“はじめて”を教えてくれたけいちゃんの話
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記事:レイ咖(ライティング・ゼミ日曜コース)
「やったことないな、知らないな」最近言わなくなったような気がしている。34年も生きていると、経験したことない”はじめて”がほとんどなくなってきた気がする。触れた時の感動や、うれしさがどんな気持ちだったかを思い出すのが難しくなってきている。
ただ、今でも思い出す印象的な”はじめて”がある。保育園の先生になって、3年目の春。けいちゃんは、私が生きていく上で大切なことを教えてくれた。
その年、私は初めて3歳児を受けもつことになった。
今まで、家でお母さんと過ごしていたこども達がほとんどだ。入園式でお母さんに連れられてきて
「いやー!」と見たことのない教室の中に入りたがらない子もいる。
反対に、テンションが上がりすぎる子もいる。「こらっ! 走り回らないの」とお母さんに注意されても、全く気にすることなくひたすら暴れ回る。けいちゃんも暴れる子の1人だった。
全員が集まったことを確認して、座ってもらい、明日からの生活について説明した。
「登園時間は8:30からです。持ち物は……」と話している横で、けいちゃんが棚に入っているままごとセットを引っ張り出した。ガシャン、ガシャンと皿とスプーンが床に落ちる音が教室中に響き渡る。
「ダメよ。けいちゃん」と母親に注意されても、全く聞こうとしない。
「いいですよ。けいちゃん、おままごと好きなんだね」
「……」よほど集中しているのか、けいちゃんは、私の声に反応することなく黙々と遊び続けていた。
信頼関係が出来るまで、叱ることは出来ない。まずはけいちゃんと仲良くなることが先だ。話も聞かず、ひたすら遊び続けるけいちゃんを見つめながら、明日からが思いやられると憂鬱な気分になっていた。
登園初日、けいちゃんはにこにこしながらやってきた。
「けいちゃん、お母さん行くからね」と母親が心配そうに声をかける。母親を全く気にせず、サッサと教室に入ると、棚のおもちゃを全部出し始めた。
「遊びに集中できるから、大丈夫ですよ」心配そうに見つめる母親が安心出来るよう声を掛けて、帰ってもらった。
この日から、私とけいちゃんの戦いが始まった。
「トイレ行くよ」と、みんなで廊下に出る。並んで行こうとする脇をすり抜けて、一瞬のスキに外に出ていく。
「けいちゃん、今トイレだよ。先生と一緒だよ」と言っても、戻ってくる気配はない。職員室が気になるようで、何の躊躇もなくズンズン入っていく。
「めっ! ダメだよ。勝手に入ったら」とけいちゃんを叱る。
全員をトイレに行かせて、やっぱり戻ってこないけいちゃんを連れてくる。次は給食の準備だ。
皿におかずを盛り付けて、
「いただきますってしてから、みんなで食べようね」とこども達の前に皿を置く。次に汁を盛り付けていると、けいちゃんは平気な顔で、食べ始めていた。
「けいちゃん。ちょっと待って!」と言っても、止める気配がない。
外に行けばどこか行ってしまう。待っててねと言っても待てない。1日に何回も注意する度に、疲れて呆れてくきもちまで出てきた。
「外行く時は、並ぶよ」
「ごはんはみんなで食べるよ」来る日も、来る日も、同じことを指導して、幼稚園の約束を伝えていった。七夕会をして、運動会があって、サンタさんが来て……時間が過ぎていく。けいちゃんは並んで手が繋げるようになった。いただきますまで待てるようになった。年末になる頃には
「先生、見て! けいちゃんいい子でしょ?」と背筋を伸ばして、話を聞いている姿を私に見せるようにもなった。
年が明けて、迎えた3月のおわり。クラスの修了式が行われた。保護者の方から、感謝の手紙と花束を頂いた。「1年間ありがとうございました」挨拶をして、保護者の方、こども達と握手をすると、4月あんなに泣いたり、走り回ったりしていたこども達の成長を噛みしめていた。
1人になった教室で、手紙をめくり始めた。1枚1枚家族の姿を思い浮かべながら読んだ。
けいちゃんのページになった。顔の輪郭らしい大きい丸の中には、目のような黒丸と、口のつもりだろう。線が引いてあった。顔の横には、お母さんの字で”せんせい”と絵の説明が添えられていた。そしてお母さんの手紙には
「けいちゃんの、はじめて出逢う先生が、レイ咖先生でよかったです」と書かれていた。
けいちゃんにとって、人生初の先生は私……。手紙に書いてある”はじめて”の文字が、重かった。たくさんの子どもに出逢うから、私は出逢いに慣れてしまっていた。もっとやさしくすればよかった、もっと丁寧に接すればよかった。けいちゃんへの接し方が本当にこれでよかったのかと後悔のきもちでいっぱいになった。たくさんのこどもに逢うから、出逢いが当たり前になってしまっていた。
何回も自分が経験してきたことでも、相手は初めて。と考えたことがなかった。
どんな時でも”はじめて”のきもちをもてば、真剣に、丁寧に接することができると思った。後悔しないよう人との関わりを大切にしたい。
毎年迎える4月。新しく出逢うこども達を前にする度にけいちゃんを思い出す。
そして”はじめて”のきもちを忘れないようにしようと思う。
***
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