いい相続ってなんだろう?
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:赤羽かなえ(ライティング・ゼミ超通信コース)
なんでそんな話が出てきたんだ……
受話器の向こうでじりじりとしながら、矢継ぎ早に質問を投げかけてくる母の焦りがこちらにも伝染してくるようだ。
そもそも、なんで、そんなありえないことで悩んでいるんだ、この人は。
時計をチラッと見ると15時半を過ぎている。もうすぐ子供達が帰って来るというのに、母の話は当分終わりそうになかった。
心の中で、舌打ちをしながら、母の声を遮った。なるべく彼女の気持ちを荒立てないように、優しく、優しく、冷静に対応するんだ、私。
「お母さん、私もちょっと現場から離れているからちゃんと調べてみないとわからないけど、多分うちみたいなサラリーマン家庭の庶民は、そんなことは気にしなくていいと思うんだよね」
具体的な数字や制度のことを説明しないせいか、母は引き下がらない。
「ちょっと待って。後で最新の情報をちゃんと調べてから返事するけど、制度が大幅に変わっていなければ、お母さんが言っていることは、心配することじゃないと思うよ?」
外国の宝くじでもあたって、多額のお金がいきなり増えたって言うなら別だけどねえ、と冗談めかして続けた。
「なにふざけたこと言っているの。そんなものがあったら苦労していないわよ。だいたい、そんなことがすぐに答えられないなんて、前にはファイナンシャルなんちゃらとして働いていたんでしょうが。それでもプロなの?」
母親というものは、我が子が何を言えばイライラしてスイッチが入るのか、というのを良く知っている。ダテに40年以上私の親をやってないわ。
母のことを穏やかにかわそう、などというちっぽけな心の防波堤は、あっけなく崩壊した。
「だからさ、誰に入れ知恵されたのか知らないけど、最新の情報を調べてから返事するって言ってるじゃん。今から、子供達が帰ってくるの。忙しい時にすぐに調べるなんてできないよ」
母が、語気の強さにひるんで息を飲むのが電話越しに伝わってきた。さすがに言い過ぎたということに気づいたのだろう。
「わかった。調べたら電話ちょうだい」
電話を切って、やれやれとため息をついた。これは、早い所解決しておかないと、うるさなくてかなわない。なる早案件だわ。
そばのメモ用紙に「母、相続税のこと」と走り書きをしたところで、娘が帰ってきたのであろう、ドアフォンの無機質な呼び出し音が鳴った。
母が言うには、配偶者である私の父親が先に死んで自分が残されたときに、相続税を払わないといけないらしいのだけど、一体いくら払わなければいけないんだろう、と不安なのだ、ということだった。
彼女は、お金の心配のこととなると精神的に追い詰められる人だった。一円たりとも無駄にしたくない、特に税金で持っていかれるなんてもったいない、という考えだ。
税金って何に使われているかわからないじゃない。そんなもの払うだけ無駄よ! 母はそんなことをつぶやくが、私達の生活は、その税金にサポートされていることが沢山あるのでそういうところにちゃんと感謝出来たら、生活ってもう少し心豊かになると思うんだけどね、と心の中でつぶやく。そんなことを彼女に言おうものなら、ものすごい勢いで切り返されるだろうから言わないけれども。
「ねえ、最初に聞くんだけれども、私が知らないうちに、数億の遺産ができているわけ?」
電話をかけ直した時にも若干、いや、かなり嫌味な口調で母に問いかけた。それでもプロなの? と言われた言葉のトゲが抜けていなかった。
社会人になってファイナンシャルプランナーとして生命保険会社で働いていた。相続税に関しては一通り学んでいるし仕事でも良く使う知識だった。親から引き継いだ固定資産などがなければ、ごく一般のサラリーマンの家庭ならば、そんなに相続税の支払いに戦々恐々とする必要はないはずだった。
「いや、そういうわけじゃないけど……」
電話を切ってから、言い過ぎたことを反省したんだろう。私のことを伺うような気配を電話越しに感じた。深呼吸して自分を抑える。これ以上つんけんした態度をとると、かえってこじらすからここら辺にしておこう。
「調べてみたけどね、私が働いていた時よりは、基礎控除が減ったけど、配偶者の控除っていうのは残っているから心配しなくていい。お父さんが先に死んで、お母さんが財産を相続した場合は、よほどのことがない限り、お母さんが相続税を払うことはまずないよ。私達子供はもしかすると払わなければいけないかもしれないけど、現金が相続されるならそこから支払えるとは思うよ」
例えば、父がもろもろで1億円の財産を持っていたとする。
我が家は、相続をする人が母と私そして弟の3人なので、まず基礎控除を計算すると、
3000万円+600万円×3人=4800万円
になる。そうすると、課税の対象になる遺産は、1億円から4800万円を差し引いて5200万円になり、法定相続通りに相続すると、課税価格は、母が315万円、子供二人が145万円ずつだ。
ここから課税価格に対して、実際の状況に合わせた控除があり、実際の納税価格が決まる。
配偶者は、配偶者控除が法定相続分(この場合二分の一、もしくは1億6000万円の大きい方)と決まっているので、よほどのことがない限り配偶者に相続税がかかることはなく、財産がある人の大きな問題は、両親が両方とも亡くなったときに子供達が相続するときに問題が起こってくる。
