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厄除けしないと悪いことが起こるのか?


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記事:いとうけんご(ライティング・ゼミ集中コース)
 
 
「厄除けしないと、何か悪いことでも起こるの?」
 
自分の42才の大厄の時に、兄に聞いてみた。
私の兄は、滋賀県にある神社の宮司をしている。
 
「しても、しなくても、どっちでもいいよ」
 
意外な答えであった。
 
そもそも厄除けって何でしょう?
 
厄年というのは陰陽道でから来た考え方で、一生のうちで3回、何らかの災難や病気などの厄災が降りかかりやすいといわれている年齢をいい、その人生の節目を「厄年」として普段よりおとなしく過ごそうとする考え方だ。
 
厄除けは、その厄災を受けないように、神社やお寺でご祈祷をしていただくものである。
平安時代の紫式部の書いた「源氏物語」にも登場するなど、1000年以上も前から日本人は厄年を意識して生活してきた。
 
そういえば厄年とされる、男性が25・42・61歳、女性が19・33・37・61歳の年齢を考えると、進学・就職・転職・退職・結婚・出産などの、人生の転機や節目が重なったり、運が良くない事が起こったり。思い当たる人もいるのでは?
 
私は京都に生まれ育って、神社仏閣には幼い頃から親しみがある、親しみと言うか生活の中に「しきたり」や「神様仏様の存在」みたいなものが、祖父母や親から自然に伝わっているように思う。
 
初詣は必ず行くし、お宮参り、七五三、合格祈願、安産祈願、病気平癒。事あるごとに神仏に手を合わせてきた。
 
「バチ」という言葉をご存じだろうか?
そう「このバチ当たりが!」の「バチ」である。
 
神仏に無礼なことをしたり、悪事を働くと食らう罰のことだが、京都の人間は特にこの「バチ」を気にする傾向がある。神様や仏様に関することは丁重に扱い、自分の願い事や心配なことは、必ずお参りに行ってお願いしてきた。神仏は畏れ多く、厄もバチと同じく恐いものだ。
 
妻は「私は厄年に2回交通事故に遭ったよ!」と、自慢にならないのに自慢気に言う。
知人も大病に罹ってしまったり、健康診断で引っかかったり、仕事が上手くいかなかったり……。
 
たまたまのタイミングなのかもしれないが、「あ〜あ最悪だ、やっぱり厄年だよ〜」という言葉をよく聞いた気がする。
 
そんな、恐ろしい厄年。
厄除けを「してもしなくてもいい」とはどういうことだろう?
それも、神社の神主さんのくせに!
 
「じゃあ、なんで神社で厄除けのご祈祷をやってるの?」
「それは穢れを払うためにやってる」
 
ん? それはわかるような、わからないような?
 
「厄除けをやると、厄が払われて悪いことが起きないんだろ?」
「いや、そんなことはない、悪いことが起きる時は起きる」
「でも、それなら何故厄除けとういうものがあるの?」
「厄は、ある年齢で来るものだから、その時にお祓いをする」
 
なんだか、押し問答のようになってきた。
 
納得しない私に、兄が分かり易く説明してくれた。
 
「厄年は人生の中での通過点、七五三と同じようなもの。成長に伴う身体の転換期であったり、人生の責任感の重さが変わってきたり、ストレスも増えるし、老化も進む。男女でその適齢期も違うので、それぞれその時その時に自分に向き合うために神仏にお祈りするものだ」
 
なるほど、少し説得力がある気がするが、厄除けの意義がまだわからない。
すると、兄はこんな例え話をしてくれた。
 
例えば、厄年の年齢に交通事故に遭ってしまった。命に別状は無かったものの、ケガをしてしまったので何日か入院を余儀なくされた。
 
その時、厄除けをしていなかったらどう思うだろうか。
「やっぱり厄年だ! こんな事故でケガをしてしまった。ツイてない!」
ほとんどの人がこう思い、自分の悲運を嘆くだろう。
 
反対に厄除けをした人はどう思うだろう。
「もしかしたら死んでいてもおかしくない事故だったかもしれない、幸い命に別状もないしケガだけで済んだ、これも厄除けに行ったお陰かもしれない、有り難い」
 
同じ事象が起こっても、全く受け取り方が違うのだ。
 
人間は都合の良い生き物で、調子よく人生を送れているときはそうでもないが、自分に都合の悪い事が起こると、神仏任せに頼るところがある。
「苦しい時の神頼み」がそれである。
 
もちろん苦しい時も実際は自分で頑張らないと解決はしない。
でもそこに神仏の加護があると思えれば、そっと背中を押され素直に頑張り、結果の良し悪しは関係なく、有り難く喜べるものだ。
 
私ら神職は、その方の厄年に入る覚悟だったり、頼る気持ちを穢れないようにお祓いをして差し上げて、神様にご報告し、穏やかに過ごせるように祈るのだ。
 
こう語る兄が、ここまできて、大変失礼ながら、やっと神に使える神職に見えてきた。
 
神社に行くと、手を合わせていっぱいお願いをしてしまいがち。
今から何が起こるか分からないから、健康でいれますようにとか、仕事が順調にいきますようにとか、金持ちになれますようにとか、恋人ができますようにとか……。
将来の不安を助けて欲しいから、どうかどうかとお願いする。
 
しかし、よく考えてみると、この「〜ように」のお願いは、少なからず自分の決意表明になっているのではないかと思う。
変換すれば「〜ように、なってやるぞ!」である。
 
これを兄に言うと、もうひとつ興味深い話をしてくれた。
 
「神社に行くと、本殿の奥のご祭神の扉の前に、大きな鏡が置いてあることがあるだろう。あの鏡は何であるのかわかるか?」
 
私はわからないながら「お供え物として置いてあると思う」と言うと。
 
「その意味もあるが少し違う、あの鏡は、神様の姿は見えないけど、この鏡を神様として見て、鏡を通して神様にお参りするためのものだ。そしてこの鏡に自分自身の心を映して向き合ってみなさいという意味もある。実は神様に参拝していると同時に、鏡に映った自分に対して祈っているんだよ」
 
なるほど! ここで兄の言うこと分かった!
 
参拝というのは、もちろん神様仏様にお願いすることであるが、実は自分自身にもお願いしているのだ。
 
自分で自分の人生どう覚悟するか、向き合うかという気持ちを再確認するようなものであるから「しても、しなくても、どっちでもいいよ」というのは、厄除けするかしないかは、その人それぞれの想いや考えで良い、というのが真意だそうだ。
 
是非、今年の初詣は、選手宣誓のように祈ってみようと思う。
 
厄除けしないと、悪い事が起こるのか? 起こらないのか?
は、あなたの気持ちの持ちよう次第かもしれない。
 
 
 
 
***
 
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2022-01-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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