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1月17日という日と、父と


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記事:本多宏美(ライティング・ゼミ12月コース)
 
 
今日は何の日? 1月17日は私にとって忘れられない日です。
 
約四半世紀前のその日、私はは勤めていた会社の社員旅行で香港にいました。
到着一日目を思う存分仲間と遊びつくした翌日、それはバスの中で突然伝えられました。
 
「日本で大きな地震が起きました」と。
阪神大震災です。
 
日本国内間の通信を優先する為、家族へはもちろん日本への連絡もしないようにと上司から通達。ルームメイトと眠れない夜をすごしました。
最初はとうとう東海大地震が起きたのか?! と思っていましたが、徐々に地震の大きさや被害・震源地などが判明し、西日本で起きた地震ということが分かったのは、さらに翌日のことでした。
客室のテレビをつけると、そこには目を覆いたくなるような街の姿が……。何を言っているのかわからない香港語のニュースに映されていたのは、柱がポキンと折れた高速道路、ドミノのようにバタバタと倒れたビル……。驚きと不安を感じるのと同時に、どこか上の空のような、まるで映画のワンシーンを見ているかのように感じていました。
名古屋の家族の安否確認ができたのは、帰国前日のことでした。帰国後、まるで戦争でもおきたかのような、爆弾でも落ちたのでは? というくらいの神戸の光景に衝撃を受けたことを覚えています。
 
もちろん、忘れてはいけない震災だとは思うのですが、1月17日という日が忘れられない理由は父の誕生日だったからです。
 
震災後、父は「俺の誕生日が阪神大震災の日だなんて、忘れられない一日になってまったなぁ」と名古屋弁でよく言っていました。
 
そんな父が亡くなったのは20年前。お恥ずかしいのですが、亡くなった日はカレンダーを確認しないとはっきりとは分からないのですが、誕生日だけは今も覚えていて、毎年今日は父との思い出に想いをはせています。
 
そんな今日という日、父についてお話させてください。
 
父は昭和10年生まれ。四人兄弟の長男。いわゆる焼け跡世代と言われる第二次世界大戦を過ごした世代です。大学を出て有名企業に就職し結婚、NY支所へ。所長への打診を断り日本へ帰国、脱サラして貿易業を立ち上げました。
お酒とタバコが大好きで、小さな頃の父の日のプレゼントはセブンスターのダース。お酒を飲むと、普段から社交的だった父はますます陽気に。酔っぱらうと子どもにまで敬語をつかって話し出してしまうくらい仕事人間でもありました。その当時ではまだ珍しいグレープフルーツが大好きで、よく食べていました。「納豆は人間の食べるものではない」と言っていたくせに、肝臓を悪くして入院した時に病院食で出た納豆を食べたら手の平をかえすように「こんなに美味しくて健康に良いものはない」と言い出し毎日食べていた人でした。
 
こうやって書いていると、父との関係が良好だったように見えますが、実は10代からずっと父との仲は良くありませんでした。
 
父は家にいないことが多く、顔をみたら「勉強しろ。親の言うことを聞け!家事を手伝え!」くちごたえなんかしようものなら大声で怒鳴られ雷が落ちまくる。そう、まさに昔ながらの雷親父だったのです。
一番反抗してケンカを売っていたのが私でした。高校生以降、演劇の道に進みたかった私と反対する父とは、まさに一触即発状態となっていました。
 
そんな状態が続いた頃、夜中に試験勉強をしていた私はひと息つこうとリビングへ。テレビを付けてお茶を飲んでいたら、父が起きてきて「何時だと思っとるんだ」と。この頃になると、父が怖いというよりは、うるさいなぁ。というくらいに思っていた私は、カチンときて「夜中の1時だが」と。「こんな時間にテレビなんか見とるな」とテレビを消された私は、生意気にも新聞を広げて読み始めた、その時。
 
バチン。
 
椅子から落ちるくらいの平手打ちでした。何事かと他の家族も起きてきて、くやしいやら痛いやら腹が立つやらで無言のまま布団にもぐり込んだことを覚えています。
 
人生後にも先にもひっぱたかれたのはこの一回だけですが、そこから父とは口をきかなくなりました。
今思うと、こんなくだらないことで……。と自分でも思いますが、あの頃はそんな関係でした。あの頃の私は、怒ってばかりで仕事人間の父のことが大嫌いでした。
 
社会人になり、ますます話す機会をなくし、実家にいながらも父とは最低限のこと以外は口をきかない日々が続いていました。
反面、その頃になると、私も社会というものを経験し、徐々に父の背中の大きさに気づくようになっていました。
 
父との関係が緩みはじめたのは、私が結婚して娘を産んでから。父にとっては初めての女の孫でした。私は地元名古屋に住んでおり、出産後しょっちゅう実家に娘をつれて顔を出していました。
 
父が祖父として娘と接しているデレデレな姿に、自分自身の幼いころを思い出しました。
私は未熟児で生まれたのですが、その病院には未熟児対応の設備がなく、他の病院に転院したそうです。父は親戚との集まりで酔っては「俺が弁当箱くらいのケースに入れて運んだんだ」と話していたこと。
また私の好物をよく覚えていて「いも娘・もち娘・にく娘」と話していたこと。
父は戦中の経験から芋が嫌いで、私に「よくそんなものが食べられるな」と言っていたこと。
兄弟四人で父の膝を奪い合ったこと。
ビートルズやエルビスプレスリーが好きで、車の中でみんなでイエローサブマリンやマイウェイを歌ったこと。
そんな幼いころの記憶が、娘と接する姿でよみがえってきたのです。
 
気が付いたら、父と普通に話せるようになっていました。
父は私の娘が3歳になる頃に他界しましたが、その3年間だけでも親孝行できていたのかな……と思います。
 
そして現在、私は仕事人間です。娘に「勉強しなさい!家のことを手伝いなさい!」と言ってしまっています。
 
父が亡くなってから、父を知っている方と接する機会が増え「お父さんはすごい人。あなたは雰囲気がよく似てますね」と言われます。多分兄弟の中で顔も性格も一番そっくりなのは私なのかもしれません。あまり認めたくはありませんが。
 
毎年1月17日という日は、そんな父を思い出す日でもあります。
私の娘が初めてグレープフルーツを食べたのも、納豆を食べたのも、ソフトクリームを食べたのも、初めてマクドナルドのポテトを食べたのも、いや食べさせたのは全部父でした。
 
娘にとってのおじいちゃんの記憶はビデオの中にしかないそうです。
なので、今度は私が娘に父のことを話す番です。「あなたのおじいちゃんは、とっても甘かったのよ」と。
 
最後に、私が小学二年生の頃に書いた「お父さん」がテーマの作文のことを。その頃父は脱サラして海外のハンドクラフトの材料を輸入する貿易会社を立ち上げており、ちょうどテレビの取材を受け放映されたところでした。私も詳しい内容は覚えていないのですが、どうやらこんなことを書いていたようです。
「私のお父さんはテレビの取材を受けました。すごいと思いました。テレビの最後にお父さんはありがとうございましたと頭を下げました。そしたら頭のハゲが見えました」
 
お父さん、ごめんなさい。ありがとう。
 
そして誕生日おめでとう。お父さんが大好きなグレープフルーツは私が代わりに食べておくね。
 
 
 
 
***
 
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2022-01-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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