「配偶者控除というのを知らなかったわ、周りの人が相続税のことで騒いでいたから、焦ってしまった」
母の口調がようやく落ち着いてきた。
「それはね、状況が違うんだと思うよ、状況は人それぞれだからね。それにしても、びっくりした。いきなりお金が降ってきたのかと思ったわ」
冗談めかして笑うと、そりゃあ、そうだったら、本当に苦労しないわよね、と母も少し笑った。
「だって、お父さん、自分がいくら貯めているかも教えてくれないし、遺書でお前には財産を残さないなんて脅かすんだもの」
母は、弟の子どもの名前をあげ、彼にお金が渡るようにしようかな、などと言ってるらしい。
やれやれ、母のお金に対する不安症は、父のいじわるから来ているんだろうな。両親の間で長らく繰り広げられるいさかいのほとんどは、金銭のことが理由で巻き起こる。もちろん、母の言い分だけを鵜呑みにして父だけを責めるつもりはない。母の言い分と同じくらい、父も母に言いたいことがあるだろうし、その間を取り持って双方が完全に納得するように導くということは奇跡に近いのだ、ということを40年かけて学んできた。
「それとね、もう一つ気になっていることがあるのよ、できるなら、あなたのフェイスブックで募ってほしいのだけど」
「何を?」
「ほら、別荘用に買っていた土地があるでしょう? 別荘地、あれがどうしても売れなくてね。売れなくてももらってくれる人いないかしらねえ」
「それってしていいのかなあ……」
バブルの時に、売り出された別荘地の扱いに困っているようだった。不動産の仲介を頼んでも来る連絡は詐欺まがいのものばかりらしい。山を丸ごと持っているならばまだよかったのかもしれないが、区画売りだったものを買っている。管理組合が管理する仕組みなので管理費もかかるし、なおさら始末が悪いらしい。
「土地だけ相続放棄するっていうことはできないの?」
母からそう聞かれて、再びインターネットで調べたところ、放棄をするならすべての財産を放棄しないといけないらしい、ということがわかった。財産を相続するなら、最終的には、私か弟が引き継がなければならない。
「無理みたい」
「そうはうまく行かないのね」
母はため息をついた。
「買った時には、まさかこんなことになるとは思わなかったのよ」
確かにそうだろう。バブルの時代がいきなり終わりになるなんて思わなかっただろうし、順調にバブルが続けば、別荘地に建物を建てていたのかもしれない。土地を買ったことを誰が責められるのだろうか。
相続って人生の成績表のようなものなのかもしれない。
自分が働いて稼いだ財産、投資、貯金、親から引き継いだものだけでなく、自分の生きた軌跡にそれぞれ成果があって、そこには自分が思ったことや、その結果手元に残ったものなどもある。もちろん、うまく行ったこともあればうまく行かなかったこともあるだろう。
手元に残る形としては、土地や株、預貯金など、数字で金銭的な価値が表されるものがメインだけれど、その背景には沢山の目に見えない思いが積もり積もっているのだ。
金額で表される財産は分割もしやすく比較的扱いやすい。でも、思いはとてもはかりづらい。もしかすると、相続したい人への愛情の差があるかもしれないし、愛人などの存在が発覚するかもしれないし、財産を次世代に引き渡すということだけではない人生の精算が多少なりともあるはずだ。
社会人で、ファイナンシャルプランナーをやっていた頃には、ただ商品が売るために、相続税の知識の情報提供ができればそれでいい、と思ってたけれど、とんでもなく甘かったことに気づいた。
相続は、人生の洗い直しの作業なのだ。
相続のために整理をしていくならば、金銭、財産のやり取りだけにとどまらず、今までの人生についてもきちんとヒアリングをして彼らの人生に対して、敬意を払う必要があるのではないだろうか。
我が家は、両親の仲があまり良くないので、どちらかが亡くなったときにどちらかが継ぐであろう財産の内容も、お互いに開示しないとつっぱねて埒があかないのだ。話し合いを持とうとしないのは、かなりの問題なのだけど、それが、彼らの積み重ねてきた人生なのだ、と受け入れないといけないのだろう。それを臭いものに蓋をするように避けていたら、いざ相続の問題が発生したときに苦労するのは、残される私たちだ。
2人の仲がそういう状況なら、子供である私達が別々に把握するようにして、どちらかがいざという時に内容を把握しているなどの方法を考えなくてはならない。
親も私も今日が一番若い。もっと昔の頃は、親が若くて相続なんて考えるなんて思ってもみなかった。でも、これからも放っておいてずっと先に手を付けよう、という時に体調でも崩れていたらやっぱりできずに放置しておくことになる。今しかチャンスはないのかもしれない。
思い切って、両親と久々に話してみよう。そして、金銭的な部分だけではなくて、目に見えない部分にはなるけど、彼らの人生について話を聞くことも大切にしてみよう。
「いい相続」がそれでできるのかはわからないけれど、相続の意味は受け継ぐことだ。財産だけでなく、彼らの思いもきちんと受け継いでいきたいなあと思う。
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