舎はないけれど、私達の保育園には素晴らしい保育士さん達がいる。
きっと、これからも困難なことはあるだろう。また、私と保育士さん達の間に亀裂が走ることもあるかもしれない。
しかし、今の私と保育士さん達の間には家族のような信頼関係がある。
だから、きっと、どんな困難も一緒に乗り越えて行けると信じている。
***
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